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第31話 奨励会
しおりを挟む結局僕は、アスランの気持ちはおろか、ナチュラルかどうかすらわからずじまいで、自分の隠し続けてきた気持ちを露わにされそうになった。
――――沙知子さんか……。高校生の時は、なにも思わなかったのにな。
彼女が大学生になり、突如として隣に引っ越してきたのには驚いた。なんか内装工事してるなとは思っていたが、まさか、彼女が大家代理としてやってくるなんて。
2年の月日は僕にとってはだらだらと坂を下るようなものだったけれど、彼女の2年は全然違った。
固いつぼみがふんわりと開き始めたような、全くの別人のように僕には見えた。
――――でも、好きなんて気持ちは持たないようにした。その前に、僕には越えなければいけない山がいくつもあった。そしてそれは、今も変わらない。
コンビニバイトが収入源のアラサー。あんなピチピチ女子大生から見れば、ニートのおっさんにしか過ぎないよ。
「あ、おはようございます。大貫さん」
「おはようございます」
「おはようございますっ」
コンビニに大貫さんがやってきた。いつもの学生のようなラフな格好ではなく、今日は白シャツにサマージャケットといった装いだ。
――――そうか、今日は日曜日だったな。
「行ってらっしゃい」
ドリンクとお菓子をお買い上げした大貫さんは、僕とアスランにぺこりと頭を下げ、店を出て行った。
「今日は例会かあ。勝つといいな」
「え? 例会? 勝つってどういうこと?」
日曜日の朝だから、平日に比べればこの時間、客は少ない。二人でレジに立ちながらも、店内にはお弁当を物色するドライバー一人しかいなかった。
「ああ、彼、将棋棋士の卵って言ったろ? 今日はその、彼がプロになるための対局がある日なんだよ」
「そうなんだ! へえ、じゃあ大事な日なんだね。今日勝てばなれるの?」
「あ、いや。そうじゃなくて……。例会は半年に9回あって。1日に2局指すんで、全部で18局。上位2人がプロになれる」
「んん。なんか凄く難しそうに聞こえる」
「そうだよ。滅茶苦茶狭き門なんだ。将棋を目指す人って、全員天才だから……」
僕は将棋のプロについてアスランに説明した。一度将棋界を舞台にミステリを書いたので知識はある。もちろん、大貫さんの影響で考えた作品だった。
「棋士になるには奨励会っていう養成機関に入らないと駄目でね。最初は6級かな? それで順調に行けば5、6年くらいで三段まで上がれる。ここで三段リーグという、世にも恐ろしいリーグに入るんだ。今、大貫さんはこの三段リーグに居るんだよ」
三段リーグの対局がある日を例会と呼ぶ。僕はスマホで、三段リーグの星取表を見せた。
「え? これ全員三段なの? 凄く大勢いるじゃないか。それで、そのうちの上位二人だけ?」
「そう。過酷なリーグだよ……。おまけにこの三段には26歳までしか居られないんだ。26の誕生日のリーグで四段、つまりプロになれなければ退会しなくてはいけなくなる」
「そんな……大貫さんはいくつなの?」
「確か24、5歳くらいだったと……もう、後がないね」
「そうなんだ……」
それでも、僕はこの制度が少し羨ましかった。もし、30歳になったら作家は目指せないってルールがあったなら。僕は合法的にこの五里霧中の道から逃げることができる。そんなふうに思うこともあるんだ。
――――いつまでも踏ん切りがつかない。来年には30になると言うのに。
「大貫さん、大学3年の時に退学してるんだよね。将棋の勉強するために」
彼とは歳が近いこともあったので、以前はたまに話をしていた。最近めっきりなくなったのは、彼がこの3段リーグにもう5年いるから。
「そうなんだ。あれ、でもこれって大貫って字じゃない? 大って読める」
「ん? どれ。あ! 本当だ」
スマホ画面の星取表を指で広げる。大貫さん、目下、10勝2敗。3位集団にいるじゃないか。残りの対局が6局だから、4つか5つ勝てば恐らくプロになれる!
「これは凄い! 絶対、絶対プロになって欲しい! 昭和荘から将棋棋士とか凄いよ! いや、そんなことはどうでもいい。大貫さんに勝ち取って欲しい!」
羨ましい気持ちとか、そんなの微塵も思わなかった。彼がどれほど努力してるかはもちろん、手に掛かったプロの道から何度も振り落とされたことも知っているから……。
―――――――――
※奨励会や棋士(四段)になるための道筋等について、間違ってはいませんが長くなるので端折ってはいます。詳しく知りたい方は日本将棋連盟のホームページ等でお調べください。
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