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第84話 嫌な予感
しおりを挟む7時を回ると、さっきまでの喧騒が嘘のように店内は静まり返った。毎年のことだが、この瞬間、心底ホッとする。
「田中君、アイスボックス片づけたら上がっていいよ」
朝からずっと店先に出ている店長が声をかけてくれた。
「はい。ありがとうございます」
ようやく、僕も祭りに繰り出せる。今までは、祭りなんて人ごみに揉まれるだけで御免だと思っていた。毎年時給アップのこの日は、10時までシフトに入れてたのにな。
――――今夜は待ちきれなかった。
もう盆踊りが始まっている。花火まではまだ少しあるか。背中を押されるように、自然と早足になる。なんだか滑稽だ。眠れなくて困っていたアスランを笑えない。
「お、やってる、やってる」
遠目に芝生広場が見えてきた。そこでは盆踊りに興じる人、それを眺める人、夜店で買い食いをする人、それぞれが楽しんでいる。そして、そんなものをそっちのけで将棋に没頭する人も当然いた。
僕はそのちょっと珍しい種類の人々のところへと足を早めた。
「あれ……」
近づくと、何故かそこには沙知子さんの姿がない。不思議なもので、途端に足が遅くなる。思わず、踊りの輪や夜店に目を移す。その視線は当然、沙知子さんを探した。
「あっ!」
それは偶然なのか、それとも探し求めていたからこその必然なのか。鯉が泳ぐ池の縁に、彼女の姿が。
――――あれ、そうだよな? 髪を上げているから絶対とは言えないけど……。
しかし、その隣にいる男に気付いた僕は、その人が沙知子さんだと確信した。
「中垣内……なんで」
『鯉の池公園の縁台将棋に行きます』
『はい! わかりました。楽しみにしています!』
数日前の会話を思い出す。その後も、アスランから言われていた。沙知子さんが縁台将棋で待ってると言ってたと。
――――おかしい。沙知子さんは迷惑そうにしてた。あいつのこと。
ここで『なんだ。そう言うことか』とはならなかった。沙知子さんが僕に気があるとか、そんな妄想じみたことは別にしても。
彼女が中垣内と仲良くしてるとは思えなかった。いや、思いたくなかった。
――――もしかして、なにか困ってるんじゃ。
僕は意を決して、行きかけていた縁台将棋に背を向けた。もし、彼女が中垣内とどういうわけか仲良くなって、直前に僕との約束? を反故にしたならそれでもいい。それなら仕方ない。
――――けど、なにか強制的に連れ出されてるなら。
僕は浴衣を着ていなかったことに感謝した。靴もバイト必須のスニーカーだ。芝生広場から見て、池は下に下る。早足で彼らの跡を追った。
祭りばやしが遠くなる。池の周りにも夜店がポツンポツンとあり、人ごみを避けたカップルたちが列を作っている。
――――中垣内のやつ、沙知子さんをどこに連れて行くつもりだ!
どんどん祭りの中心から外れていく。僕は心臓が爆裂しそうに打っていることに気付く。
――――駐車場か。急がないと!
中垣内は車を持っていなかったはずだが、レンタルかもしれない。彼女を乗せるつもりか? 嫌な予感しかしない。僕は全速力で駆け抜けた。
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