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第7章
浴衣はじめ
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六月三十日。谷町線に乗ると、愛染さんのお祭りに向かう浴衣姿の女性たちが目に付いた。楽しげな彼女たちを横目に、綾之助は深いため息を吐く。仕事に行きたくない。
今日は歌舞伎役者の船乗り込みである。
昔は江戸や京から大坂にやってくる役者が、道頓堀まで派手な船で乗り付けて、目立ちついでに興行の宣伝をするという行事だったのだが、今や出身地に関係なく人気の歌舞伎役者が船に乗って八軒家浜から道頓堀まで川を下る夏の風物詩となっている。
今月、綾之助にはそう大した役はついていないというのに、なぜか船乗り込みのメンバーに入っていた。襲名バブルはかくも恐ろしい。さらに、発表された船の席次を見た綾之助の苦悩は深かった。なぜか、綾之助は大竹三也と同じ船に乗り込むことになっていたのだ。
三〇分以上至近距離で隣同士。しんどい。
しかし、気が重かろうがなんだろうが、仕事をサボることはできない。
集合場所に着いた綾之助は三也を見つけて、いややなあ、と思いながらも挨拶をすべく近づいていった。すると、綾之助を見つけた三也の方から、なんと笑みを浮かべて話しかけてきたのだ。
「綾之助さん。同じ船ですね。よろしくお願いします」
あまりに思いがけないことに、綾之助は一瞬返事に詰まった。
「こ、こちらこそよろしくお願いいたします。うち、船乗り込みはじめてなので、ご迷惑をおかけするかもしれませんが」
「大丈夫ですよ。何かわからないことがあれば、聞いてくださいね」
とてもイヤミには見えない笑顔で言って、三也は去っていった。
三也の後ろ姿を見送って、綾之助は思わず紋乃の袖をつかんだ。彼は綾之助の準備を手伝ってくれていたのだ。
「み、見たか紋乃」
「うん」
動揺する綾之助にたいして、紋乃は冷静だった。
「綾之と知八さんのこと噂になってるから、綾之に気ぃ遣うことにしたんやろ。やりやすうなってよかったやん」
「噂てなに」
「だから、二人は付き合うてるって噂。まぁ、さすがにあの人も知八さんの恋人は虐めにくいわな」
「なんで、そ、そんな噂が!」
「なんや、バレてへんと思うてたんか」
「バレてへん? バレてへんとか以前に、付き合うてへん!」
「お前……」
紋乃がかわいそうなものを見る目で綾之助を見た。
「親友の俺にまで嘘つかんでええねんで」
なぜ信じない!
どうやら出石でかいがいしく綾之助の面倒を見る知八の姿が、皆を勘違いさせたらしい。なんとか誤解を解かなければ、知八さんに迷惑がかかってしまう。そう思ったが、誤解を解けるような名案もなかなか思いつかなかった。
三也と隣り合っての船乗り込みも無事和やかに済み、楽屋に荷物を入れようとして、綾之助は再びびっくりした。知八と綾之助が同じ楽屋なのである。ふつうなら、大名跡相模屋の御曹司知八と綾之助が相部屋になることなんて絶対にありえない。
恐る恐る楽屋へ行くと、知八がごく当たり前のように綾之助を迎え入れた。
「あの、うち、この部屋で合うてますか……?」
ちゃんと確認してきたものの未だに信じられなくて、綾之助は知八に尋ねた。
「うん」
納得がいかなくて、綾之助は勇気をふりしぼって、知八に聞いた。
「うちと同じ部屋がいいって、知八さんがおっしゃったんですか?」
「うん、そう」
知八は少し拗ねたような顔で、畳の目を手でなぞっていた。
「なんでです?」
「だって、綾まだ体調良くないし」
「もう大丈夫ですよ」
「迷惑やったか?」
上目遣いで聞かれては、綾之助はなにも言えない。
「い、いえ。でも、」
「一ヶ月だけやから、辛抱してくれ」
そんな風に下手に出られてはどうしようもない。そもそも、別に知八が同室なのが嫌なのではない。噂が怖いのだ。綾之助が危惧したとおり、この楽屋同室事件によって、綾之助は知八の恋人、というのはもはや関係者の共通認識になってしまった。
知八と同じ部屋なので、草履や足袋が突然なくなることもない。それだけでもかなり精神的に楽だった。陰で何を言われているか分かったものではないが、常に知八が横にいるので、表面上は綾之助への風当たりは和らいでいた。知八なりに綾之助を守ろうとして、楽屋を同室にしてくれたのかもしれない。綾之助は割合心穏やかに毎日を過ごしていた。
今日は歌舞伎役者の船乗り込みである。
昔は江戸や京から大坂にやってくる役者が、道頓堀まで派手な船で乗り付けて、目立ちついでに興行の宣伝をするという行事だったのだが、今や出身地に関係なく人気の歌舞伎役者が船に乗って八軒家浜から道頓堀まで川を下る夏の風物詩となっている。
今月、綾之助にはそう大した役はついていないというのに、なぜか船乗り込みのメンバーに入っていた。襲名バブルはかくも恐ろしい。さらに、発表された船の席次を見た綾之助の苦悩は深かった。なぜか、綾之助は大竹三也と同じ船に乗り込むことになっていたのだ。
三〇分以上至近距離で隣同士。しんどい。
しかし、気が重かろうがなんだろうが、仕事をサボることはできない。
集合場所に着いた綾之助は三也を見つけて、いややなあ、と思いながらも挨拶をすべく近づいていった。すると、綾之助を見つけた三也の方から、なんと笑みを浮かべて話しかけてきたのだ。
「綾之助さん。同じ船ですね。よろしくお願いします」
あまりに思いがけないことに、綾之助は一瞬返事に詰まった。
「こ、こちらこそよろしくお願いいたします。うち、船乗り込みはじめてなので、ご迷惑をおかけするかもしれませんが」
「大丈夫ですよ。何かわからないことがあれば、聞いてくださいね」
とてもイヤミには見えない笑顔で言って、三也は去っていった。
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「み、見たか紋乃」
「うん」
動揺する綾之助にたいして、紋乃は冷静だった。
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「噂てなに」
「だから、二人は付き合うてるって噂。まぁ、さすがにあの人も知八さんの恋人は虐めにくいわな」
「なんで、そ、そんな噂が!」
「なんや、バレてへんと思うてたんか」
「バレてへん? バレてへんとか以前に、付き合うてへん!」
「お前……」
紋乃がかわいそうなものを見る目で綾之助を見た。
「親友の俺にまで嘘つかんでええねんで」
なぜ信じない!
どうやら出石でかいがいしく綾之助の面倒を見る知八の姿が、皆を勘違いさせたらしい。なんとか誤解を解かなければ、知八さんに迷惑がかかってしまう。そう思ったが、誤解を解けるような名案もなかなか思いつかなかった。
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恐る恐る楽屋へ行くと、知八がごく当たり前のように綾之助を迎え入れた。
「あの、うち、この部屋で合うてますか……?」
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「うん」
納得がいかなくて、綾之助は勇気をふりしぼって、知八に聞いた。
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「うん、そう」
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