夫のつとめ

藤谷 郁

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希美お嬢様

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「なあ、壮二のやつ鍛えたらいい身体になるんじゃないか。背も高いし、骨格もしっかりしてるぞ」

 山盛りの肉をせっせと食べる壮二を見て、寛人が武子に囁いた。

「言われてみればそうだね。筋肉が付けばもっとパワーが出るだろうに、もったいない」
「お前の好きなタイプじゃないか。鍛えてやったらどうだ」

 二人の会話が聞こえて、壮二がきょとんとする。

「俺たち、格闘技やってるんだよ。武子は柔術チャンピオン。俺はレスリングな」
「な、なるほど。だから体格がいいんですね」

 しかし、今の"鍛える"とはどういう意味だろう。あと、好きなタイプというのは……

「なんだい、その顔。取って食いやしないよ」
「いえ、そんなつもりでは……すみません」

 金剛力士像のような武子にじろじろと見回され、つい警戒してしまった。

「アタシは現役時代から、鍛えがいのある若手を見るとウズウズするんだ。だけど安心しな、やる気のない相手を鍛えたりしないから」
「しかし、惜しいぜ。せっかくの素材なのに」

 寛人は残念そうに、ため息をついた。壮二は困惑するが、彼らは悪気があるわけではない。それどころか、親身になってアドバイスしてくれるのだ。
 労働するには体力がいる。そのために鍛えろと言うのだろう。

 壮二は何だか、いたたまれなくなる。
 北城希美という女性に惹かれ、その繋がりを求めてここに来た。要するに、自分の願望のために、彼らを利用しようとしたのだ。
 食事が済むと手を合わせ、丁寧に挨拶した。

「ご馳走さまでした。あの、お礼に後片付けさせてください」
「おや、そうかい。あんたも律義だね」

 壮二が洗いものをする間に、武子と寛人は寝る準備を始めた。片付けが終わって帰ろうとすると、二人は今夜は泊まっていけと言う。

「とんでもない。ご馳走になった上にそんな……まだ電車もありますし、帰ります」
「遠慮するな。隣の部屋に布団を敷いたから、風呂に入ってとっとと寝ろ」

 パジャマ替わりのスウェットを荒っぽく押し付けられた。壮二は逆らうのをやめ、泊まることにする。

「朝食は僕が作りますからね」
「ハイハイ、ありがとうよ。あっ、そうだ……そこの教科書の束、物置きに入れといてくれねえか」

 寛人がリビングの隅を指した。小学校向けと思われる教科書や教材が紐でくくられている。

「おや、それはお嬢様の教科書かい?」
「そうそう、言うのを忘れてた。昼間運んだチェストの中に入ってたんだ。もし必要なら、希美さんに返そうと思ってな」

 寛人の言葉に、武子は首を横に振った。

「この前、部屋の整理をしたばかりだからねえ、お嬢様はいらないと仰るでしょうよ。壮二、悪いけど物置きに持って行って。風呂の横にある小さな部屋だよ」

 壮二は教科書の束を持つと、

「分かりました。それじゃ、今夜はお世話になります」

 二人に挨拶してから居間を出た。



(北城希美さんの教科書か……僕が使っていたのとは出版社が違うぞ)

 きっと、私立のお嬢様学校に通っていたのだろう。大学4年生ということは、三つ年上である。年上の女性というのも魅力に感じられた。

「物置きって、ここだよな……おっと」

 結び方が緩かったのか、ドアを開けた時、紐が解けて教科書がばらばらになってしまった。

「あーあ」

 慌ててかき集めようとして、ふと手を止める。色褪せた表紙の、B5サイズの冊子が混ざっていた。これは教科書ではない。

「……文集?」

 ぱらぱらとめくると、中身は小学校の作文集だった。テーマは『私の未来』となっている。

「もしかして卒業文集かな……ん?」

 冊子の真ん中あたりに、北城希美という名前を見つけた。
 お嬢様の作文が載っている。それもそのはず、この文集は彼女の持ち物である。
 壮二は勝手に読むつもりはなかった。
 しかし、その書き出しにハッとして、つい文字を目で追ってしまった。

(これは……)

 最後まで読み終えた彼は、呆然とする。思いもよらぬ未来を、彼女は思い描いていた。

(いやでも、子どもの時に書いたものだし……だけど……)

 それは天から下りてきた一筋の糸――彼女と自分を繋ぐ希望の光だった。
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