【完結】お嬢様だけがそれを知らない

春風由実

文字の大きさ
19 / 26

19.王宮侍女は職務を遂行する

しおりを挟む
 時の流れが戻ったと私が感じたときには、王太子殿下は胸を押さえて俯いておりました。

 シンシア様は目を丸くしておろおろと狼狽えておりましたが、殿下のご事情を私は理解していました。
 私も殿下と同じ体勢になりたい衝動に堪えていたからです。

「殿下、どうなされましたか?胸がお辛いのですか?お医者様をお呼びしますか?あの、皆さま、急ぎお医者さまをお願い出来ますか?そうです、殿下。お医者様が来るまで横になりましょう。どなたか寝られるように、いえ私が膝を──」

 それ以上はいけません。
 なんとかお止めせねばと身体が動いたときのことです。
 側にいた殿下の護衛騎士の方がゴホンとひとつ咳をされました。

 おかげさまで、高級な食器をひとつ割らずに済んだのです。

「大丈夫だよ、シア。なんでもないからね。それより……大好きか」

 どうやら王太子殿下は、「大好き」という言葉ばかりに囚われて、シンシア様の直前のお言葉を聞き逃していたようです。
 私は心から安堵しました。

「えぇ、昔から大好きで……」

 シンシア様が少し照れたように微笑まれれば、不思議とその背後に鮮やかな花が咲いているように見えました。
 シンシア様という御方は、天から特別に使わされし聖女様なのではないでしょうか。
 というのは、ここ王宮に出仕している侍女の総意です。

「その……殿下」

「うん?」

「もし……もしもですけれど……いえ、何でもありません」

 このようなシンシア様はとても珍しく、私は仕事を放棄してしばしシンシア様のお姿に見惚れてしまうのでした。
 悩ましさの滲むご尊顔もまたなんて高貴で美しいのでしょうか。

 殿下もまたぐっと拳に力を入れたようでした。
 シンシア様の御前で正気でいることは大変なことなのです。

 そういう意味では、王太子殿下が凄い御方であるというのも私たち侍女の総意です。
 王太子殿下として、そしてまた婚約者様として、いつでもシンシア様の前では悠然と美しく煌びやかに穏やかに優しく慈愛の微笑をして、精神の乱れを上手に隠している殿下には、尊敬の念しかありません。

「シア。言い掛けて止めるのはなしだよ」

 しかし今日はいつになく、殿下の瞳がぎらぎらと輝いているような気がします。

「……ご迷惑かもしれないと思ったものですから」

「言う前から迷惑だと決めつけないで欲しいな。言ってみたら私は喜ぶかもしれないよ?というか、君の話は全部が嬉しい私だからね」

「まぁ」

 くすくす笑うシンシア様は、心なしかいつもよりも明るい笑顔を見せられておりました。
 淑女らしくいつでも微笑を絶やさないシンシア様ですが、今は心からのお気持ちで笑っておられるような気がします。

「では、お話しいたしますね。もしよろしければですが、その子猫ちゃんに会わせて頂けないかと思いまして」

「もちろんいいとも。私が飼うということは、君も一緒に猫と暮らすということだからね」

「私も一緒に猫と……」

 シンシア様がこれまた珍しく、もじもじと身体を揺らして、何かを伝えたそうにちらっと殿下を見た後に視線を下げておりました。
 どうしましょう。私もこの場で身体を捩らせてその可憐さを讃えたい……耐えるために強めに奥歯を噛み締めます。

 ちらと横を見たら、殿下の護衛騎士殿も拳を握り締めているではありませんか。
 やはりそうですよね。シンシア様の美しさが今日は破滅的にこれまでにない最強の力でもって私たちを襲っています。

 この場で闘っているのは私だけではないのだと気付き、もうしばし頑張ることにいたしました。
 侍女の待機室に戻れば、同僚の前でいくらでも叫べますからね。
 このお茶会が終わるまでの辛抱です。

 王太子殿下はさすが見事に耐えられまして、シンシア様が素直なお気持ちを語りやすいよう優しいお言葉を掛けられておりました。
 ……と思えたのは最初だけです。

「あぁ、近いうちにシアは私と猫と一緒に暮らすことになる。元より結婚したら子どもは幾人も欲しいと思ってきたけれど。シアと一緒なら猫を増やすのもいいな」

 シンシア様になんてお言葉をお掛けになるのでしょうか!
 思わず用意していた台車から食器を放り投げようかと思ったときです。

「殿下は猫が増えても構わないのですか?」

 シンシア様は殿下の不埒なお言葉はしっかり聞き流されたようでした。
 良かったです。あぁ、本当に良かった。シンシア様が穢れなくて。

 身勝手にも殿下はお耳を赤くしておりますが、今回ばかりは心底軽蔑してしまいます。

 え?結婚すればそのようなことも……
 私たち侍女が結託すればシンシア様は必ずお守り出来ますとも!
 え?それはおかしい……
 いずれは王妃様となられるシンシア様にこの身を生涯捧げる所存でしたけれど、私もまだまだ覚悟が足りていないようですね。

 これについては同僚たちとよく話し合うことにいたします。

「もちろんいいとも。沢山いたら可愛いだろうねぇ」

 ──シアが。

 殿下のお言葉の先が聞こえた気がいたしました。
 シンシア様は唯一無二の存在だからこそ素晴らしいのですよ、殿下?
 それにシンシア様が沢山いらっしゃったら……それはそれで素晴らしいことになりますね。
 私たちも仕事の争奪戦を行わずに済みそうです。

「あの、殿下……実は……実はその……」

 胸の前でぎゅっと手を合わせたシンシア様は、一度俯かれてからそっと顔を上げました。

「シア?」

「殿下、実は私……」

 殿下がごくっと喉の奥を鳴らされたことは、遠目からでも分かりました。
 今日は殿下もいつもとは違い、乱れる感情を上手く隠せないようですね。

 それも仕方のないことだと思います。
 今日のシンシア様はいつもとはご様子が違って、格別に美しいですから。

 特にあの潤んだ瞳は……あぁ、気を抜いた瞬間に昇天してしまいそう。
 あの目で見詰められて倒れずに済んでいる殿下は凄いです。

「猫と一緒に暮らしているのです!」

 ついに言い切ったぞとばかりに、シンシア様が満足気な笑顔を見せられたとき。
 私は耐えられずに、一度膝を付いてしまったのでした。

 しかしすぐに正気に戻り急ぎ立ち上がり何事も起きていない顔を作ったのですが。
 隣で護衛騎士の方が胸を叩いておられました。

 あら、膝に草が……

 どうやら彼は私より早く立ち直っただけのようですね。
 同じ空間にあるというだけで普段から騎士と侍女は接点を持ちませんが、今日ばかりは強い仲間意識が芽生えます。



しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

『恋心を凍らせる薬を飲みました』 - 残りの学園生活、どうぞご自由にお遊びください、婚約者様

恋せよ恋
恋愛
愛されることを諦めた。だから、私は心を凍らせた。 不誠実な婚約者・ユリアンの冷遇に耐えかねたヤスミンは、 伝説の魔女の元を訪れ、恋心を消し去る「氷の薬」を飲む。 感情を捨て、完璧な「人形」となった彼女を前に、 ユリアンは初めて己の罪と執着に狂い始める。 「お願いだ、前のように僕を愛して泣いてくれ!」 足元に跪き、涙を流して乞う男に、ヤスミンは冷酷に微笑む。 「愛?……あいにく、そのような無駄な感情は捨てましたわ」 一度凍りついた心は、二度と溶けない。 後悔にのたうち回る男と、心を凍らせた冷徹な公爵夫人の、 終わりのない贖罪の記録。 🔶登場人物・設定は筆者の創作によるものです。 🔶不快に感じられる表現がありましたらお詫び申し上げます。 🔶誤字脱字・文の調整は、投稿後にも随時行います。 🔶今後もこの世界観で物語を続けてまいります。 🔶 『エール📣』『いいね❤️』励みになります!

「がっかりです」——その一言で終わる夫婦が、王宮にはある

柴田はつみ
恋愛
妃の席を踏みにじったのは令嬢——けれど妃の心を折ったのは、夫のたった一言だった 王太子妃リディアの唯一の安らぎは、王太子アーヴィンと交わす午後の茶会。だが新しく王宮に出入りする伯爵令嬢ミレーユは、妃の席に先に座り、殿下を私的に呼び、距離感のない振る舞いを重ねる。 リディアは王宮の礼節としてその場で正す——正しいはずだった。けれど夫は「リディア、そこまで言わなくても……」と、妃を止めた。 「わかりました。あなたには、がっかりです」 微笑んで去ったその日から、夫婦の茶会は終わる。沈黙の王宮で、言葉を失った王太子は、初めて“追う”ことを選ぶが——遅すぎた。

「君を愛することはない」と言われたので、私も愛しません。次いきます。 〜婚約破棄はご褒美です!

放浪人
恋愛
【「愛さない」と言ったのはあなたです。私はもっとハイスペックな次(夫)と幸せになりますので、どうぞお構いなく!】 侯爵令嬢リディアは、建国記念舞踏会の最中に、婚約者である王太子レオンハルトから婚約破棄を宣言される。 「君を愛することはない!」という王太子の言葉は、国中に響く『公的拒絶誓約』となってしまった。 しかし、リディアは泣かなかった。 「承知しました。私も愛しません。次いきます」 彼女は即座に撤退し、その場で慰謝料請求と名誉回復の手続きを開始する。その潔さと有能さに目をつけたのは、国の行政を牛耳る『氷の宰相』アシュ・ヴァレンシュタインだった。 「私の政治的盾になれ。条件は『恋愛感情の禁止』と『嘘がつけない契約』だ」 利害の一致した二人は、愛のない契約結婚を結ぶ。 はずだったのだが――『嘘がつけない契約』のせいで、冷徹なはずの宰相の本音が暴走! 「君を失うのは非合理だ(=大好きだ)」「君は私の光だ(=愛してる)」 隠せない溺愛と、最強の夫婦による論理的で容赦のない『ざまぁ』。 一方、リディアを捨てた王太子は「愛さない誓約」の呪いに苦しみ、自滅していく。 これは、悪役令嬢と呼ばれた女が、嘘のない真実の愛を手に入れ、国中を巻き込んで幸せになるまでの物語。

愛する女性を側室に望むのなら、いっそ私との婚約は解消してほしいのですが?

四折 柊
恋愛
公爵令嬢ジョゼフィーヌには好きな人がいた。その人は隣国の王子様リック。ジョゼフィーヌはリックと結婚したくて努力をしてきた。そして十六歳になり立派な淑女になれたと自信を得たジョゼフィーヌは、リックにプロポーズをしようとした。ところが彼に婚約者がいたことが発覚し悲しみに暮れる。今まで確認しなかった自分も悪いが、なぜかリックも家族もそのことを教えてくれなかった。そんなときジョゼフィーヌに婚約の打診が来た。その相手は自国のアルバン王太子殿下。断りたいが王命が下り仕方なく受け入れた。それなのに、ある日夜会でアルバンが可憐な令嬢に一目惚れをした。その後、アルバンはその令嬢を側室にしたいと望んだので、お互いのために婚約を解消したいと申し出たが拒絶されて……。ジョゼフィーヌの未来はどうなるのか?!

嫌われたと思って離れたのに

ラム猫
恋愛
 私は、婚約者のカイルに嫌われたと思った。冷たくそっけなく、近づくたびに避けられる日々。  距離を置くことを選び、留学の準備も進めて心を落ち着かせようとするけれど——。

円満離婚に持ち込むはずが。~『冷酷皇帝の最愛妃』

みこと。
恋愛
「あなたと子を作るつもりはない」 皇帝シュテファンに嫁いだエリザは、初夜に夫から宣言されて首をかしげる。 (これは"愛することのない"の亜種?) 前世を思い出したばかりの彼女は、ここが小説『冷酷皇帝の最愛妃』の中だと気づき、冷静に状況を分析していた。 エリザの役どころは、公爵家が皇帝に押し付けた花嫁で、彼の恋路の邪魔をするモブ皇妃。小説のシュテファンは、最終的には運命の恋人アンネと結ばれる。 それは確かに、子どもが出来たら困るだろう。 速やかな"円満離婚"を前提にシュテファンと契約を結んだエリザだったが、とあるキッカケで彼の子を身ごもることになってしまい──? シュテファンとの契約違反におののき、思わず逃走したエリザに「やっと見つけた」と追いすがる夫。 どうやら彼はエリザ一筋だったらしく。あれ? あなたの恋人アンネはどうしたの? ※小説家になろう様でも掲載しています ※表紙イラスト:あさぎかな先生にコラージュアートをいただきました ※毎朝7時に更新していく予定です

三十年後に届いた白い手紙

RyuChoukan
ファンタジー
三十年前、帝国は一人の少年を裏切り者として処刑した。 彼は最後まで、何も語らなかった。 その罪の真相を知る者は、ただ一人の女性だけだった。 戴冠舞踏会の夜。 公爵令嬢は、一通の白い手紙を手に、皇帝の前に立つ。 それは復讐でも、告発でもない。 三十年間、辺境の郵便局で待ち続けられていた、 「渡されなかった約束」のための手紙だった。 沈黙のまま命を捨てた男と、 三十年、ただ待ち続けた女。 そして、すべてを知った上で扉を開く、次の世代。 これは、 遅れて届いた手紙が、 人生と運命を静かに書き換えていく物語。

本日、私の妹のことが好きな婚約者と結婚いたしました

音芽 心
恋愛
私は今日、幼い頃から大好きだった人と結婚式を挙げる。 ____私の妹のことが昔から好きな婚約者と、だ。 だから私は決めている。 この白い結婚を一年で終わらせて、彼を解放してあげることを。 彼の気持ちを直接聞いたことはないけれど……きっとその方が、彼も喜ぶだろうから。 ……これは、恋を諦めていた令嬢が、本当の幸せを掴むまでの物語。

処理中です...