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第56話 もう一つの戦い(大貫視点)
しおりを挟む生死をかけた雷雨の大捕物から一夜明けた土曜日。事なきを得た昭和荘は割と平和な? 朝を迎えていた。
その頃、遠く関西の空の下、この男もまた、生死をわける戦いに挑んでいた。
「それでは時間になりました。始めてください」
「よろしくお願いします」
和室3室全てを開け放した大広間、いくつもの将棋盤が並んでいる。それぞれの盤を挟み向かい合った男たちが一斉に頭を下げた。
――――いつも通りに指そう。
昭和荘、101号室の住人、大貫将司。将棋好きの父親が、男児誕生に待ってましたとばかりに名づけた。
現在のところ、第5位の10勝4敗。残り4局、もう一つも負けられない崖っぷちにいた。
本日、奨励会三段リーグ例会、8回目。三段リーグは原則1日2局指す。半年にわたって繰り広げられるリーグは、9回、18局。
本日はラストの1回前で、通称ラス前という。早くに勝利数を重ねている三段が居る場合、本日プロ入りが決まる場合もある。だが、今年は上位陣が混戦。今日決まる可能性はなかった。
――――神谷、高校生とは思えない落ち着きだな。
対戦カードは既に半年分が決まっているので、本日の相手も先後もわかっていた。
大貫の本日1局目の相手は現在同じ星、10勝4敗の神谷三段。まだ16歳という若さで三段リーグ入りし将来を嘱望されている。
が、大貫同様、絶対に負けられない。負けた方が戦線離脱になるのだ。
先手の神谷は角換わりを指向。大貫の予想通りだ。
――――だが、その手には乗れない。
さっと四筋の歩を進ませた。
「んっ……」
その瞬間、神谷がぐっと体を前のめりにしたのがわかった。
後手ながら、大貫の作戦がうまくいき、序盤、中盤と互角で進んでいく。後手で中盤互角ならまずまずだ。少なくとも一挙に持っていかれることはないだろう。
ここから抜け出るかどうかで勝敗が決まる。じりじりとした戦況のまま、終盤を迎えた。大貫は自分の方が指しやすいのではないかと思い始めていた。
――――えっ?
だが、そこで思わぬ一手が神谷から放たれた。勝負手だ。既に持ち時間は少なくなっており、今にも秒読みが始まりそう、絶妙のタイミングだった。
――――神谷、やっぱり強い。
ちらりと時計を見る。もう1分将棋に突入だ。大貫は額に滲む汗をハンカチで拭った。
――――どう指せばいいんだ……っ。
心配そうな師匠、両親の顔、後援会を作ってくれた伯父の期待に満ちた顔。脳裏に浮かんだ。つい手にしたハンカチを握る。
『私もトーゴーも、それに池の鯉も応援してますよ』
その時、無垢な笑顔を向ける、金髪青い目の青年が頭を過った。
――――そうだ。僕には緩い応援団がいたな。
ふっと口元が緩む。真正面で盤を睨んでいた神谷が怪訝そうな表情をした。
――――大丈夫。今は手が見えている。惑わされることはない。
大貫はしっかりと考えて盤上の駒を動かす。落ち着いた手付きで対局時計のボタンを押した。
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