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二羽は木陰で羽を休める
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「くそッ!」
ドン、と文机に拳が叩きつけられる。
あまりの激しさに机の表面はひび割れていた。ひびはささくれを生んで男の手を傷つけ、傷からは血が滲み始めた。が、男に気にする様子はない。
「無理にでも付いていけば……!」
腹の底から引き絞られた叫びは小さな部屋を足早に出ていき、男は結髪を激しく掻き毟る。
乱れた髪は彼の顔を隠し、表情を読み取らせるのを邪魔した。
「あ、あのッ!」
ハッと男が顔を上げた。
その裏返った声は小柄な兵士のものであった。彼は小部屋の入口で立ち竦み、手には溢れんばかりの木簡を抱えていた。
男は細い目で弧を描く。
「ああ、書類を運んでくれたんですね。ありがとうございます」
先程までの様子が嘘のように穏やかな口振りで男は話す。
男は木簡を受け取るために膝を立てた。が、上ずった声が慌てて止める。
「あ、いや、そんなッ座っててください!自分、運びますから!」
「……そうですか。では遠慮なく」
すとん、と男は座り直す。
兵士は男の文机の横に木簡を置く。すると……。
「ッ!すみません」
兵士の震えた手が木簡の山を突き崩してしまう。
彼は狼狽えて男を見やる。
それに対して男は優しく笑みを浮かべた。
「大丈夫ですよ。気にしないでください」
「は、はい」
兵士はほっと一息つく。
男は微笑みを崩さずに彼を労う。
「届けてくれてありがとうございました。もう仕事場に戻っていいですよ」
「わ、分かりました。失礼します」
兵士は一礼すると、素早くその場を立ち去っていった。
「はぁ……」
浩源は大きなため息を吐いて顔を手で覆い、文机に肘をつく。
「まさか見られるなんて」
そう呟きながら机の上に置いてあった木簡を手に取る。
「最悪な予想が当たってしまうなんて…………やはり報告会に参加すべきだった」
みし、と音が立つ。
浩源は流麗な文字列が綴られた木簡を握りしめていた。
「なんとか、なんとか今からでもッ!」
手にしていたのを乱雑に投げ出すと、届いたばかりの木簡を漁る。
「勇豪さんは必ず私が……!あんな小娘のために、勇豪さんが犠牲になる必要はないッ!」
浩源の目に仄暗い焔が宿るのであった――――
燦燦と降り注ぐ太陽の下、兵舎からは低くくぐもった声が聞こえてくる。
「お前らいつまで泣いてんだ!大の男どもがみっともねえ!」
そんな声を振り払うように勇豪の叱責が響き渡る。
「でも、護衛長ッ!」
勇豪を囲むように立っている兵士たちが涙声で叫ぶ。
「俺はもう護衛長じゃねぇよ。それにもう貴族でもないんだ、普通に名前で呼んでいいんだぜ?」
「そんな……!そんな寂しいこと言わないでくださいよ!」
「寂しいも何も、事実なんだから仕方ないだろう」
「それでも……俺たちにとって護衛長はいつまでも護衛長ですから!」
「ははは!お前ら普段ンなこと言わねえくせに、こういうときばっかりは都合がいいんだもんな」
勇豪は大きく肩を竦めた。
兵士たちは更に言い募る。
「だって、今言わないでいつ言うんですかッ!」
「そうですよ!あんな僻地に飛ばされたら、もう二度と会えないじゃないですかッ」
「護衛長の作戦があったから俺たちは生き残れたのに……なんで護衛長だけがこんな目に……」
兵士らの言葉に勇豪は飄々と答える。
「これだけで済んだんだ。むしろ俺は、王の寛大な対応に感謝してるんだぜ?」
「けど、なんだって王は子佑殿を王宮に残したんですかッ。護衛長だけ剥奪と追放だなんて、納得出来ません」
途端、勇豪の目が険しくなる。
「俺が全部引き受けるって決めたんだ。そこだけは勘違いすんじゃねぇ」
ビクッと兵士たちの身体が硬直する。
勇豪はハッとすると、優しく微笑む。
「それに、生きてりゃいつかは……なんてこともあるだろう?」
「……ッ!」
それは到底有り得ない未来。
戦以外で都城を出ることがない雑兵にとってそれは夢物語であった。
兵士たちはますます言葉に詰まる。
「はぁ……ったく。分かった。分かったよ!お前らの気持ちはよく分かった」
涙と鼻水に塗れた兵士たちが一斉に顔を上げる。
「気持ちは有り難く受け取っておく。でももう俺がいなくてもお前たちなら十分やってけるさ。なんせ、俺がそうやって鍛えたんだからな」
兵士たちの涙が増していく。
「護衛長!俺もっと教えてほしかったです」
「俺も、弓を教えてもらう約束だったのに!」
「俺だってッ!」
「だから泣くなって!」
勇豪の眉尻は困ったように下がっていた。だが、そこに悲壮感はない。
「全くキリがありゃしねえ。もう行くぞ」
「護衛長!」「ごえいちょおお!」
「ははは!随分と汚ねえ見送りだなあ。ま、達者でな」
そう言って包袱*を携えた勇豪は、兵舎に背中を向けた。
「待ってください勇豪さん!」
「ん?」
勇豪は聞き慣れた声に振り向く。
「なんだ浩源。やっと来たのか」
浩源は王宮の門扉にいる勇豪に駆け寄ってきた。
「やっとも何も、勇豪さんが早すぎるんですよ」
僅かに肩で息をしながら、浩源が勇豪の目をじっと見つめる。
「もう少し、あと数週間。いや一週間もあればなんとかしてみますから、だから……」
「はは、お前も気にしいだなあ」
勇豪は二度、浩源の肩を軽く叩く。
「俺はここに未練はねえさ。もう潮時だ。それにこれ以上王の名を傷つけたくないのさ」
浩源はその手を撥ね除ける。
「そんなの!貴方がいなくなる理由にはならないです!」
「いいんだよ」
勇豪は静かな瞳で浩源を見つめる。
「後は頼んだぞ、護衛長」
浩源の顔が歪む。
「ッ!絶対、絶対に戻れるようにしますから」
「……お前のそんな顔、初めて見たなあ」
浩源は強く目をこする。
勇豪の左手が浩源の近くで彷徨った。しかしそれが浩源に触れることはなかった。
「期待しておくよ。一応な」
ひら、と勇豪は手を振る。
「じゃあなぁ」
勇豪の姿は王宮の外に消えていった。
浩源はその後ろ姿をいつまでも見つめ続けるのであった。
*包袱…風呂敷に近い物。衣服や道具などを包んで持ち運ぶ布。
ドン、と文机に拳が叩きつけられる。
あまりの激しさに机の表面はひび割れていた。ひびはささくれを生んで男の手を傷つけ、傷からは血が滲み始めた。が、男に気にする様子はない。
「無理にでも付いていけば……!」
腹の底から引き絞られた叫びは小さな部屋を足早に出ていき、男は結髪を激しく掻き毟る。
乱れた髪は彼の顔を隠し、表情を読み取らせるのを邪魔した。
「あ、あのッ!」
ハッと男が顔を上げた。
その裏返った声は小柄な兵士のものであった。彼は小部屋の入口で立ち竦み、手には溢れんばかりの木簡を抱えていた。
男は細い目で弧を描く。
「ああ、書類を運んでくれたんですね。ありがとうございます」
先程までの様子が嘘のように穏やかな口振りで男は話す。
男は木簡を受け取るために膝を立てた。が、上ずった声が慌てて止める。
「あ、いや、そんなッ座っててください!自分、運びますから!」
「……そうですか。では遠慮なく」
すとん、と男は座り直す。
兵士は男の文机の横に木簡を置く。すると……。
「ッ!すみません」
兵士の震えた手が木簡の山を突き崩してしまう。
彼は狼狽えて男を見やる。
それに対して男は優しく笑みを浮かべた。
「大丈夫ですよ。気にしないでください」
「は、はい」
兵士はほっと一息つく。
男は微笑みを崩さずに彼を労う。
「届けてくれてありがとうございました。もう仕事場に戻っていいですよ」
「わ、分かりました。失礼します」
兵士は一礼すると、素早くその場を立ち去っていった。
「はぁ……」
浩源は大きなため息を吐いて顔を手で覆い、文机に肘をつく。
「まさか見られるなんて」
そう呟きながら机の上に置いてあった木簡を手に取る。
「最悪な予想が当たってしまうなんて…………やはり報告会に参加すべきだった」
みし、と音が立つ。
浩源は流麗な文字列が綴られた木簡を握りしめていた。
「なんとか、なんとか今からでもッ!」
手にしていたのを乱雑に投げ出すと、届いたばかりの木簡を漁る。
「勇豪さんは必ず私が……!あんな小娘のために、勇豪さんが犠牲になる必要はないッ!」
浩源の目に仄暗い焔が宿るのであった――――
燦燦と降り注ぐ太陽の下、兵舎からは低くくぐもった声が聞こえてくる。
「お前らいつまで泣いてんだ!大の男どもがみっともねえ!」
そんな声を振り払うように勇豪の叱責が響き渡る。
「でも、護衛長ッ!」
勇豪を囲むように立っている兵士たちが涙声で叫ぶ。
「俺はもう護衛長じゃねぇよ。それにもう貴族でもないんだ、普通に名前で呼んでいいんだぜ?」
「そんな……!そんな寂しいこと言わないでくださいよ!」
「寂しいも何も、事実なんだから仕方ないだろう」
「それでも……俺たちにとって護衛長はいつまでも護衛長ですから!」
「ははは!お前ら普段ンなこと言わねえくせに、こういうときばっかりは都合がいいんだもんな」
勇豪は大きく肩を竦めた。
兵士たちは更に言い募る。
「だって、今言わないでいつ言うんですかッ!」
「そうですよ!あんな僻地に飛ばされたら、もう二度と会えないじゃないですかッ」
「護衛長の作戦があったから俺たちは生き残れたのに……なんで護衛長だけがこんな目に……」
兵士らの言葉に勇豪は飄々と答える。
「これだけで済んだんだ。むしろ俺は、王の寛大な対応に感謝してるんだぜ?」
「けど、なんだって王は子佑殿を王宮に残したんですかッ。護衛長だけ剥奪と追放だなんて、納得出来ません」
途端、勇豪の目が険しくなる。
「俺が全部引き受けるって決めたんだ。そこだけは勘違いすんじゃねぇ」
ビクッと兵士たちの身体が硬直する。
勇豪はハッとすると、優しく微笑む。
「それに、生きてりゃいつかは……なんてこともあるだろう?」
「……ッ!」
それは到底有り得ない未来。
戦以外で都城を出ることがない雑兵にとってそれは夢物語であった。
兵士たちはますます言葉に詰まる。
「はぁ……ったく。分かった。分かったよ!お前らの気持ちはよく分かった」
涙と鼻水に塗れた兵士たちが一斉に顔を上げる。
「気持ちは有り難く受け取っておく。でももう俺がいなくてもお前たちなら十分やってけるさ。なんせ、俺がそうやって鍛えたんだからな」
兵士たちの涙が増していく。
「護衛長!俺もっと教えてほしかったです」
「俺も、弓を教えてもらう約束だったのに!」
「俺だってッ!」
「だから泣くなって!」
勇豪の眉尻は困ったように下がっていた。だが、そこに悲壮感はない。
「全くキリがありゃしねえ。もう行くぞ」
「護衛長!」「ごえいちょおお!」
「ははは!随分と汚ねえ見送りだなあ。ま、達者でな」
そう言って包袱*を携えた勇豪は、兵舎に背中を向けた。
「待ってください勇豪さん!」
「ん?」
勇豪は聞き慣れた声に振り向く。
「なんだ浩源。やっと来たのか」
浩源は王宮の門扉にいる勇豪に駆け寄ってきた。
「やっとも何も、勇豪さんが早すぎるんですよ」
僅かに肩で息をしながら、浩源が勇豪の目をじっと見つめる。
「もう少し、あと数週間。いや一週間もあればなんとかしてみますから、だから……」
「はは、お前も気にしいだなあ」
勇豪は二度、浩源の肩を軽く叩く。
「俺はここに未練はねえさ。もう潮時だ。それにこれ以上王の名を傷つけたくないのさ」
浩源はその手を撥ね除ける。
「そんなの!貴方がいなくなる理由にはならないです!」
「いいんだよ」
勇豪は静かな瞳で浩源を見つめる。
「後は頼んだぞ、護衛長」
浩源の顔が歪む。
「ッ!絶対、絶対に戻れるようにしますから」
「……お前のそんな顔、初めて見たなあ」
浩源は強く目をこする。
勇豪の左手が浩源の近くで彷徨った。しかしそれが浩源に触れることはなかった。
「期待しておくよ。一応な」
ひら、と勇豪は手を振る。
「じゃあなぁ」
勇豪の姿は王宮の外に消えていった。
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