婚約破棄から始まる恋~捕獲された地味令嬢は王子様に溺愛されています

きさらぎ

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第二部

波乱のあとでⅡ

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 動きは一瞬で目に留まらぬ速さ。シュッと風を切る音が耳元で聞こえたと思った時には、終わっていました。
 しゃがれた呻き声と共に、のけぞるように後ろに倒れた男は気絶してしまったのか、ピクリとも動きません。男の手から離れて支えを失い傾きかけた私の身体を誰かが支えてくれました。背中に感じる人の気配に振り返ると

「良かった。間に合いましたね」

  大きく息を吐いた男性。見覚えがあるような……目をぱちくりとしながら見ていると思い当たる節が。
 ダン。そうよ。ダンだわ。いつもの騎士服とは違う私服姿のダンがいました。

 かっちりと固めている髪は自然体でふわりとしていて、服装も白いシャツに濃いベージュのベストに黒いスリムなパンツに黒のブーツ。
 初めて見る姿にダンであると認識するのに少し時間がかかってしまいました。

「ダン。どうしてここに?」

「非番で街を散策していたら、こちらの護衛騎士に出くわしまして、事情を聴いて駆けつけた次第です」

「そうだったのね。助かったわ。ありがとう」

 何はともあれ、誘拐されずにすんでよかった。もしものことを考えると背筋が凍るほど体が震えます。ダンや警備隊には感謝してもしきれません。

 警備隊はチリジリと逃げ出す男達を追いかけ、囲い込むと次々と捕まえていきました。

「フローラ様。どこもお怪我はなかったですか?」

 ダンの気遣いに忘れていた足を捻ったことを思い出しました。正気に返ると痛みまでぶり返してきます。

「足を……」

 足元を見たダンがそばに転がっている靴を見つけて拾い上げてくれました。

「お送りしますので馬車にお連れします」

 ズキズキと痛む足では歩くことも困難です。ダンは私を抱えると馬車まで運んでくれました。

「痛みはどうですか?」

「ちょっと捻っただけだから、痛みはあるけれど酷くはないと思うわ」

「すぐに医者も手配いたしますので、しばらくお待ちください」

 ドアを閉めたダンは気絶して転がっている男を警備隊に引き渡して話をしているようでした。

 その間に御者のヨハンが顔を出してくれて、無事を確認できました。
 何も出来なくて申し訳なかったと言っていたけれど、青褪めた顔で声も少し震えていたわ。目の前で争いが起こっていたのだから怖い思いをしていたでしょう。
 農民に紛したならず者だったのかもしれないもの。巻き込まれず怪我もないようでよかったわ。

「お待たせいたしました。それでは、主の元へお送りしますので、ご安心ください」

「ダンも一緒に来るの? 大丈夫よ。護衛騎士もいるし、それにあなたは今日は非番でしょう? お休みの日に時間を取らせては悪いわ」

「乗り掛かった舟ですからね。それに事情を説明する者も必要でしょう。御者も動揺しているようですから、俺が代わりを務めますよ」

 ダンの言う通りで、ヨハンは休ませた方がいいのかもしれません。私はダンの申し出に甘えることにしました。


♢♢♢♢♢♢ 
 
 何がどうしてこうなったのか……
 誘拐されそうになるなんて、東の宮を出た時には思いもしなかったわ。

 捻った足首を見ると腫れていてズキズキとした痛みを感じます。早く邸に帰って休みたいわ。
 医者の手配とダンが言っていたけれど、もしかして先に連絡してくれているのかしら。
 誘拐されそうになって怪我をしてって、両親に心配かけてしまうのは心苦しくて鬱結した思いに憂いていると、馬車が止まりました。
  
 邸に着いたのでしょう。

 馬車のドアが開いて

「ローラ」

 目の前に現れた人物の顔に驚いて、一瞬、心臓が止まりました。

 レイ様? えっ?

 幻なのか、それとも願望が見せた夢? 何度も目を瞬かせて目を凝らして食い入るように見てしまいました。

「よかった。無事だったんだね」

 泣きそうな顔をしたレイ様が私を抱きしめました。ふわりと匂うシトラスの香り。
 本当にレイ様? 幻ではなくて? でもここは私の邸のはず。なのに、どうして?
 思考が追いつかず、次々と浮かんでくる疑問。

「医者に待機してもらっているから、まずは診察を受けよう」

 すぐに抱きかかえられた私は馬車から連れ出されました。
 そこに広がっている景色は、私の邸ではなく、西の宮。
 どうして? と思う間もなく部屋へと運ばれて、診察を受けていました。


♢♢♢


「捻挫ですね。骨には異常はないようですので、一週間ほど安静にして様子を見ましょう」

 診察をしてくれたのはサマンサ先生。
 宮の一室の診察台で診断結果を聞いた私はやっと肩の力が抜けました。一週間の療養期間はあるものの重症ではなかったようで一安心です。

「フローラ様。捻挫を軽く見てはいけませんよ。最初の治療が肝心なんです。捻挫は癖になりやすい怪我ですからね。しっかりと直しましょう。痛み止めと熱が出る可能性もあるので解熱剤も処方しておきますから、我慢せずに必要な際にはお飲みください」

「はい。ありがとうございました」

 治療が終わると先生はそばに控えていたエルザに処方箋を渡すと医務室まで取りに来るようにと言付けて、部屋をあとにしました。

 それからは、体を清めてもらい部屋着に着替えるとソファに座りました。すっかり寛ぐ態勢になっているのだけれど、どうなっているのかしら?
 テーブルには紅茶とお菓子が用意されていて私を誘っています。

 ノックの音がして返事をすると 
 
「ローラ」

 部屋に入ってきた方はレイ様でした。

「レイ様」

 心痛な面持ちで目の前まで来たレイ様は膝を折るとガバっと私を抱きしめました。
 レイ様の温もりが懐かしくて、私の心を徐々に溶かしていきます。

「ローラ。顔を見せて?」

 抱きしめた体を離したレイ様は、私の顔をまじまじと見つめるとおそるおそる手を伸ばして頬に触れて、それからまた腕の中に抱き込まれました。さっきよりもずっと深く。
 先生の診察の間、レイ様は別室で待機していらしたので、話す時間はなくてようやくレイ様の顔を見ることができました。

「ローラだ。よかった。姿を見るまでは生きた心地がしなかったんだ。よかった。無事で」

 涙が混じった声で身を案じていたレイ様の思いに触れて、無事に帰ってきたのだと実感が湧いてきて

「レイ様。レイ様」

 名前を呼びながら、しがみついていました。レイ様の温もりを確かめるように。
 シトラスの香りに包まれるとみるみるうちに瞳に溜まった涙が頬を濡らしていきました。

 レイ様だと認識した途端に張り詰めていた気持ちが一気に崩壊してしまったのでしょう。止めどもない涙を流してレイ様の胸に顔をうずめて泣きました。



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