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第2章
よりよい演技のために
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次が身内の中では一番気の重い、知八への挨拶だった。
「ええねん。僕あんまり小春やりとうなかったし」
「ええ!」
「それにな、蓮十郎兄さんが、次の花形で立役つけたるて言うてくれはったから、僕、そのほうがええんや。せやし、綾は気にせんときや」
と言ってはくれるものの、知八にはいつもの元気がない。
御曹司の知八には、綾之助などとは比べ物にならないくらい、よい役を演じるチャンスは多い。とはいえ、この若く美しい時期に小春を演じる機会がそう何度もあるはずも無く、やはり今回演じてみたいという気持ちもあったに違いないのだ。本来なら怒鳴りつけられても仕方ないところである。
「ありがとうございます。この恩は忘れません」
「大げさなこと言うなあ、綾は」
弟子筋から菓子折りなんかを持参するのも失礼なので、綾之助は手ぶらできたが、さっきの幸弥のことばが心に引っかかっていたのでつい聞いてみた。
「ぼんは、クッキー好きですか?」
「は? まあ、取り立てて好きでもないけど…嫌いでもないけど。なんで?」
「そうですよねぇ。なんか幸弥の旦那が、ぼんに挨拶行くとき、手作りクッキー持っていけ、言わはったんです。ちょっと意味分からへんのですけど」
「なんやそれ!」
「なんやそれですよねぇ」
「なんで持ってけぇへんかったんや!」
「え?」
「大叔父さんの言うことは、ちゃんと聞かなあかんやろ!」
突然の知八の剣幕についていけないまでも、知八の言うことにも一理あるので一応綾之助は謝った。
「すみません。今からでも作ったほうがいいですかね」
「あ、うん。そやな。別にいつでもいいけど、持ってきたほうがええんとちゃうかな。その方が僕も、大叔父さんに、綾之助はちゃんとクッキー持ってきましたって報告ができるからな」
「分かりました。せやったら、明日持ってきます」
「そうか。まあ、急がんでもええで。綾の手が空いた時でええからな」
急に態度が軟化した知八はご機嫌も急に上向き、いつもの調子が戻ったようだった。
「ええお庄を期待してるからな」
そう言って送り出してくれた。
家に帰った綾之助は、クッキーを作る。発酵を待つ間、片岡我童や尾上菊次郎のお庄の映像を見て勉強した。この役は上方の色を濃く受け継いだ役者にこそ相応しいだろう。自分にそれだけの資格があるのかはよく分からないが、その資格があると信じてやり切るしかない。
それにしても、こう目立つ役を次々と振られるとは信じがたいことだ。どうも自分は売り出しにかけられているらしい。
家の力という後ろ盾のない綾之助に、「ご贔屓のいずれも様」という一つの大きな後ろ盾をつけようと、専務も、相模屋の幹部連も画策して、いい役を引っ張ってきてくれているのだ。同時にそれは、それだけの大役をこなせる、お客様を納得させるだけの演技ができると信じて貰っているということでもある。
よいお庄を演じなくてはならない。
そう思ったときに、綾之助の脳裏にひとりの人物の顔が浮かんだ。
自分が初めて見たお庄、その演技に深く感銘を受けた役者の顔である。
翌日、紋司郎の着替えを手伝いながら、綾之助はいつ要件を切り出そうかとそわそわしていた。
「綾之助、落ち着きがない。目にうるさいからやめなさい」
本番前は紋司郎も多少気が立っているのでことばが荒い。
「すみません…」
しゅんとうなだれて、綾之助は謝った。
「なんか言いたいことあるんやったら、言うてみ」
お願い事をするには最悪のタイミングである。しかしここで黙り込んでいても叱られる。綾之助は悩んだが、ここで打ち明けておくことにした。
「……『河庄』のお庄のお役、杜若さんに教えていただきたいんです。それで、旦那にお口添えをお願いできへんかと思って」
「なんやそれ」
師匠の本番前に自分のことで手いっぱいになっていたのだから、師匠が機嫌を損ねるのも当然のことである。
「そんなん自分でお願いに行ったらええやろ」
取り付く島もなかった。
「ええねん。僕あんまり小春やりとうなかったし」
「ええ!」
「それにな、蓮十郎兄さんが、次の花形で立役つけたるて言うてくれはったから、僕、そのほうがええんや。せやし、綾は気にせんときや」
と言ってはくれるものの、知八にはいつもの元気がない。
御曹司の知八には、綾之助などとは比べ物にならないくらい、よい役を演じるチャンスは多い。とはいえ、この若く美しい時期に小春を演じる機会がそう何度もあるはずも無く、やはり今回演じてみたいという気持ちもあったに違いないのだ。本来なら怒鳴りつけられても仕方ないところである。
「ありがとうございます。この恩は忘れません」
「大げさなこと言うなあ、綾は」
弟子筋から菓子折りなんかを持参するのも失礼なので、綾之助は手ぶらできたが、さっきの幸弥のことばが心に引っかかっていたのでつい聞いてみた。
「ぼんは、クッキー好きですか?」
「は? まあ、取り立てて好きでもないけど…嫌いでもないけど。なんで?」
「そうですよねぇ。なんか幸弥の旦那が、ぼんに挨拶行くとき、手作りクッキー持っていけ、言わはったんです。ちょっと意味分からへんのですけど」
「なんやそれ!」
「なんやそれですよねぇ」
「なんで持ってけぇへんかったんや!」
「え?」
「大叔父さんの言うことは、ちゃんと聞かなあかんやろ!」
突然の知八の剣幕についていけないまでも、知八の言うことにも一理あるので一応綾之助は謝った。
「すみません。今からでも作ったほうがいいですかね」
「あ、うん。そやな。別にいつでもいいけど、持ってきたほうがええんとちゃうかな。その方が僕も、大叔父さんに、綾之助はちゃんとクッキー持ってきましたって報告ができるからな」
「分かりました。せやったら、明日持ってきます」
「そうか。まあ、急がんでもええで。綾の手が空いた時でええからな」
急に態度が軟化した知八はご機嫌も急に上向き、いつもの調子が戻ったようだった。
「ええお庄を期待してるからな」
そう言って送り出してくれた。
家に帰った綾之助は、クッキーを作る。発酵を待つ間、片岡我童や尾上菊次郎のお庄の映像を見て勉強した。この役は上方の色を濃く受け継いだ役者にこそ相応しいだろう。自分にそれだけの資格があるのかはよく分からないが、その資格があると信じてやり切るしかない。
それにしても、こう目立つ役を次々と振られるとは信じがたいことだ。どうも自分は売り出しにかけられているらしい。
家の力という後ろ盾のない綾之助に、「ご贔屓のいずれも様」という一つの大きな後ろ盾をつけようと、専務も、相模屋の幹部連も画策して、いい役を引っ張ってきてくれているのだ。同時にそれは、それだけの大役をこなせる、お客様を納得させるだけの演技ができると信じて貰っているということでもある。
よいお庄を演じなくてはならない。
そう思ったときに、綾之助の脳裏にひとりの人物の顔が浮かんだ。
自分が初めて見たお庄、その演技に深く感銘を受けた役者の顔である。
翌日、紋司郎の着替えを手伝いながら、綾之助はいつ要件を切り出そうかとそわそわしていた。
「綾之助、落ち着きがない。目にうるさいからやめなさい」
本番前は紋司郎も多少気が立っているのでことばが荒い。
「すみません…」
しゅんとうなだれて、綾之助は謝った。
「なんか言いたいことあるんやったら、言うてみ」
お願い事をするには最悪のタイミングである。しかしここで黙り込んでいても叱られる。綾之助は悩んだが、ここで打ち明けておくことにした。
「……『河庄』のお庄のお役、杜若さんに教えていただきたいんです。それで、旦那にお口添えをお願いできへんかと思って」
「なんやそれ」
師匠の本番前に自分のことで手いっぱいになっていたのだから、師匠が機嫌を損ねるのも当然のことである。
「そんなん自分でお願いに行ったらええやろ」
取り付く島もなかった。
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