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後編
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ドアを開けた瞬間、外気とともに蓮の匂いが流れ込んできた。
清潔で、どこか森を思わせる落ち着いた香り。
「橘」
名前を呼ばれただけで、身体の奥が震える。
「……ごめん、来なくていいって言ったのに」
「知ってる。でも来た」
迷いのない返答。
透は視線を逸らす。自分の甘い香りが、確実に強まっているのがわかる。
「中、入って」
短くそう言うと、蓮は静かに頷いた。
部屋に入っても、蓮は一定の距離を保ったままだった。
無理に触れようともしない。
ただ、透の様子を真剣な目で見ている。
「ヒート、久しぶりか?」
「……うん。こんなに強いの、初めてで」
声が震える。
情けない。
自分で管理できると言ったのに。
ふらついた身体を、反射的に蓮が支えた。
その瞬間、ぶわりと甘い香りが広がる。
蓮の喉が小さく鳴った。
けれど、すぐに理性を取り戻したように、そっと透をソファへ座らせる。
「水、飲め」
「……ありがと」
グラスを受け取る手が触れ合う。
それだけで、胸が熱い。
「なあ橘」
蓮は床に膝をつき、視線を合わせる。
「さっき言った“番候補”って言葉、軽く言ったわけじゃない」
透の鼓動が速くなる。
「今日、ゼミ室で確信した。お前の匂い、俺にとって特別だ」
「……俺だって」
思わずこぼれる。
もう隠せない。
「蓮の近く、落ち着く。怖いのに、安心する」
矛盾した感情。
支配されることへの恐怖。
でも、この人ならという期待。
「怖がらせたいわけじゃない」
蓮の声は静かだ。
「俺は、お前を縛りたいんじゃない」
そっと、手が差し出される。
「選んでほしいだけだ。運命じゃなくて、橘自身の意思で」
その言葉に、胸がいっぱいになる。
Ωはαに選ばれる存在だと、ずっと思っていた。
けれど蓮は、違う。
“選べ”と言う。
対等に。
透はゆっくりと、差し出された手を見つめる。
身体は熱い。
本能は求めている。
でも――。
「……今は、番にならない」
はっきりと言った。
蓮の瞳がわずかに揺れる。
「逃げるわけじゃない。俺、自分の将来ちゃんと考えたい。大学も、仕事も、やりたいことがある」
番になることは、人生を共にするということ。
簡単に決めていいものじゃない。
「だから」
透は蓮の手を、今度は自分から握った。
「恋人から、始めたい」
一瞬の沈黙。
次の瞬間、蓮が息を吐き、苦笑する。
「……敵わないな」
「なにが」
「俺のほうが余裕ない」
その顔は、少し赤い。
「もちろん、いいに決まってる」
握り返される手は、温かくて強い。
「番になるかどうかは、橘が決めろ」
「うん」
「それまで、俺はちゃんと隣にいる」
その言葉に、張りつめていたものがほどけた。
ヒートの熱はまだ消えない。
けれど、不思議と苦しくはない。
蓮は自分のジャケットを脱ぎ、透の肩にかける。
「今日はそれ着て寝ろ。俺の匂いで少しは楽になる」
「……それ、反則」
「知ってる」
二人で小さく笑う。
蓮は一晩、部屋のソファで過ごした。
決して一線を越えず、ただ透の背をさすり、落ち着くまでそばにいた。
朝。
ヒートは嘘のように軽くなっていた。
カーテンの隙間から差す光の中で、蓮が眠っている。
その横顔を見つめながら、透は思う。
(運命じゃなくていい)
自分で選んだ、この人と。
「……おはよう」
小さく声をかけると、蓮が目を開けた。
「体調は」
「もう平気」
にっこりと笑うと、蓮は安心したように息をつく。
「じゃあ改めて」
真剣な顔になる。
「橘透。俺と付き合ってください」
こんな正式に言うなんて。
透は思わず吹き出す。
「はい。よろしくお願いします、鷹宮蓮さん」
差し出された手を、もう一度握る。
その先に番という未来があるかどうかは、まだわからない。
けれど。
蒼い月の夜に始まったのは、支配でも運命でもなく。
選び合う恋だった。
清潔で、どこか森を思わせる落ち着いた香り。
「橘」
名前を呼ばれただけで、身体の奥が震える。
「……ごめん、来なくていいって言ったのに」
「知ってる。でも来た」
迷いのない返答。
透は視線を逸らす。自分の甘い香りが、確実に強まっているのがわかる。
「中、入って」
短くそう言うと、蓮は静かに頷いた。
部屋に入っても、蓮は一定の距離を保ったままだった。
無理に触れようともしない。
ただ、透の様子を真剣な目で見ている。
「ヒート、久しぶりか?」
「……うん。こんなに強いの、初めてで」
声が震える。
情けない。
自分で管理できると言ったのに。
ふらついた身体を、反射的に蓮が支えた。
その瞬間、ぶわりと甘い香りが広がる。
蓮の喉が小さく鳴った。
けれど、すぐに理性を取り戻したように、そっと透をソファへ座らせる。
「水、飲め」
「……ありがと」
グラスを受け取る手が触れ合う。
それだけで、胸が熱い。
「なあ橘」
蓮は床に膝をつき、視線を合わせる。
「さっき言った“番候補”って言葉、軽く言ったわけじゃない」
透の鼓動が速くなる。
「今日、ゼミ室で確信した。お前の匂い、俺にとって特別だ」
「……俺だって」
思わずこぼれる。
もう隠せない。
「蓮の近く、落ち着く。怖いのに、安心する」
矛盾した感情。
支配されることへの恐怖。
でも、この人ならという期待。
「怖がらせたいわけじゃない」
蓮の声は静かだ。
「俺は、お前を縛りたいんじゃない」
そっと、手が差し出される。
「選んでほしいだけだ。運命じゃなくて、橘自身の意思で」
その言葉に、胸がいっぱいになる。
Ωはαに選ばれる存在だと、ずっと思っていた。
けれど蓮は、違う。
“選べ”と言う。
対等に。
透はゆっくりと、差し出された手を見つめる。
身体は熱い。
本能は求めている。
でも――。
「……今は、番にならない」
はっきりと言った。
蓮の瞳がわずかに揺れる。
「逃げるわけじゃない。俺、自分の将来ちゃんと考えたい。大学も、仕事も、やりたいことがある」
番になることは、人生を共にするということ。
簡単に決めていいものじゃない。
「だから」
透は蓮の手を、今度は自分から握った。
「恋人から、始めたい」
一瞬の沈黙。
次の瞬間、蓮が息を吐き、苦笑する。
「……敵わないな」
「なにが」
「俺のほうが余裕ない」
その顔は、少し赤い。
「もちろん、いいに決まってる」
握り返される手は、温かくて強い。
「番になるかどうかは、橘が決めろ」
「うん」
「それまで、俺はちゃんと隣にいる」
その言葉に、張りつめていたものがほどけた。
ヒートの熱はまだ消えない。
けれど、不思議と苦しくはない。
蓮は自分のジャケットを脱ぎ、透の肩にかける。
「今日はそれ着て寝ろ。俺の匂いで少しは楽になる」
「……それ、反則」
「知ってる」
二人で小さく笑う。
蓮は一晩、部屋のソファで過ごした。
決して一線を越えず、ただ透の背をさすり、落ち着くまでそばにいた。
朝。
ヒートは嘘のように軽くなっていた。
カーテンの隙間から差す光の中で、蓮が眠っている。
その横顔を見つめながら、透は思う。
(運命じゃなくていい)
自分で選んだ、この人と。
「……おはよう」
小さく声をかけると、蓮が目を開けた。
「体調は」
「もう平気」
にっこりと笑うと、蓮は安心したように息をつく。
「じゃあ改めて」
真剣な顔になる。
「橘透。俺と付き合ってください」
こんな正式に言うなんて。
透は思わず吹き出す。
「はい。よろしくお願いします、鷹宮蓮さん」
差し出された手を、もう一度握る。
その先に番という未来があるかどうかは、まだわからない。
けれど。
蒼い月の夜に始まったのは、支配でも運命でもなく。
選び合う恋だった。
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