婚約破棄から始まる恋~捕獲された地味令嬢は王子様に溺愛されています

きさらぎ

文字の大きさ
99 / 195
第二部

波乱の予兆Ⅶ

しおりを挟む
「どうしたの。ぼんやりして」

 ディアナの声にハッとして我に帰りました。学園で教室移動のために廊下を歩いているところでした。ビビアン様とのお茶会から二、三日経った今でもあの言葉が心から離れなくて、時折思い出してしまうのです。

「何でもないわ。ちょっと、授業のことを考えていただけよ」

「授業って、勉強熱心ね。フローラらしいけれど、歩いている時に考え事していたらつまずいて怪我をするかもしれないわ。気をつけてね」

「ええ。そうね。気をつけるわ」

 教科書とノート類を落とさないように抱え直すと愛想笑いを浮かべました。うまくごまかせたみたいでよかったわ。落ち込んだ顔をしていると余計な心配をさせてしまうわね。気をつけなくては。

 あの日、ビビアン様が去った後、ぴんと張り詰めた緊張の糸がぷっつりと切れてしまったのか、涙が溢れて泣いてしまいました。決壊した涙はしばらく止まらず、そんな私の背を撫でながらハンカチで涙を拭いてくれました。

『気にしなくてもいいわよ。あなたは何も悪いことなんてしていないわ。悪いのはエドガーよ。あんな言葉で非難されるいわれはないの。だから悲しまなくてもいいのよ。卑下する必要もない。フローラ、あなたはあなたのままで、あなたを愛する人はたくさんいるのだから、自信をもっていいのよ」

 ディアナは優しく励まして慰めてくれました。
 わかっています。ディアナも友人も両親も、私を愛してくれている。気にしなければいいとわかっているのです。
 それでも、胸に突き刺さったとげは抜けないまま、ズンと沈み込む気持ちを抱えたまま、無理やり笑顔を作ります。そうしなければ、泣いてしまいそうだから。

 重苦しい気持ちからそらすように、ディアナが明るい話題を振ってくれます。いつまでもうじうじしていても始まらないわ。気持ちを浮上させてディアナの話につき合いました。渡り廊下を抜けると教室まであと少し。

 二人であれやこれやと話に夢中になって気分が上向きになった矢先、向かい側に見知った顔を見つけてしまいました。
 
 ビビアン様。

 その顔を認めた途端に極度の緊張のためか、一瞬針が刺さったような痛さがぶわっと全身を襲いました。

 立ち止まった私をディアナが怪訝そうに見つめ、視線の先にいる彼女を存在に気づきます。そして、ビビアン様も、私に気づくと友達とのおしゃべりを止めてまっすぐに歩いてきました。

 怖い。

 オレンジがかった金髪が風になびき陽にあたってキラキラ輝いていて、歩く姿はさながら女神のよう。けれども、獲物を捉えたかのような鋭い目つき、口角を上げニヤリと嗤う真っ赤な唇がそれを打ち消します。
 
 恐怖。

  この場に縫い留められて動けない私は、ビビアン様にとっては格好の獲物なのでしょうか。 
 ドンドンと近づく距離に避けることも逃げ出すこともできずに恐怖に怯えるだけ。どうか、気づかずに、どうか無視してくれますようにと心の中で祈りましたが、私の願いは届きませんでした。

「お久しぶりね。フローラ様」

 ディアナには目もくれず、目の前にやってきたビビアン様の華やかな笑顔。
 背後には友人なのでしょう、三人ほど控えています。どなたも美しい方ばかり。何が起こるのか興味津々で見つめていました。

「はい。先日はごちそうしていただき、ありがとうございました」

 怖気そうになりながらも声を絞り出して、なんとかお礼を述べました。声は多少震えていたかもしれません。それでも精一杯、虚勢を張りながら、笑顔も忘れずに。

「よろしいのよ。とても楽しかったわね。またご一緒したいわ。今度は皆様とどうかしら? もっと楽しくなると思うわ。もちろん、わたくしが招待いたしますわよ」

 後ろに控える令嬢たちを振り返ると、とんでもないことを言いだしたビビアン様。

 私はあの日のことを思い出して、サーと血の気が引いていきます。

 公爵令嬢のおもてなしとなれば、全て超一流でしょうし高位貴族からの申し出ですから断る法はないのでしょう。令嬢たちは驚喜を滲ませ期待に胸を膨らませているように見えました。
 
 恐怖に背筋が凍りました。ガタガタと震えそうになる体を抱きしめて押さえ込み、なんとか床を踏みしめて立ってていました。
 ビビアン様が面白そうに私の反応を窺っているのがわかります。怯える私の姿はさぞ滑稽に見えるのでしょう。
 獲物をいたぶるかのような鋭さを増した目が私を捉え、勝ち誇ったように冷笑を浮かべました。
 
「ディアナも一緒にね。わたくしたち幼馴染ですものね」

 今度はディアナに向かって話しかけたビビアン様の表情が、親しい者に向ける顔へと変わりました。 
 
「ええ。そうでしたわね。また、是非ともご一緒したいわ」

「ディアナなら、そういってくれると思ったわ。では、ごきげんよう」

 ビビアン様は言いたいことを言ってすっきりしたのか、ディアナから望みの返事を聞いて満足したのか、令嬢たちを伴ってこの場を去って行きました。

 何はともあれ、ホッとしました。しばらくすると、血の気が引いて冷たくなっていた指先に、やっと熱が戻ってきました。

「ごめんなさい」

「何を謝るの?」

「うまく話せなくて……」

 万事、そつなくこなすディアナに申し訳なくて、目を合わせることが出来なくて俯くことしかできません。

「何を言ってるの。あれは、黙ってて正解よ。まともに返事することはないわ」

「でも……」

「相手の方が身分は上だから、断れないでしょう? うっかり、返事なんてしようものなら、またお茶会か食事会をセッティングされるわよ」

 それは嫌です。あんな思いは二度としたくないわ。

「でも、ディアナは返事してたわ」

「あんなもの、社交辞令よ。幼馴染だと言っていたでしょう? 約束なんてあってないようなもの。あちらも気にしてないわよ」

 バッサリと切り捨てるディアナだけど、ビビアン様との妙な信頼関係が垣間見えてどう受け取ってよいのか、複雑な心境になりました。

「フローラ。先を急ぎましょう。授業が始まるわ」

 そうでした。今は休み時間。行きかっていた生徒達が見当たりません。私達は早足に教室を目指しました。


「しつこい人は好きではないのよね。本当に困った人。ブラックリストに加えておくわね。ビビアン様」


 ディアナがため息交じりにポツリと小さく呟いた言葉は、私の耳に届かぬまま、風に流されて消えていきました。



しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

『婚約破棄された聖女リリアナの庭には、ちょっと変わった来訪者しか来ません。』

夢窓(ゆめまど)
恋愛
王都から少し離れた小高い丘の上。 そこには、聖女リリアナの庭と呼ばれる不思議な場所がある。 ──けれど、誰もがたどり着けるわけではない。 恋するルミナ五歳、夢みるルーナ三歳。 ふたりはリリアナの庭で、今日もやさしい魔法を育てています。 この庭に来られるのは、心がちょっぴりさびしい人だけ。 まほうに傷ついた王子さま、眠ることでしか気持ちを伝えられない子、 そして──ほんとうは泣きたかった小さな精霊たち。 お姉ちゃんのルミナは、花を咲かせる明るい音楽のまほうつかい。 ちょっとだけ背伸びして、だいすきな人に恋をしています。 妹のルーナは、ねむねむ魔法で、夢の中を旅するやさしい子。 ときどき、だれかの心のなかで、静かに花を咲かせます。 ふたりのまほうは、まだ小さくて、でもあたたかい。 「だいすきって気持ちは、  きっと一番すてきなまほうなの──!」 風がふくたびに、花がひらき、恋がそっと実る。 これは、リリアナの庭で育つ、 小さなまほうつかいたちの恋と夢の物語です。

前世の記憶を取り戻した元クズ令嬢は毎日が楽しくてたまりません

Karamimi
恋愛
公爵令嬢のソフィーナは、非常に我が儘で傲慢で、どしうようもないクズ令嬢だった。そんなソフィーナだったが、事故の影響で前世の記憶をとり戻す。 前世では体が弱く、やりたい事も何もできずに短い生涯を終えた彼女は、過去の自分の行いを恥、真面目に生きるとともに前世でできなかったと事を目いっぱい楽しもうと、新たな人生を歩み始めた。 外を出て美味しい空気を吸う、綺麗な花々を見る、些細な事でも幸せを感じるソフィーナは、険悪だった兄との関係もあっという間に改善させた。 もちろん、本人にはそんな自覚はない。ただ、今までの行いを詫びただけだ。そう、なぜか彼女には、人を魅了させる力を持っていたのだ。 そんな中、この国の王太子でもあるファラオ殿下の15歳のお誕生日パーティに参加する事になったソフィーナは… どうしようもないクズだった令嬢が、前世の記憶を取り戻し、次々と周りを虜にしながら本当の幸せを掴むまでのお話しです。 カクヨムでも同時連載してます。 よろしくお願いします。

キズモノ転生令嬢は趣味を活かして幸せともふもふを手に入れる

藤 ゆみ子
恋愛
セレーナ・カーソンは前世、心臓が弱く手術と入退院を繰り返していた。 将来は好きな人と結婚して幸せな家庭を築きたい。そんな夢を持っていたが、胸元に大きな手術痕のある自分には無理だと諦めていた。 入院中、暇潰しのために始めた刺繍が唯一の楽しみだったが、その後十八歳で亡くなってしまう。 セレーナが八歳で前世の記憶を思い出したのは、前世と同じように胸元に大きな傷ができたときだった。 家族から虐げられ、キズモノになり、全てを諦めかけていたが、十八歳を過ぎた時家を出ることを決意する。 得意な裁縫を活かし、仕事をみつけるが、そこは秘密を抱えたもふもふたちの住みかだった。

冷徹侯爵の契約妻ですが、ざまぁの準備はできています

鍛高譚
恋愛
政略結婚――それは逃れられぬ宿命。 伯爵令嬢ルシアーナは、冷徹と名高いクロウフォード侯爵ヴィクトルのもとへ“白い結婚”として嫁ぐことになる。 愛のない契約、形式だけの夫婦生活。 それで十分だと、彼女は思っていた。 しかし、侯爵家には裏社会〈黒狼〉との因縁という深い闇が潜んでいた。 襲撃、脅迫、謀略――次々と迫る危機の中で、 ルシアーナは自分がただの“飾り”で終わることを拒む。 「この結婚をわたしの“負け”で終わらせませんわ」 財務の才と冷静な洞察を武器に、彼女は黒狼との攻防に踏み込み、 やがて侯爵をも驚かせる一手を放つ。 契約から始まった関係は、いつしか互いの未来を揺るがすものへ――。 白い結婚の裏で繰り広げられる、 “ざまぁ”と逆転のラブストーリー、いま開幕。

異世界転生公爵令嬢は、オタク知識で世界を救う。

ふわふわ
恋愛
過労死したオタク女子SE・桜井美咲は、アストラル王国の公爵令嬢エリアナとして転生。 前世知識フル装備でEDTA(重金属解毒)、ペニシリン、輸血、輪作・土壌改良、下水道整備、時計や文字の改良まで――「ラノベで読んだ」「ゲームで見た」を現実にして、疫病と貧困にあえぐ世界を丸ごとアップデートしていく。 婚約破棄→ザマァから始まり、医学革命・農業革命・衛生革命で「狂気のお嬢様」呼ばわりから一転“聖女様”に。 国家間の緊張が高まる中、平和のために隣国アリディアの第一王子レオナルド(5歳→6歳)と政略婚約→結婚へ。 無邪気で健気な“甘えん坊王子”に日々萌え悶えつつも、彼の未来の王としての成長を支え合う「清らかで温かい夫婦日常」と「社会を良くする小さな革命」を描く、爽快×癒しの異世界恋愛ザマァ物語。

元お助けキャラ、死んだと思ったら何故か孫娘で悪役令嬢に憑依しました!?

冬野月子
恋愛
乙女ゲームの世界にお助けキャラとして転生したリリアン。 無事ヒロインを王太子とくっつけ、自身も幼馴染と結婚。子供や孫にも恵まれて幸せな生涯を閉じた……はずなのに。 目覚めると、何故か孫娘マリアンヌの中にいた。 マリアンヌは続編ゲームの悪役令嬢で第二王子の婚約者。 婚約者と仲の悪かったマリアンヌは、学園の階段から落ちたという。 その婚約者は中身がリリアンに変わった事に大喜びで……?!

【完結】 笑わない、かわいげがない、胸がないの『ないないない令嬢』、国外追放を言い渡される~私を追い出せば国が大変なことになりますよ?~

夏芽空
恋愛
「笑わない! かわいげがない! 胸がない! 三つのないを持つ、『ないないない令嬢』のオフェリア! 君との婚約を破棄する!」 婚約者の第一王子はオフェリアに婚約破棄を言い渡した上に、さらには国外追放するとまで言ってきた。 「私は構いませんが、この国が困ることになりますよ?」 オフェリアは国で唯一の特別な力を持っている。 傷を癒したり、作物を実らせたり、邪悪な心を持つ魔物から国を守ったりと、力には様々な種類がある。 オフェリアがいなくなれば、その力も消えてしまう。 国は困ることになるだろう。 だから親切心で言ってあげたのだが、第一王子は聞く耳を持たなかった。 警告を無視して、オフェリアを国外追放した。 国を出たオフェリアは、隣国で魔術師団の団長と出会う。 ひょんなことから彼の下で働くことになり、絆を深めていく。 一方、オフェリアを追放した国は、第一王子の愚かな選択のせいで崩壊していくのだった……。

「無加護」で孤児な私は追い出されたのでのんびりスローライフ生活!…のはずが精霊王に甘く溺愛されてます!?

白井
恋愛
誰もが精霊の加護を受ける国で、リリアは何の精霊の加護も持たない『無加護』として生まれる。 「魂の罪人め、呪われた悪魔め!」 精霊に嫌われ、人に石を投げられ泥まみれ孤児院ではこき使われてきた。 それでも生きるしかないリリアは決心する。 誰にも迷惑をかけないように、森でスローライフをしよう! それなのに―…… 「麗しき私の乙女よ」 すっごい美形…。えっ精霊王!? どうして無加護の私が精霊王に溺愛されてるの!? 森で出会った精霊王に愛され、リリアの運命は変わっていく。

処理中です...