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第二部
波乱の予兆Ⅶ
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「どうしたの。ぼんやりして」
ディアナの声にハッとして我に帰りました。学園で教室移動のために廊下を歩いているところでした。ビビアン様とのお茶会から二、三日経った今でもあの言葉が心から離れなくて、時折思い出してしまうのです。
「何でもないわ。ちょっと、授業のことを考えていただけよ」
「授業って、勉強熱心ね。フローラらしいけれど、歩いている時に考え事していたらつまずいて怪我をするかもしれないわ。気をつけてね」
「ええ。そうね。気をつけるわ」
教科書とノート類を落とさないように抱え直すと愛想笑いを浮かべました。うまくごまかせたみたいでよかったわ。落ち込んだ顔をしていると余計な心配をさせてしまうわね。気をつけなくては。
あの日、ビビアン様が去った後、ぴんと張り詰めた緊張の糸がぷっつりと切れてしまったのか、涙が溢れて泣いてしまいました。決壊した涙はしばらく止まらず、そんな私の背を撫でながらハンカチで涙を拭いてくれました。
『気にしなくてもいいわよ。あなたは何も悪いことなんてしていないわ。悪いのはエドガーよ。あんな言葉で非難されるいわれはないの。だから悲しまなくてもいいのよ。卑下する必要もない。フローラ、あなたはあなたのままで、あなたを愛する人はたくさんいるのだから、自信をもっていいのよ」
ディアナは優しく励まして慰めてくれました。
わかっています。ディアナも友人も両親も、私を愛してくれている。気にしなければいいとわかっているのです。
それでも、胸に突き刺さったとげは抜けないまま、ズンと沈み込む気持ちを抱えたまま、無理やり笑顔を作ります。そうしなければ、泣いてしまいそうだから。
重苦しい気持ちからそらすように、ディアナが明るい話題を振ってくれます。いつまでもうじうじしていても始まらないわ。気持ちを浮上させてディアナの話につき合いました。渡り廊下を抜けると教室まであと少し。
二人であれやこれやと話に夢中になって気分が上向きになった矢先、向かい側に見知った顔を見つけてしまいました。
ビビアン様。
その顔を認めた途端に極度の緊張のためか、一瞬針が刺さったような痛さがぶわっと全身を襲いました。
立ち止まった私をディアナが怪訝そうに見つめ、視線の先にいる彼女を存在に気づきます。そして、ビビアン様も、私に気づくと友達とのおしゃべりを止めてまっすぐに歩いてきました。
怖い。
オレンジがかった金髪が風になびき陽にあたってキラキラ輝いていて、歩く姿はさながら女神のよう。けれども、獲物を捉えたかのような鋭い目つき、口角を上げニヤリと嗤う真っ赤な唇がそれを打ち消します。
恐怖。
この場に縫い留められて動けない私は、ビビアン様にとっては格好の獲物なのでしょうか。
ドンドンと近づく距離に避けることも逃げ出すこともできずに恐怖に怯えるだけ。どうか、気づかずに、どうか無視してくれますようにと心の中で祈りましたが、私の願いは届きませんでした。
「お久しぶりね。フローラ様」
ディアナには目もくれず、目の前にやってきたビビアン様の華やかな笑顔。
背後には友人なのでしょう、三人ほど控えています。どなたも美しい方ばかり。何が起こるのか興味津々で見つめていました。
「はい。先日はごちそうしていただき、ありがとうございました」
怖気そうになりながらも声を絞り出して、なんとかお礼を述べました。声は多少震えていたかもしれません。それでも精一杯、虚勢を張りながら、笑顔も忘れずに。
「よろしいのよ。とても楽しかったわね。またご一緒したいわ。今度は皆様とどうかしら? もっと楽しくなると思うわ。もちろん、わたくしが招待いたしますわよ」
後ろに控える令嬢たちを振り返ると、とんでもないことを言いだしたビビアン様。
私はあの日のことを思い出して、サーと血の気が引いていきます。
公爵令嬢のおもてなしとなれば、全て超一流でしょうし高位貴族からの申し出ですから断る法はないのでしょう。令嬢たちは驚喜を滲ませ期待に胸を膨らませているように見えました。
恐怖に背筋が凍りました。ガタガタと震えそうになる体を抱きしめて押さえ込み、なんとか床を踏みしめて立ってていました。
ビビアン様が面白そうに私の反応を窺っているのがわかります。怯える私の姿はさぞ滑稽に見えるのでしょう。
獲物をいたぶるかのような鋭さを増した目が私を捉え、勝ち誇ったように冷笑を浮かべました。
「ディアナも一緒にね。わたくしたち幼馴染ですものね」
今度はディアナに向かって話しかけたビビアン様の表情が、親しい者に向ける顔へと変わりました。
「ええ。そうでしたわね。また、是非ともご一緒したいわ」
「ディアナなら、そういってくれると思ったわ。では、ごきげんよう」
ビビアン様は言いたいことを言ってすっきりしたのか、ディアナから望みの返事を聞いて満足したのか、令嬢たちを伴ってこの場を去って行きました。
何はともあれ、ホッとしました。しばらくすると、血の気が引いて冷たくなっていた指先に、やっと熱が戻ってきました。
「ごめんなさい」
「何を謝るの?」
「うまく話せなくて……」
万事、そつなくこなすディアナに申し訳なくて、目を合わせることが出来なくて俯くことしかできません。
「何を言ってるの。あれは、黙ってて正解よ。まともに返事することはないわ」
「でも……」
「相手の方が身分は上だから、断れないでしょう? うっかり、返事なんてしようものなら、またお茶会か食事会をセッティングされるわよ」
それは嫌です。あんな思いは二度としたくないわ。
「でも、ディアナは返事してたわ」
「あんなもの、社交辞令よ。幼馴染だと言っていたでしょう? 約束なんてあってないようなもの。あちらも気にしてないわよ」
バッサリと切り捨てるディアナだけど、ビビアン様との妙な信頼関係が垣間見えてどう受け取ってよいのか、複雑な心境になりました。
「フローラ。先を急ぎましょう。授業が始まるわ」
そうでした。今は休み時間。行きかっていた生徒達が見当たりません。私達は早足に教室を目指しました。
「しつこい人は好きではないのよね。本当に困った人。ブラックリストに加えておくわね。ビビアン様」
ディアナがため息交じりにポツリと小さく呟いた言葉は、私の耳に届かぬまま、風に流されて消えていきました。
ディアナの声にハッとして我に帰りました。学園で教室移動のために廊下を歩いているところでした。ビビアン様とのお茶会から二、三日経った今でもあの言葉が心から離れなくて、時折思い出してしまうのです。
「何でもないわ。ちょっと、授業のことを考えていただけよ」
「授業って、勉強熱心ね。フローラらしいけれど、歩いている時に考え事していたらつまずいて怪我をするかもしれないわ。気をつけてね」
「ええ。そうね。気をつけるわ」
教科書とノート類を落とさないように抱え直すと愛想笑いを浮かべました。うまくごまかせたみたいでよかったわ。落ち込んだ顔をしていると余計な心配をさせてしまうわね。気をつけなくては。
あの日、ビビアン様が去った後、ぴんと張り詰めた緊張の糸がぷっつりと切れてしまったのか、涙が溢れて泣いてしまいました。決壊した涙はしばらく止まらず、そんな私の背を撫でながらハンカチで涙を拭いてくれました。
『気にしなくてもいいわよ。あなたは何も悪いことなんてしていないわ。悪いのはエドガーよ。あんな言葉で非難されるいわれはないの。だから悲しまなくてもいいのよ。卑下する必要もない。フローラ、あなたはあなたのままで、あなたを愛する人はたくさんいるのだから、自信をもっていいのよ」
ディアナは優しく励まして慰めてくれました。
わかっています。ディアナも友人も両親も、私を愛してくれている。気にしなければいいとわかっているのです。
それでも、胸に突き刺さったとげは抜けないまま、ズンと沈み込む気持ちを抱えたまま、無理やり笑顔を作ります。そうしなければ、泣いてしまいそうだから。
重苦しい気持ちからそらすように、ディアナが明るい話題を振ってくれます。いつまでもうじうじしていても始まらないわ。気持ちを浮上させてディアナの話につき合いました。渡り廊下を抜けると教室まであと少し。
二人であれやこれやと話に夢中になって気分が上向きになった矢先、向かい側に見知った顔を見つけてしまいました。
ビビアン様。
その顔を認めた途端に極度の緊張のためか、一瞬針が刺さったような痛さがぶわっと全身を襲いました。
立ち止まった私をディアナが怪訝そうに見つめ、視線の先にいる彼女を存在に気づきます。そして、ビビアン様も、私に気づくと友達とのおしゃべりを止めてまっすぐに歩いてきました。
怖い。
オレンジがかった金髪が風になびき陽にあたってキラキラ輝いていて、歩く姿はさながら女神のよう。けれども、獲物を捉えたかのような鋭い目つき、口角を上げニヤリと嗤う真っ赤な唇がそれを打ち消します。
恐怖。
この場に縫い留められて動けない私は、ビビアン様にとっては格好の獲物なのでしょうか。
ドンドンと近づく距離に避けることも逃げ出すこともできずに恐怖に怯えるだけ。どうか、気づかずに、どうか無視してくれますようにと心の中で祈りましたが、私の願いは届きませんでした。
「お久しぶりね。フローラ様」
ディアナには目もくれず、目の前にやってきたビビアン様の華やかな笑顔。
背後には友人なのでしょう、三人ほど控えています。どなたも美しい方ばかり。何が起こるのか興味津々で見つめていました。
「はい。先日はごちそうしていただき、ありがとうございました」
怖気そうになりながらも声を絞り出して、なんとかお礼を述べました。声は多少震えていたかもしれません。それでも精一杯、虚勢を張りながら、笑顔も忘れずに。
「よろしいのよ。とても楽しかったわね。またご一緒したいわ。今度は皆様とどうかしら? もっと楽しくなると思うわ。もちろん、わたくしが招待いたしますわよ」
後ろに控える令嬢たちを振り返ると、とんでもないことを言いだしたビビアン様。
私はあの日のことを思い出して、サーと血の気が引いていきます。
公爵令嬢のおもてなしとなれば、全て超一流でしょうし高位貴族からの申し出ですから断る法はないのでしょう。令嬢たちは驚喜を滲ませ期待に胸を膨らませているように見えました。
恐怖に背筋が凍りました。ガタガタと震えそうになる体を抱きしめて押さえ込み、なんとか床を踏みしめて立ってていました。
ビビアン様が面白そうに私の反応を窺っているのがわかります。怯える私の姿はさぞ滑稽に見えるのでしょう。
獲物をいたぶるかのような鋭さを増した目が私を捉え、勝ち誇ったように冷笑を浮かべました。
「ディアナも一緒にね。わたくしたち幼馴染ですものね」
今度はディアナに向かって話しかけたビビアン様の表情が、親しい者に向ける顔へと変わりました。
「ええ。そうでしたわね。また、是非ともご一緒したいわ」
「ディアナなら、そういってくれると思ったわ。では、ごきげんよう」
ビビアン様は言いたいことを言ってすっきりしたのか、ディアナから望みの返事を聞いて満足したのか、令嬢たちを伴ってこの場を去って行きました。
何はともあれ、ホッとしました。しばらくすると、血の気が引いて冷たくなっていた指先に、やっと熱が戻ってきました。
「ごめんなさい」
「何を謝るの?」
「うまく話せなくて……」
万事、そつなくこなすディアナに申し訳なくて、目を合わせることが出来なくて俯くことしかできません。
「何を言ってるの。あれは、黙ってて正解よ。まともに返事することはないわ」
「でも……」
「相手の方が身分は上だから、断れないでしょう? うっかり、返事なんてしようものなら、またお茶会か食事会をセッティングされるわよ」
それは嫌です。あんな思いは二度としたくないわ。
「でも、ディアナは返事してたわ」
「あんなもの、社交辞令よ。幼馴染だと言っていたでしょう? 約束なんてあってないようなもの。あちらも気にしてないわよ」
バッサリと切り捨てるディアナだけど、ビビアン様との妙な信頼関係が垣間見えてどう受け取ってよいのか、複雑な心境になりました。
「フローラ。先を急ぎましょう。授業が始まるわ」
そうでした。今は休み時間。行きかっていた生徒達が見当たりません。私達は早足に教室を目指しました。
「しつこい人は好きではないのよね。本当に困った人。ブラックリストに加えておくわね。ビビアン様」
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