歌舞伎役者に恋をしました。

野咲

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第3章

楽しいひととき

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 待ち合わせ場所に現れた拓真は上機嫌だった。
「来てくれて、ありがとうございます」
「ええ……」
 綾之助はなんとも言えず、あいまいな返事をした。こんなに浮き立っている人に、自分はちゃんと今後の個人的なお付き合いのお断りを言う勇気があるだろうか?
 綾之助の内心は苦悩でいっぱいだった。
「きっとこの辺のことは綾之助さんの方が詳しいだろうけど、僕の選んだ店でいいですか?」
 拓真はあまり乗り気でないらしい綾之助の雰囲気を読み取って、さり気なくエスコートしてくれた。
「ええ、それで結構です」

 拓真は肩肘を張らないで使えるようなビストロを選んだ。遠慮しなくてはならないほど値段は高くはなく、それでいて良質でおいしい料理を出してくれる店だ。
 センスがいいと思う。葦嶋社長は遊ばせていないと言っていたが、このセンスは遊び慣れした人のものじゃないのか? と綾之助は訝しむ。
「素敵なお店ですね。よく来られるんですか?」
「うん。僕、営業やってますので。お客さんをお連れして何度か」
「拓真さん、役員さんじゃないんですか?」
「えー?」
 拓真は笑いだした。
「僕、アシジマの子会社の食品メーカーの営業なんですよ。オヤジがああいう人なんで、いきなり役員とかはないです。ちゃんと現場で苦労しろっていう方針なんで」
「へえ!」
 葦嶋社長は柔和なお人柄だが、意外と本当に子どもには厳しいらしい。
「営業のいいところはね、会社のお金で美味しいものを食べられるところですよ。あ、この店で使っているソースはね、全部うちの商品なんです。よかったら食べてみてください」
 食べ物について語る拓真は生き生きしていた。自分の仕事に誇りを持って取り組んでいるんだな、ということが伝わる。綾之助は拓真に勧められたメニューを頼んだ。

「今月の舞台はね、一回目は後援会で取ってもらったチケットで見に来たんだけど、今日は自分でチケットを取ったんです。どうしても、あなたの舞台がもう一度見たくて。有給取りました」
 そう言って、少し恥ずかしそうに拓真は笑った。
「ええ? 有給?」
「だって休日は接待とかあって、なかなか見に来れないんですもん」
 ちょっと拗ねたように拓真は言い訳した。
「あなたの役、すごく素敵だった。若くてきれいな役じゃないけど、年齢を重ねた女性の艶みたいのがあって、情もあって、すごくきれいだった」
「……ありがとうございます」
 ベタ褒めである。

 なんだか、この人はどうも最初の印象とは違って、芝居好きのような気がする。同じ演目をこの短い期間で飽きもせずみられるというのは好きな人間だからこそだと思うし、芝居もよく理解して結構ちゃんと見ている。
 ただ、綾之助ばかり注目して見ている感じはあった。
「あなたが出てきたとき、すごく昂まっちゃって、思わず叫んじゃいました」
 一瞬意味がわからなくて、綾之助はチキンを咀嚼しながら考えた。
「! じゃあ、あの大向うは、拓真さんだったんですか!」
「え?」
「あの、『相模屋!』っていう声ですよ」
「ああ、そうですね、それ、私です」
 綾之助は開いた口がふさがらなかった。
「……なにか、まずかったですか?」
 恐る恐ると言った感じで、拓真が問いかけてきた。
「いえ、まずくはないんですが、」
 適当にお茶を濁そうとしたが、それでは結局いつまでたっても拓真には伝わらないと思い直した。
「拓真さん。大向うから声をかけていただく、というのは役者冥利に尽きます。しかし、私はただの平名題です。主になるお二人を差し置いて私だけが声をかけられるというのは、やはり恐れ多いことです」
 拓真は綾之助の言ったことが正確なところは分かっていなかったが、なにかまずいことをしたのだというのは分かった。
「すみません。ただ、僕にとってはあなたの出番は待ちに待ったもので……、あなたが出てきただけで、本当にうれしくて、ああ、こういう時にみんな叫んじゃうんだなって思って、思わず口をついて出てしまった」
「それは、すごくうれしいですが」
 しかし、ワキの役者にここまで入れ込む客もなかなか珍しい。玄人さんならともかく。
「蓮十郎さんはどう思いましたか」
「すごく演技のうまい方だなと思いました。ただ……また、前とおんなじようなことを言うので申し訳ないんだけど、僕はあの人の役、あんまり好きじゃないな」
「ええ!」
 これには本当に綾之助は驚いた。綾之助は蓮十郎の演じる治兵衛が好きなので、その拓真の気持ちが全然わからない。
「だって、あんな情けない男近くにいたら、本当に腹が立つ。しかもさらにムカつくのはさ、」
 そこで拓真は本当に腹立たしげにフォークを置いた。
「あんなんなのに、すごい女にモテてるってとこ!」
「えー、だってかわいいですやん、治兵衛」
 綾之助がそう言うと、拓真は口を尖らしていった。
「綾之助さんも、ああいう男が好きなの?」
「え? ええ、まあ。ああいう人は、こう、女性の母性本能をくすぐるんとちゃいますか」
「そうなのかなー」
 どこか不服そうに拓真は言った。
 知らせる文面だった。
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