夫のつとめ

藤谷 郁

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希美お嬢様

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 引越しのバイトを終えた壮二は、寛人のマンションに上がってすき焼きの用意を手伝った。
 今は夜。酒やジュースを買いこんできた武子も加わり、3人で鉄鍋を囲んでいる。

 武子は北城家に住み込みで働く家政婦だった。月に6日休みがあり、その前夜に同居する寛人のマンションに帰って来るそうだ。

「武子はさ、俺より希美お嬢様が大事なんだ。俺が風邪で寝込んでも、仕事に行っちまう」
「仕方ないだろう。お嬢様が独り立ちするまで、アタシがちゃんと見守って差し上げないと」

 武子は家政婦の仕事よりも、希美お嬢様に人生を捧げている。
 もちろん家政婦として雇われたのだが、当初、生まれたばかりの希美がいたため、子守も務めることとなった。
 赤ん坊の頃から世話する希美は、彼女にとって誰より大切な存在なのだ。

「だからな、壮二。希美さんに惚れても、武子のお眼鏡にかなわなければ付き合うのは無理だぜ」

 寛人が焼酎で赤くなった顔を寄せてきた。壮二は飲みかけたウーロン茶を噴きそうになる。

「何だって。あんた、希美お嬢様に惚れたのかい?」

 鍋に牛肉を投入しつつ、武子がじろりと睨んでくる。
 鬼のような形相に壮二は肝を冷やすが、その質問には正直に答えた。

「はい。あんなきれいな女性を見るのは初めてです。感動して……女神様かと思いました」

「女神様?」
「女の人に対してこんな気持ちになるのは、初めてです」
「……ふうん」

 頬を染めて素直に告白する壮二に、武子はちょっと目を細めた。

「お嬢様ほど美しいお方はそうそういないからね。まあ、あんたが惚れるのも無理はないよ」
「しかし、何といっても社長令嬢だからなあ。厳しいことを言うが、フツーのあんちゃんには手の届かない存在だ。早いとこ諦めたほうがいいぜ。なあ、武子」
「……」

 武子はなぜか、黙っている。壮二をさらに傷付けないよう、気遣っているのだろうか。
 寛人がグラスに酒を注ぎ、話の向きを変えた。

「ところでお前、料理作るの上手いな。すき焼きの下準備も、実に手際がよかった」
「実家が食堂だったので、見よう見まねで覚えたんです」
「食堂だった……てことは、今は違うのかい?」

 武子が口を開き、横から問いかけた。

「ええ。実は、ついこの間閉店したんです。近所にできたファミレスにお客を取られたり、いろいろ重なって。経営不振ですね」

 武子と寛人は、納得の顔になった。

「だから、アルバイトなのか」
「はい。親も店の後始末でこれから大変だし、生活費くらいは自分で稼ごうと思いまして」

 武子は壮二の器を取り上げると、肉を山盛りにした。

「どんどんお食べ。そんな痩せっぽちじゃ、仕事なんかできやしないよ」
「え、あの……」

 見ると、彼女は涙ぐんでいる。
 不運な貧乏学生に同情したらしい。やはり優しい人なのだと壮二は思い、彼女の親切に感じ入った。
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