永遠の伴侶(改定前)

白藤桜空

文字の大きさ
35 / 91
二羽は木陰で羽を休める

35

しおりを挟む
「くそッ!」
 ドン、と文机ふづくえに拳が叩きつけられる。
 あまりの激しさに机の表面はひび割れていた。ひびはささくれを生んで男の手を傷つけ、傷からは血が滲み始めた。が、男に気にする様子はない。
「無理にでも付いていけば……!」
 腹の底から引き絞られた叫びは小さな部屋を足早に出ていき、男は結髪けっぱつを激しくむしる。
 乱れた髪は彼の顔を隠し、表情を読み取らせるのを邪魔した。

「あ、あのッ!」
 ハッと男が顔を上げた。
 その裏返った声は小柄な兵士のものであった。彼は小部屋の入口で立ち竦み、手には溢れんばかりの木簡もっかんを抱えていた。
 男は細い目で弧を描く。
「ああ、書類を運んでくれたんですね。ありがとうございます」
 先程までの様子が嘘のように穏やかな口振りで男は話す。
 男は木簡を受け取るために膝を立てた。が、上ずった声が慌てて止める。
「あ、いや、そんなッ座っててください!自分、運びますから!」
「……そうですか。では遠慮なく」
 すとん、と男は座り直す。
 兵士は男の文机の横に木簡を置く。すると……。
「ッ!すみません」
 兵士の震えた手が木簡の山を突き崩してしまう。
 彼は狼狽うろたえて男を見やる。
 それに対して男は優しく笑みを浮かべた。
「大丈夫ですよ。気にしないでください」
「は、はい」
 兵士はほっと一息つく。
 男は微笑みを崩さずに彼をねぎらう。
「届けてくれてありがとうございました。もう仕事場に戻っていいですよ」
「わ、分かりました。失礼します」
 兵士は一礼すると、素早くその場を立ち去っていった。



「はぁ……」
 浩源ハオヤンは大きなため息を吐いて顔を手で覆い、文机に肘をつく。
「まさか見られるなんて」
 そう呟きながら机の上に置いてあった木簡を手に取る。
「最悪な予想が当たってしまうなんて…………やはり報告会に参加すべきだった」
 みし、と音が立つ。
 浩源は流麗な文字列が綴られた木簡を握りしめていた。
「なんとか、なんとか今からでもッ!」
 手にしていたのを乱雑に投げ出すと、届いたばかりの木簡を漁る。
勇豪ヨンハオさんは必ず私が……!あんな小娘のために、勇豪さんが犠牲になる必要はないッ!」
 浩源の目に仄暗いほむらが宿るのであった――――









 燦燦と降り注ぐ太陽の下、兵舎からは低くくぐもった声が聞こえてくる。
「お前らいつまで泣いてんだ!大の男どもがみっともねえ!」
 そんな声を振り払うように勇豪ヨンハオの叱責が響き渡る。
「でも、護衛長ッ!」
 勇豪を囲むように立っている兵士たちが涙声で叫ぶ。
「俺はもう護衛長じゃねぇよ。それにもう貴族でもないんだ、普通に名前で呼んでいいんだぜ?」
「そんな……!そんな寂しいこと言わないでくださいよ!」
「寂しいも何も、事実なんだから仕方ないだろう」
「それでも……俺たちにとって護衛長はいつまでも護衛長ですから!」
「ははは!お前ら普段ンなこと言わねえくせに、こういうときばっかりは都合がいいんだもんな」
 勇豪は大きく肩をすくめた。

 兵士たちは更に言い募る。
「だって、今言わないでいつ言うんですかッ!」
「そうですよ!あんな僻地に飛ばされたら、もう二度と会えないじゃないですかッ」
「護衛長の作戦があったから俺たちは生き残れたのに……なんで護衛長だけがこんな目に……」
 兵士らの言葉に勇豪は飄々と答える。
で済んだんだ。むしろ俺は、王の寛大な対応に感謝してるんだぜ?」
「けど、なんだって王は子佑ジヨウ殿を王宮に残したんですかッ。護衛長だけ剥奪と追放だなんて、納得出来ません」
 途端、勇豪の目が険しくなる。
全部引き受けるって決めたんだ。そこだけは勘違いすんじゃねぇ」
 ビクッと兵士たちの身体が硬直する。
 勇豪はハッとすると、優しく微笑む。
「それに、生きてりゃいつかは……なんてこともあるだろう?」
「……ッ!」
 それは到底有り得ない未来。
 いくさ以外で都城とじょうを出ることがない雑兵にとってそれは夢物語であった。
 兵士たちはますます言葉に詰まる。

「はぁ……ったく。分かった。分かったよ!お前らの気持ちはよく分かった」
 涙と鼻水に塗れた兵士たちが一斉に顔を上げる。
「気持ちは有り難く受け取っておく。でももう俺がいなくてもお前たちなら十分やってけるさ。なんせ、俺がそうやって鍛えたんだからな」
 兵士たちの涙が増していく。
「護衛長!俺もっと教えてほしかったです」
「俺も、弓を教えてもらう約束だったのに!」
「俺だってッ!」
「だから泣くなって!」
 勇豪の眉尻は困ったように下がっていた。だが、そこに悲壮感はない。
「全くキリがありゃしねえ。もう行くぞ」
「護衛長!」「ごえいちょおお!」
「ははは!随分と汚ねえ見送りだなあ。ま、達者でな」
 そう言って包袱パオフー*を携えた勇豪は、兵舎に背中を向けた。



「待ってください勇豪ヨンハオさん!」
「ん?」
 勇豪は聞き慣れた声に振り向く。
「なんだ浩源ハオヤン。やっと来たのか」
 浩源は王宮の門扉にいる勇豪に駆け寄ってきた。
「やっとも何も、勇豪さんが早すぎるんですよ」

 僅かに肩で息をしながら、浩源が勇豪の目をじっと見つめる。
「もう少し、あと数週間。いや一週間もあればなんとかしてみますから、だから……」
「はは、お前も気にしいだなあ」
 勇豪は二度、浩源の肩を軽く叩く。
「俺はここに未練はねえさ。もう潮時だ。それにこれ以上王の名を傷つけたくないのさ」
 浩源はその手をける。
「そんなの!貴方がいなくなる理由にはならないです!」
「いいんだよ」

 勇豪は静かな瞳で浩源を見つめる。
「後は頼んだぞ、
 浩源の顔が歪む。
「ッ!絶対、絶対に戻れるようにしますから」
「……お前のそんな顔、初めて見たなあ」
 浩源は強く目をこする。
 勇豪の左手が浩源の近くで彷徨った。しかしそれが浩源に触れることはなかった。
「期待しておくよ。一応な」
 ひら、と勇豪は手を振る。
「じゃあなぁ」
 勇豪の姿は王宮の外に消えていった。
 浩源はその後ろ姿をいつまでも見つめ続けるのであった。









 *包袱パオフー…風呂敷に近い物。衣服や道具などを包んで持ち運ぶ布。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

17歳男子高生と32歳主婦の境界線

MisakiNonagase
恋愛
32歳主婦のカレンはインスタグラムで20歳大学生の晴人と知り合う。親密な関係となった3度目のデートのときに、晴人が実は17歳の高校2年生だと知る。 カレンと晴人はその後、どうなる?

Millennium226 【軍神マルスの娘と呼ばれた女 6】 ― 皇帝のいない如月 ―

kei
歴史・時代
周囲の外敵をことごとく鎮定し、向かうところ敵なし! 盤石に見えた帝国の政(まつりごと)。 しかし、その政体を覆す計画が密かに進行していた。 帝国の生きた守り神「軍神マルスの娘」に厳命が下る。 帝都を襲うクーデター計画を粉砕せよ!

獅子の末裔

卯花月影
歴史・時代
未だ戦乱続く近江の国に生まれた蒲生氏郷。主家・六角氏を揺るがした六角家騒動がようやく落ち着いてきたころ、目の前に現れたのは天下を狙う織田信長だった。 和歌をこよなく愛する温厚で無力な少年は、信長にその非凡な才を見いだされ、戦国武将として成長し、開花していく。 前作「滝川家の人びと」の続編です。途中、エピソードの被りがありますが、蒲生氏郷視点で描かれます。

直違の紋に誓って

篠川翠
歴史・時代
かつて、二本松には藩のために戦った少年たちがいた。 故郷を守らんと十四で戦いに臨み、生き延びた少年は、長じて何を学んだのか。 二本松少年隊最後の生き残りである武谷剛介。彼が子孫に残された話を元に、二本松少年隊の実像に迫ります。

屋上の合鍵

守 秀斗
恋愛
夫と家庭内離婚状態の進藤理央。二十五才。ある日、満たされない肉体を職場のビルの地下倉庫で慰めていると、それを同僚の鈴木哲也に見られてしまうのだが……。

愛しているなら拘束してほしい

守 秀斗
恋愛
会社員の美夜本理奈子(24才)。ある日、仕事が終わって会社の玄関まで行くと大雨が降っている。びしょ濡れになるのが嫌なので、地下の狭い通路を使って、隣の駅ビルまで行くことにした。すると、途中の部屋でいかがわしい行為をしている二人の男女を見てしまうのだが……。

屈辱と愛情

守 秀斗
恋愛
最近、夫の態度がおかしいと思っている妻の名和志穂。25才。仕事で疲れているのかとそっとしておいたのだが、一か月もベッドで抱いてくれない。思い切って、夫に聞いてみると意外な事を言われてしまうのだが……。

熟女愛好家ユウスケの青春(熟女漁り)

MisakiNonagase
恋愛
高校まで勉強一筋で大学デビューをしたユウスケは家庭教師の教え子の母親と不倫交際するが、彼にとって彼女とが初の男女交際。そこでユウスケは自分が熟女好きだと自覚する。それからユウスケは戦略と実戦を重ねて、清潔感と聞き上手を武器にたくさんの熟女と付き合うことになるストーリーです。

処理中です...