歌舞伎役者に恋をしました。

野咲

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第4章

偶然会う

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     同人誌「上方歌舞伎」 一八九号掲載「芳沢杜若自主公演 たちばな会」の劇評
「企画者である杜若を欠くことに不安もあったが、蓋を開けてみれば、杜若の不在を埋めるべく出演者は奮起し、存分に上方歌舞伎の醍醐味を味わえる素晴しい舞台となった。

『梶原平三誉石切』星合寺の場
 現在では非常にめずらしい、上方の型で石切の場を出した。
 杜若の代役・紋司郎は、六郎太夫には役者が大きすぎる感があったが、抑えた演技で芯を立て、慈愛に満ちた心ある演技で、老け役でもその力を発揮した。喜之助の大庭も品と風格を備え、魅力ある立敵。栄七郎も健闘した。音右衛門が梶原を演じるのは実に三十年ぶりである。口跡よし、振舞よし、見ごたえある舞台だった。なによりも和泉屋のお家芸がここに復活したことが喜ばしい。

『傾城反魂香』土佐将監閑居の場 
 音右衛門の又平、紋司郎のお徳という安定のコンビ。とは言え、この配役で吃又を演るのも七年ぶりで、貴重な顔合わせであったことは間違いない。しかし、杜若がどんなお徳を演るつもりだったのか、自主公演ならではの配役での吃又も見たかったのが本音である。

 江戸の型で演じられることが比較的多いこの二つの演目を、今の上方歌舞伎を代表する役者でやった今回の公演は、上方歌舞伎の未来のためにも意義深いものだった。この場に上方の生き字引とも言える杜若がいないのは、いかにも惜しい。
 一日も早い、芳沢杜若丈の回復をお祈りしております。」

 綾之助は大型書店で買ってきた最新の「上方歌舞伎」を杜若に見せた。
「はよ良うならなあきませんね。みんな待ってはります」
「三宅さんは私を贔屓にしてくれてはるから、こんな文章なんやで」
「三宅さんだけやないですよ」
 杜若はその記事のページをゆっくりと撫でながら言った。
「また舞台に立てるもんやろか」
「立ってもらわな困ります」
「……綾之助さん。こんなおじいちゃんと一緒に舞台立ちたいか」
「もちろんです。うちは、もっと杜若さんの演技が見たいし、勉強させてもらいたいと思ってます」
「そうかあ」
 杜若はにっこりと笑った。
「ほんならもうひとがんばりしなあかんなあ」
 自主公演がなんとか無事に終わったこと、杜若の復帰を望む皆の声などが後押しとなって、杜若は随分元気を取り戻したようだった。

 杜若は綾之助に色々な話をしてくれた。特に杜若の師である先代紋司郎の舞台のこと、音右衛門と行った巡業の話など、綾之助の知らない時代の話を聞けたことは、綾之助にとってとてもうれしいことだった。
 自主公演が終わった報告を兼ねて、紋司郎が杜若の見舞いに来る前日、綾之助が暇乞いをすると、杜若は言った。
「綾之助さん。明日は来なくていいから」
「わかりました」
 紋司郎といろいろ話したいことがあるのかもしれない。綾之助は久しぶりに一日ゆっくり過ごそうと思った。

 翌日、午前中の義太夫の稽古が終われば、その日一日綾之助にはなんの用事もなかった。
 最近病院に行ってばかりだったので、たまには街中に出かけよう。そう思い立って、綾之助はなんばへ向かった。

 駅前の百貨店のロビーに入ると、イベントスペースになにやら人だかりがしていた。横目に通り過ぎようとした綾之助の目に、「アシジマ」のロゴマークが飛び込んできた。葦嶋酒造の食品ブランドである。
「ご試食、いかがですか?」
 愛想のいいキャンペーンガールが爪楊枝をさしたケーキを勧めてくれる。反射的に受け取ってから、ケーキの説明を読んでみると、この間レセプションに参加したブランデーを使った新商品のようだ。
 ケーキを口に含むと、ブランデーの香りがケーキにコクを出して、なかなか美味しい。
 買って行けば、紋司郎に褒められるかもしれない。

「いかがですか」
 後ろから声をかけられて、綾之助はびっくりした。目の端にスーツが映って、アシジマの社員かも知れないと思い、居住まいを正す。
「え、拓真さん?」
 その男の顔を見て、綾之助は驚いた。
「こんなところでお会いするとは思いも寄りませんでした」
「今日はキャンペーンの初日だったので、応援に来たんです。僕も、あなたに会えるとは思わなかったな」
 拓真はうれしそうにそう言った。
「食べていただいたんですね」
 綾之助の手の中にある爪楊枝を見て、拓真はにっこりと笑った。
「え、ええ。すごくおいしかったです」
「よかった。当社の自信作なんです」
 今日の拓真はなにかイメージが違う。綾之助はずっと拓真のことを「葦嶋の御曹司」として見てきたのだが、この人はサラリーマンなんだな、と当たり前のことを綾之助は思った。なにがそう思わせるんだろう。しゃべり方? 今は彼の仕事中だから?
「ああ、スーツが違う」
 思わず声に出してしまって、綾之助は慌てた。
 いつも綾之助に会うときの拓真のスーツは体にぴったりとあった、シワ一つ無い良いスーツなのに、今日拓真が着ているスーツは少しクタっとしている。
「え?」
「す、すみません。拓真さんって、仕事着と遊び着って違います?」
「え!」
「なんかいつもとスーツが違いますよね」
「あ……」
 拓真はちょっと恥ずかしそうにした。
「ええ。ああいう場所に行くときはいいスーツを着ろと父に言われまして。でもああいうスーツ着てると汚さないか不安で、仕事中には着にくくて ……。お見苦しくて申し訳ない」
「そんなことないです。むしろ今のスーツの方がかっこええと思います。働いている人のスーツだなあ、て思います」
 お金持ちの拓真が、意外と庶民的なことを考えていたのを知って、綾之助はなんだか嬉しくなってしまった。しかし、そう言われて拓真はひどく恥ずかしかったらしい。
「そう言っていただけると救われますが。ありがとうございます」
 悪いことを言ってしまったかな。綾之助は反省した。
「これ、いただこうかな」
「ありがとうございます! では、入金してきますね」
 レジに走っていく拓真は近寄りがたさが欠片もなく、パーティのときとは別人のようだった。

 レジを待っている間に紋司郎から電話が掛かってきた。
「綾之助。今、どこに居てますの」
「今、なんばにおりますが」
「そうか。ほんなら悪いけど、今から杜若さんの病院まで来てもらえますか」
 そう言われれば否やはない。そうだ、ケーキはおみやげにしよう。
「分かりました。すぐに向かいます」
 電話を切ったら、包装されたケーキを拓真が手渡してくれた。
「ありがとうございました」
「こちらこそありがとうございます」
「また綾之助さんの舞台、見に行きますね。僕は、あなたの、ファン、ですから」
「ありがとうございます」
 それは、こうやって会うようなことはもうないと宣言されているようで、それは綾之助が望んだことのはずなのに、本当はあまり嬉しくなかった。
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