51 / 179
御曹司(その1)
1
しおりを挟む
御殿場インターを降りたのは午前11時22分。車の流れが順調だったので、予定より早く通過することができた。
「ええ、あと7分ほどで着きます。よろしくお願いしますね」
希美は臼井秘書に到着の予告をすると、スマートフォンをポケットに仕舞った。
「スムーズに来ましたね。間に合ってよかったです」
「そうね」
とりあえず遅刻は免れた。希美は壮二に頷くと、ラジオをAMに切り替えてボリュームを上げる。毎週日曜日に放送される、
《旬の食材で美味しいごはん――目指せ、家庭料理の巨匠!》
という番組が始まる時間だ。
「忘れるところだったわ。面白いのよねー、この番組」
「あ、僕も知ってます!」
営業成績はいまひとつでも、壮二は食品会社の社員である。新製品の情報番組として、チェックしているようだ。
「話題の調味料を使った、旬のレシピを紹介するのよ。聞いてるだけで、お腹が空いてきちゃう」
気に入ったメニューがあれば番組のサイトにアクセスし、掲載されたレシピを武子に見せている。たとえ加工品の味付けであっても、料理下手な希美が作るより、彼女が調理したほうが百倍美味しいのだ。
《全国の家庭料理人および食いしん坊の皆様、こんにちは! 今日ご紹介するのは、株式会社グラットンの新製品『南国ナンプラー』です。グラットンといえば、大ヒット商品『たちまちエスニックシリーズ』で有名ですが、今回の『南国ナンプラー』も品切れ店続出の大人気となっております。エスニックな風味がたまらない。タイ風料理をご家庭で味わうための、特別レシピをお送りいたします。素晴らしいゲスト様も登場しますよ~。お楽しみに!》
交差点に入るためか、壮二がふいに車のスピードを緩めた。信号が黄色に変わり、ゆっくりと停止する。林に囲まれた道路は車も少なく、エンジン音が聞こえてきそうに静かだ。
「グラットンか。食品業界トップの大企業よね」
「……ええ。『たちまちエスニックシリーズ』が大当たりして以来、右肩上がりの業績です」
グラットンは調味料、ノルテフーズは冷凍食品が主力商品なので、まともに競合する相手ではない。だが、業績の良い食品会社は意識している。
「タイ料理かあ。いいわよね、エスニック料理は好きだわ」
「はあ」
「最近、エスニック文化が見直されて、流行になってるし。これから夏に向けて、ナンプラーを使った料理は人気が出るかもね」
「そうですね」
気のない返事が続き、希美は抗議の目を向けた。しかし壮二は信号に集中しているようで、視線に気付かず、こちらを見ようともしない。
「壮二、聞いてる?」
「え? あ、はい」
信号が変わると、彼は左右を確認してから発進した。
「すみません、いやに長い信号だなと思って。ちょっと時間が気になったんです」
社長を待たせてはいけないと、心配しているのか。のんびりに見えて、やはり気が小さいところがあるのだ。
(情けないけど……仕方ないか)
夫となるなら、これくらいのスケールがちょうどいい。大きすぎる器は、かえって扱いづらいだろう。
ホテルが見えてくる頃、ラジオはCMを終え、アナウンサーの軽快なお喋りが流れ始めた。グラットンの『南国ナンプラー』は日本人好みに味が調えられている。夏向け料理のレシピを聞くうち、酸味と旨み、香ばしさが舌に伝わるようだった。
(あー、美味しそう。帰ったら、武子さんに作ってもらわなきゃ)
駐車場に入ると、壮二はホッとした笑顔で希美のほうを向いた。
「お疲れ様でした。それでは、行きましょうか」
一刻でも早く降りたそうにしている。
ここまで来て、なにを慌てることがあるのか。小心者の壮二に呆れつつシートベルトを外そうとすると、ラジオが早口でCM前のお知らせをした。
《次のゲストコーナーでは、なんとグラットンの代表取締役社長、南村壮太さんに登場していただきます。社長自ら……》
「……えっ?」
壮二がエンジンを切り、アナウンサーの声は途切れた。だけど、社長の名前ははっきりと聞き取れた。
「ええ、あと7分ほどで着きます。よろしくお願いしますね」
希美は臼井秘書に到着の予告をすると、スマートフォンをポケットに仕舞った。
「スムーズに来ましたね。間に合ってよかったです」
「そうね」
とりあえず遅刻は免れた。希美は壮二に頷くと、ラジオをAMに切り替えてボリュームを上げる。毎週日曜日に放送される、
《旬の食材で美味しいごはん――目指せ、家庭料理の巨匠!》
という番組が始まる時間だ。
「忘れるところだったわ。面白いのよねー、この番組」
「あ、僕も知ってます!」
営業成績はいまひとつでも、壮二は食品会社の社員である。新製品の情報番組として、チェックしているようだ。
「話題の調味料を使った、旬のレシピを紹介するのよ。聞いてるだけで、お腹が空いてきちゃう」
気に入ったメニューがあれば番組のサイトにアクセスし、掲載されたレシピを武子に見せている。たとえ加工品の味付けであっても、料理下手な希美が作るより、彼女が調理したほうが百倍美味しいのだ。
《全国の家庭料理人および食いしん坊の皆様、こんにちは! 今日ご紹介するのは、株式会社グラットンの新製品『南国ナンプラー』です。グラットンといえば、大ヒット商品『たちまちエスニックシリーズ』で有名ですが、今回の『南国ナンプラー』も品切れ店続出の大人気となっております。エスニックな風味がたまらない。タイ風料理をご家庭で味わうための、特別レシピをお送りいたします。素晴らしいゲスト様も登場しますよ~。お楽しみに!》
交差点に入るためか、壮二がふいに車のスピードを緩めた。信号が黄色に変わり、ゆっくりと停止する。林に囲まれた道路は車も少なく、エンジン音が聞こえてきそうに静かだ。
「グラットンか。食品業界トップの大企業よね」
「……ええ。『たちまちエスニックシリーズ』が大当たりして以来、右肩上がりの業績です」
グラットンは調味料、ノルテフーズは冷凍食品が主力商品なので、まともに競合する相手ではない。だが、業績の良い食品会社は意識している。
「タイ料理かあ。いいわよね、エスニック料理は好きだわ」
「はあ」
「最近、エスニック文化が見直されて、流行になってるし。これから夏に向けて、ナンプラーを使った料理は人気が出るかもね」
「そうですね」
気のない返事が続き、希美は抗議の目を向けた。しかし壮二は信号に集中しているようで、視線に気付かず、こちらを見ようともしない。
「壮二、聞いてる?」
「え? あ、はい」
信号が変わると、彼は左右を確認してから発進した。
「すみません、いやに長い信号だなと思って。ちょっと時間が気になったんです」
社長を待たせてはいけないと、心配しているのか。のんびりに見えて、やはり気が小さいところがあるのだ。
(情けないけど……仕方ないか)
夫となるなら、これくらいのスケールがちょうどいい。大きすぎる器は、かえって扱いづらいだろう。
ホテルが見えてくる頃、ラジオはCMを終え、アナウンサーの軽快なお喋りが流れ始めた。グラットンの『南国ナンプラー』は日本人好みに味が調えられている。夏向け料理のレシピを聞くうち、酸味と旨み、香ばしさが舌に伝わるようだった。
(あー、美味しそう。帰ったら、武子さんに作ってもらわなきゃ)
駐車場に入ると、壮二はホッとした笑顔で希美のほうを向いた。
「お疲れ様でした。それでは、行きましょうか」
一刻でも早く降りたそうにしている。
ここまで来て、なにを慌てることがあるのか。小心者の壮二に呆れつつシートベルトを外そうとすると、ラジオが早口でCM前のお知らせをした。
《次のゲストコーナーでは、なんとグラットンの代表取締役社長、南村壮太さんに登場していただきます。社長自ら……》
「……えっ?」
壮二がエンジンを切り、アナウンサーの声は途切れた。だけど、社長の名前ははっきりと聞き取れた。
0
あなたにおすすめの小説
【R18】純粋無垢なプリンセスは、婚礼した冷徹と噂される美麗国王に三日三晩の初夜で蕩かされるほど溺愛される
奏音 美都
恋愛
数々の困難を乗り越えて、ようやく誓約の儀を交わしたグレートブルタン国のプリンセスであるルチアとシュタート王国、国王のクロード。
けれど、それぞれの執務に追われ、誓約の儀から二ヶ月経っても夫婦の時間を過ごせずにいた。
そんなある日、ルチアの元にクロードから別邸への招待状が届けられる。そこで三日三晩の甘い蕩かされるような初夜を過ごしながら、クロードの過去を知ることになる。
2人の出会いを描いた作品はこちら
「純粋無垢なプリンセスを野盗から助け出したのは、冷徹と噂される美麗国王でした」https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/443443630
2人の誓約の儀を描いた作品はこちら
「純粋無垢なプリンセスは、冷徹と噂される美麗国王と誓約の儀を結ぶ」
https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/183445041
鬼上官と、深夜のオフィス
99
恋愛
「このままでは女としての潤いがないまま、生涯を終えてしまうのではないか。」
間もなく30歳となる私は、そんな焦燥感に駆られて婚活アプリを使ってデートの約束を取り付けた。
けれどある日の残業中、アプリを操作しているところを会社の同僚の「鬼上官」こと佐久間君に見られてしまい……?
「婚活アプリで相手を探すくらいだったら、俺を相手にすりゃいい話じゃないですか。」
鬼上官な同僚に翻弄される、深夜のオフィスでの出来事。
※性的な事柄をモチーフとしていますが
その描写は薄いです。
密室に二人閉じ込められたら?
水瀬かずか
恋愛
気がつけば会社の倉庫に閉じ込められていました。明日会社に人 が来るまで凍える倉庫で一晩過ごすしかない。一緒にいるのは営業 のエースといわれている強面の先輩。怯える私に「こっちへ来い」 と先輩が声をかけてきて……?
極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~
恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」
そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。
私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。
葵は私のことを本当はどう思ってるの?
私は葵のことをどう思ってるの?
意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。
こうなったら確かめなくちゃ!
葵の気持ちも、自分の気持ちも!
だけど甘い誘惑が多すぎて――
ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。
【完結】退職を伝えたら、無愛想な上司に囲われました〜逃げられると思ったのが間違いでした〜
来栖れいな
恋愛
逃げたかったのは、
疲れきった日々と、叶うはずのない憧れ――のはずだった。
無愛想で冷静な上司・東條崇雅。
その背中に、ただ静かに憧れを抱きながら、
仕事の重圧と、自分の想いの行き場に限界を感じて、私は退職を申し出た。
けれど――
そこから、彼の態度は変わり始めた。
苦手な仕事から外され、
負担を減らされ、
静かに、けれど確実に囲い込まれていく私。
「辞めるのは認めない」
そんな言葉すらないのに、
無言の圧力と、不器用な優しさが、私を縛りつけていく。
これは愛?
それともただの執着?
じれじれと、甘く、不器用に。
二人の距離は、静かに、でも確かに近づいていく――。
無愛想な上司に、心ごと囲い込まれる、じれじれ溺愛・執着オフィスラブ。
※この物語はフィクションです。
登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる