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57 【2年前】(34)
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夜が明けると、部屋は暑くなった。
2人はほとんど同時に起き出し、サーキュレーターを回して風を吹かせた。どさくさに紛れて玄関ドアを閉めてあるので、風通しは悪かった。ついでにサキの首輪は天井に繋がっていない。恐れをなしたタカトオの部下たちは、あえて部屋に入ってこようとはしなかった。
ずさんな警備を内心バカにしながら、サキはキッチンへ向かった。やることは多い。まずはパンをすべて平らげ、袋を空にする必要がある。電源の入っていない冷蔵庫には、なぜかオレンジジュースが入っていた。レンが持ってきたのか、消費期限は切れていない。冷えてはいないが飲めるはず。
ぼけっとした顔のレンにパンを数個持たせ、サキはオレンジジュースと一緒に黙々とパンを胃に押し込んだ。キッチンに戻り、他にもちょっとした作業を終らせる。
服を着替えることができないので、自分が汗臭い。顔をしかめながらトイレで用を済ませる。レンも、パンとオレンジジュースという食事を終らせる。2人で歯を磨き、リビングに戻り、助け合って傷のパッドを取り替える。さて。今日はどうなることやら。
マットレスに座り天井を眺め、2人は気晴らしの会話を始めた。
「何日目でしたっけ?」
「3日目だな。暇かもしれない。本があるといいんだが」
「探してきましょうか?」
「いや、お前がここにいる方が安心だ」
レンが微笑んだ。
「サキさんって……ほんとに本が好きなんですね」
「まぁ、そうだな。本を読んでると、他のことを考えなくていいから楽なんだ」
レンのびっくりした顔が面白くて、サキは声を上げて笑った。
「難しい本を読むのって、それが理由?」
「ん~、他の理由もあるが」
「オレ、考えるために読むんだと思ってた。考えないために読むって、わからない……」
穏やかな気分でレンを見つめる。肌理の細かい肌は、薄暗い室内でもほんのりと柔らかい色合いをしていた。優しそうな眉の下で、思慮深い目がサキを見ている。湖に射し込む日の光のような、あの茫漠とした眼差し。
サキは手を伸ばし、レンの頬を包み込んだ。されるがままに仰向いて、レンが見つめ返す。
過酷な人生を送ってきているのに、それはかけがえのない、素直な光を失っていない。
魂を汚さないために、レンはどれだけの知恵を身につけ、どれだけのことを考え戦ってきたのだろう。真摯でしかも誠実であることは難しい。自分の人生がうまくいかないことを他人のせいにするのは簡単だ。
考え込むサキに、レンが小首を傾げた。首筋がなめらかにTシャツの中へ続いている。
「……レン」
「何です?」
「そういえば、お前の名前って漢字でなんて書くんだ」
「あぁ……りっしんべんに、命令の『令』です」
レンはサキの手の平を取り、そこに指先で書いて見せた。レンの名前がサキに直接書きこまれる。くすぐったい。さざ波のように繊細な刺激。
書き終えると、レンはそっと指を離した。手の平を2人でじっと見る。そこに意味が貼りついているかのように。
「怜」
「はい」
「心が命ずるままに生きる……この名前をつけたのは誰だ」
「母です。母はいつも後悔しながら言ってた。『あんたは人に支配されずに生きなさい』って」
手の平で意味を包み、サキは指の背でレンの唇をなぞった。
ふっくらと色づく唇が、薄く開く。
「サキさん……」
「薫」
「薫さん」
怜の顔を引き寄せ、薫はそっと唇を重ねた。互いの熱を分け合うように。これから起こる運命の一瞬に、たとえ生と死に引き裂かれようと心だけは離れないように。
いつか、なにものにも押し留められることなく、真っすぐに笑い合うことができる日は来るのだろうか。
未来を願うことに意味はあるんだろうか。
それでも、その時2人は切ないほどの願いを込めて目を閉じた。
2人はほとんど同時に起き出し、サーキュレーターを回して風を吹かせた。どさくさに紛れて玄関ドアを閉めてあるので、風通しは悪かった。ついでにサキの首輪は天井に繋がっていない。恐れをなしたタカトオの部下たちは、あえて部屋に入ってこようとはしなかった。
ずさんな警備を内心バカにしながら、サキはキッチンへ向かった。やることは多い。まずはパンをすべて平らげ、袋を空にする必要がある。電源の入っていない冷蔵庫には、なぜかオレンジジュースが入っていた。レンが持ってきたのか、消費期限は切れていない。冷えてはいないが飲めるはず。
ぼけっとした顔のレンにパンを数個持たせ、サキはオレンジジュースと一緒に黙々とパンを胃に押し込んだ。キッチンに戻り、他にもちょっとした作業を終らせる。
服を着替えることができないので、自分が汗臭い。顔をしかめながらトイレで用を済ませる。レンも、パンとオレンジジュースという食事を終らせる。2人で歯を磨き、リビングに戻り、助け合って傷のパッドを取り替える。さて。今日はどうなることやら。
マットレスに座り天井を眺め、2人は気晴らしの会話を始めた。
「何日目でしたっけ?」
「3日目だな。暇かもしれない。本があるといいんだが」
「探してきましょうか?」
「いや、お前がここにいる方が安心だ」
レンが微笑んだ。
「サキさんって……ほんとに本が好きなんですね」
「まぁ、そうだな。本を読んでると、他のことを考えなくていいから楽なんだ」
レンのびっくりした顔が面白くて、サキは声を上げて笑った。
「難しい本を読むのって、それが理由?」
「ん~、他の理由もあるが」
「オレ、考えるために読むんだと思ってた。考えないために読むって、わからない……」
穏やかな気分でレンを見つめる。肌理の細かい肌は、薄暗い室内でもほんのりと柔らかい色合いをしていた。優しそうな眉の下で、思慮深い目がサキを見ている。湖に射し込む日の光のような、あの茫漠とした眼差し。
サキは手を伸ばし、レンの頬を包み込んだ。されるがままに仰向いて、レンが見つめ返す。
過酷な人生を送ってきているのに、それはかけがえのない、素直な光を失っていない。
魂を汚さないために、レンはどれだけの知恵を身につけ、どれだけのことを考え戦ってきたのだろう。真摯でしかも誠実であることは難しい。自分の人生がうまくいかないことを他人のせいにするのは簡単だ。
考え込むサキに、レンが小首を傾げた。首筋がなめらかにTシャツの中へ続いている。
「……レン」
「何です?」
「そういえば、お前の名前って漢字でなんて書くんだ」
「あぁ……りっしんべんに、命令の『令』です」
レンはサキの手の平を取り、そこに指先で書いて見せた。レンの名前がサキに直接書きこまれる。くすぐったい。さざ波のように繊細な刺激。
書き終えると、レンはそっと指を離した。手の平を2人でじっと見る。そこに意味が貼りついているかのように。
「怜」
「はい」
「心が命ずるままに生きる……この名前をつけたのは誰だ」
「母です。母はいつも後悔しながら言ってた。『あんたは人に支配されずに生きなさい』って」
手の平で意味を包み、サキは指の背でレンの唇をなぞった。
ふっくらと色づく唇が、薄く開く。
「サキさん……」
「薫」
「薫さん」
怜の顔を引き寄せ、薫はそっと唇を重ねた。互いの熱を分け合うように。これから起こる運命の一瞬に、たとえ生と死に引き裂かれようと心だけは離れないように。
いつか、なにものにも押し留められることなく、真っすぐに笑い合うことができる日は来るのだろうか。
未来を願うことに意味はあるんだろうか。
それでも、その時2人は切ないほどの願いを込めて目を閉じた。
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