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第3章 凡人は牙を研ぐ
第89話 決断の夜明け
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密使が去った後のオーム領は、嵐の前の海のようにざわついていた。
王都の命令に従えば平穏は守られるかもしれない。だが、彼を差し出せば領の誇りを失う。民たちは広場に集まり、互いに言い争う声を上げていた。
「バルトを守らねば!」
「いや、逆らえば全員が処刑されるんだぞ!」
その声は領主館の奥にまで届いていた。
バルトは胸の奥に苦い鉛を抱きながら、窓越しに広場を見下ろした。
――自分がいるせいで、皆が苦しんでいる。
そんな思いを見透かすように、ファンが隣に立つ。
「逃げる気はないんだろ?」
「……でも僕がここにいることで、領全体が危険にさらされている」
「それでも立たなきゃならん時がある。民も王女殿下も、もうお前の背に賭けてるんだ」
力強い言葉に、心の奥で揺らいでいた決意が少しずつ形を取り始めた。
◇
深夜。ひっそりと訪れた影があった。
重い外套の下から現れた顔に、バルトは思わず息を呑む。
「……エリク大尉」
「よっ、バルト」
かつて王国海洋騎士団で共に汗を流した戦友。
だが今は王都に仕える身である彼が、なぜここに――。
エリクは無言で卓上の酒をあおり、やがて低い声でぽつりとつぶやいた。
「……これは独り言だがな。
明朝、ユーア王子の軍が進軍するらしい。
“賊軍討伐”の名の下に、領ごと焼き払う、と」
バルトは言葉を失った。
問いただそうとしたが、エリクは手を上げて制した。
「今のは聞かなかったことにしてくれ。
俺はただの酔っぱらいだ」
それだけ告げると、彼は背を向けて去っていった。
残されたのは、友情と忠告の重さ。バルトは拳を強く握りしめた。
◇
バルトは両親と再会した。
母は涙ながらに抱きしめ、声を震わせる。
「よく、生きて戻ってきてくれた……!」
父は深く頷き、短く言った。
「選んだ道を貫け。たとえ王都を敵に回そうとも、我らはお前の家族だ」
胸が熱くなり、言葉が出なかった。ただ深く頭を下げることで、感謝を伝えるしかなかった。
◇◇
城内の会議室は重苦しい空気に包まれていた。
オーム領の有力者たちが並び、領主ピグレット・オームの顔を見ながら議論を交わす。
「戦力的に見れば……王子の軍には抗えません。差し出すべきではないでしょうか」
「いや、民を守るためには……」
議論は徐々にバルトを差し出す方向へ傾きかけていた。
その時、荒い足音が廊下を揺らし、扉が勢いよく開く。
会議室に入ってきたのは、鋼の鎧ではなく、牧場仕事着を纏った男。
埃にまみれ、袖は擦り切れているが、背筋は真っ直ぐ、瞳には確かな力が宿っていた。
それは兄、ボルトであった。
「弟を差し出せだと?」
低く響く声に、場の空気が一変する。
「――寝言は王都に任せておけ。
オームの誇りを汚すくらいなら、この剣で王都を斬り裂いてやろう」
低く荒々しい声が部屋を震わせる。
ボルトは歩を進めるごとに存在感を増し、議論を続けようとした有力者たちを押し止めた。
「王都の理屈に従うくらいなら、この手で領を守る――それがオームのやり方だろ」
一瞬の静寂の後、会議室の空気が一変した。
有力者たちは息をのむ。ピグレット領主は眼を細め、深く頷く。
「そうだ、我らには誇りがある」
バルトは兄の自然体で力強い登場を見て、背中を押されるような気持ちになった。
己もまた、立つ覚悟を固めなければならない――そう、胸の奥で決意が燃え上がった。
◇
そして明け方――。
城門の外にたいまつの列が現れた。地を震わせる足音、重なる鎧の音。ユーア王子が差し向けた憲兵団が、ついにオーム領へ迫ってきた。
門前に並ぶオームの兵。その最前列に、堂々と馬に跨る領主ピグレット・オームの姿がある。
対するは、冷徹な眼差しをした憲兵長。
二人は互いに言葉を発さず、ただ視線だけで火花を散らす。
吹き抜ける風が旗をはためかせ、兵たちの喉が鳴る。
剣が抜かれるのは、一瞬後かもしれない。
――決戦の夜明けが、静かに訪れようとしていた。
王都の命令に従えば平穏は守られるかもしれない。だが、彼を差し出せば領の誇りを失う。民たちは広場に集まり、互いに言い争う声を上げていた。
「バルトを守らねば!」
「いや、逆らえば全員が処刑されるんだぞ!」
その声は領主館の奥にまで届いていた。
バルトは胸の奥に苦い鉛を抱きながら、窓越しに広場を見下ろした。
――自分がいるせいで、皆が苦しんでいる。
そんな思いを見透かすように、ファンが隣に立つ。
「逃げる気はないんだろ?」
「……でも僕がここにいることで、領全体が危険にさらされている」
「それでも立たなきゃならん時がある。民も王女殿下も、もうお前の背に賭けてるんだ」
力強い言葉に、心の奥で揺らいでいた決意が少しずつ形を取り始めた。
◇
深夜。ひっそりと訪れた影があった。
重い外套の下から現れた顔に、バルトは思わず息を呑む。
「……エリク大尉」
「よっ、バルト」
かつて王国海洋騎士団で共に汗を流した戦友。
だが今は王都に仕える身である彼が、なぜここに――。
エリクは無言で卓上の酒をあおり、やがて低い声でぽつりとつぶやいた。
「……これは独り言だがな。
明朝、ユーア王子の軍が進軍するらしい。
“賊軍討伐”の名の下に、領ごと焼き払う、と」
バルトは言葉を失った。
問いただそうとしたが、エリクは手を上げて制した。
「今のは聞かなかったことにしてくれ。
俺はただの酔っぱらいだ」
それだけ告げると、彼は背を向けて去っていった。
残されたのは、友情と忠告の重さ。バルトは拳を強く握りしめた。
◇
バルトは両親と再会した。
母は涙ながらに抱きしめ、声を震わせる。
「よく、生きて戻ってきてくれた……!」
父は深く頷き、短く言った。
「選んだ道を貫け。たとえ王都を敵に回そうとも、我らはお前の家族だ」
胸が熱くなり、言葉が出なかった。ただ深く頭を下げることで、感謝を伝えるしかなかった。
◇◇
城内の会議室は重苦しい空気に包まれていた。
オーム領の有力者たちが並び、領主ピグレット・オームの顔を見ながら議論を交わす。
「戦力的に見れば……王子の軍には抗えません。差し出すべきではないでしょうか」
「いや、民を守るためには……」
議論は徐々にバルトを差し出す方向へ傾きかけていた。
その時、荒い足音が廊下を揺らし、扉が勢いよく開く。
会議室に入ってきたのは、鋼の鎧ではなく、牧場仕事着を纏った男。
埃にまみれ、袖は擦り切れているが、背筋は真っ直ぐ、瞳には確かな力が宿っていた。
それは兄、ボルトであった。
「弟を差し出せだと?」
低く響く声に、場の空気が一変する。
「――寝言は王都に任せておけ。
オームの誇りを汚すくらいなら、この剣で王都を斬り裂いてやろう」
低く荒々しい声が部屋を震わせる。
ボルトは歩を進めるごとに存在感を増し、議論を続けようとした有力者たちを押し止めた。
「王都の理屈に従うくらいなら、この手で領を守る――それがオームのやり方だろ」
一瞬の静寂の後、会議室の空気が一変した。
有力者たちは息をのむ。ピグレット領主は眼を細め、深く頷く。
「そうだ、我らには誇りがある」
バルトは兄の自然体で力強い登場を見て、背中を押されるような気持ちになった。
己もまた、立つ覚悟を固めなければならない――そう、胸の奥で決意が燃え上がった。
◇
そして明け方――。
城門の外にたいまつの列が現れた。地を震わせる足音、重なる鎧の音。ユーア王子が差し向けた憲兵団が、ついにオーム領へ迫ってきた。
門前に並ぶオームの兵。その最前列に、堂々と馬に跨る領主ピグレット・オームの姿がある。
対するは、冷徹な眼差しをした憲兵長。
二人は互いに言葉を発さず、ただ視線だけで火花を散らす。
吹き抜ける風が旗をはためかせ、兵たちの喉が鳴る。
剣が抜かれるのは、一瞬後かもしれない。
――決戦の夜明けが、静かに訪れようとしていた。
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