夫のつとめ

藤谷 郁

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リードするのは私

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 南村はレストランのエントランスホールで待っていた。緊張した様子で椅子に腰掛け、化粧室から出てきた希美を見つけると、ホッとした顔で立ち上がった。

「北城さん」
「お待たせ。どうしたの? こんなところで」

 喜んで駆け寄ってくる姿はまるで、飼い主を見つけた仔犬のようだ。従順な彼の態度に、希美は心で「よしよし」と呟く。

「テーブルに一人でいるのは心細かった?」

 からかい交じりで訊くと、彼は照れたように笑うが、否定はしない。

「いえ、ちょっと心配になって……」

 つまり、童貞を相手にするのが嫌で希美が帰ってしまったのではないかと、不安になったのだ。

「ごめんなさい、遅くなってしまって。それに、さっきのことならもう、大丈夫よ」
「え……」

 微笑む希美を見て、たちまち明るい顔になる。素直で純朴な反応はまさに童貞そのものだ。

「本当に?」
「ええ。あなたの告白には正直びっくりしたけど、考えてみたらなんの問題もないわ」
「そ、そうなんですか?」

 よく分からないながらも彼は嬉しそうだ。気になっていたことが解消されて、これからの道が開けた喜びに満ちている。

(これで、この男を迷わせる材料はなくなった。プロポーズに応じられるってこと)

 希美はウキウキしてきた。思わぬ返し技はあったものの、こちらの狙いどおりに事は運んでいる。必ず彼を口説き落とし、ベッドに押し倒すという目的は達成されるのだ。

「それじゃ、早速部屋に行きましょうか」
「は、はいっ」

 鼻息が荒い。『部屋に行く』という誘いがナニを意味するのか、彼は十分承知している。

「ちょっと待ってなさいね」

 希美はバッグを持ち直すと、カウンターへと歩く。食事代金を払うためだが、南村の慌てた声が呼び止めた。

「北城さん、僕が済ませました」
「え?」

 振り返り、意外な目で彼を見上げる。

「あら、支払ってくれたの?」
「はい」

 首の後ろに手をやり、勝手にスミマセンと詫びた。

「ふうん、そう……」

 ぱっとしない営業マンにしてはそつのない行動である。

 それにしても、南村は男がデート代を出すべきだとか、拘るタイプではないはず。にもかかわらず負担したのは、やはり少しは男の見栄を持っているのだろうか。

「ありがとう。でも、誘ったのは私なんだから任せてくれていいのよ」

 高かったでしょうと、余計なことを言いそうになるが呑み込んだ。彼をおもんばかってのことだが、返ってきたのは意外な台詞だった。

「いえその……あなたと僕は、これから生計をともにするわけですし、どちらが負担してもいいんじゃないかと思いまして」
「……」

 それは、希美が言って聞かせたことだ。私と結婚するなら、経済格差など気にすることはない。それを早速応用したのである。
 南村の順応力に、希美は感心するとともに驚いた。いつの間に、ここまで乗り気になっていたのか。こちらが考える以上に、彼は先走っている。

(うぶな男って、こうなのかしら。スゴいわ)

 ――あなたの色に染まります。

 処女おとめなフレーズが希美の頭をぐるぐると駆け巡る。

 ――お嬢様の言いなりになんでもすることでしょう。

 武子の囁きが、隠微な妄想を湧き立たせた。



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