フローライト

藤谷 郁

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24歳の午後

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秋も深まる11月半ば。土曜日の午後。

彩子さいこは一人、県立図書館にいる。


「今年もクリスマスの季節なんだ」


ふっとため息を漏らす。

喫茶室の窓から見える大通りの街路樹には、早くもイルミネーションが取り付けられている。

彩子は高校卒業後、包装容器を製造する地元の中小企業に就職した。

生産管理、経理、総務。小さな会社なので、あらゆる仕事を受け持っている。来客を案内したり、お茶を出したり、雑務が重なると結構忙しい。

事務所には50代の課長、40代の主任、そして彩子の3人が入り、毎日かわり映えのない作業に従事している。

休日は映画を観に行くか、友達と食事をするか、今日のように図書館に面白そうな本はないかとぶらぶらしに来るのが主な過ごし方だった。

半年前まではファンタジーやSFと言ったジャンルの本を好んだが、この頃は違う。

恋愛小説を選ぶようになった。

それも極端にドラマチックな内容のものは避けて、ごく誰にでも起こりそうな恋愛を描いた本を。

親友の智子ともこが結婚すると聞かされたのも半年前。

もちろん、本と親友の告白は関係している。同い年の、もうすぐ25歳になる彩子は大いに刺激を受けた。

高校時代、ソフトボール部で共に汗を流してきた智子は、誰から見ても超体育会系の女だった。男のような短髪で、年中真っ黒に日に焼けて、体型も逞しくて声も雷のように大きい。

また、目鼻がはっきりとした凛々しい顔立ちなので、『あんたが男だったら女をたくさん泣かせてるよね~』などと、部の先輩たちに真顔で言われたりした。

智子は2年生の時からチームのエース。そして彩子は二塁手として幾度も彼女の苦しい戦況を救い、打者としてもチャンスに強いタイプだったので、チームメイトとしての信頼も厚かった。

読書が好きなのも共通点で、話が合う。ジャンルは多少違うが、そこがまた話の幅が広がるきっかけになって楽しいのだ。

何より彼女と話すのは楽である。

部を離れると穏やかな表情になり、彩子の多少神経質な相談ごとにも真面目に乗ってくれる。大人っぽい落ち着きが有難かった。

充実した高校生活を送れたのは智子のおかげだと、心から感謝している。

卒業後も、ちょっとした行楽や旅行にも出かけたり、「デート」をしたものだ。

本当に楽しかった。

それが、去年の秋頃から智子の休日に他の予定が入るようになり、あまり会えなくなってしまう。

そして半年前、5月のある日。

久しぶりに会った智子に、つき合っている男性と婚約し、来年の3月に結婚すると聞かされたのだ。

待ち合わせた午後のカフェで、彩子は窓際のポトスを眺めていた。

なぜか、智子と眼を合わせられなかった。

それまでも感じていた。でも今、はっきりと彼女はきれいになっている――その姿は、窓からの日差しに映え、とても眩しくて。

高校時代の、あの逞しき親友はもういない。

目の前には、長い髪をきれいに結い、美しく化粧を施し、幸せに微笑む女性ひとがいる。

だけど、彼女の温かで優しい眼差しはあの頃と何も変わらず、彩子を包んでくれる。まるで別れを告げられるような哀しさに、泣きそうな自分に戸惑っていた。

友達に対してそんな感情を抱くのは初めてだった。


『彩子には結婚式に絶対に来てほしいの。一番大事な親友なんだからね』


智子のストレートな言葉に、とうとう涙がこぼれ落ちてしまう。人に涙を見せるのは何年振りだろう。


『おめでとう』


彩子は親友の手を握りしめ、泣き笑いでやっと言えた。



彩子は思い出した。

5月の午後の日差しの中、微笑む智子の眩さを。

運ばれてきたホットコーヒーをひと口含む。

今、彩子は恋愛に憧れている。

親友をあれほど美しく変身させた恋とは、どんなものなのだろう。

そして……とある事実に愕然とするのだ。

彩子は今まで、好きになった男子はいるが、きちんと付き合ったことがない。まったくの恋愛無精で、何も考えずに生きてきたのだ。




彩子は図書館を出ると、夕暮れの街を駅まで歩いた。

この頃は日が暮れるのが早く、風に冬の冷たさが混じっている。秋物の上着を羽織っても肌寒かった。

来年の2月には25歳になる。彩子は初めて自分の将来を案じた。


「結婚……か」


母親や近所に住む伯母が、時々見合い話を持ちかけてくる。わずらわしい身内のおせっかいが、有難く感じられてきた。


「のんきな娘だもの、世話を焼きたくもなるよね」


だけど、彩子が不安なのは結婚そのものではなく、それ以前の過程についてだった。果たして自分のような無精者に、男性と恋愛関係が結べるのか。

出会いの形はどうあれ、その相手と恋愛して結婚するのが自然な流れだと、彩子は思っている。つまり、恋愛できなければ結婚もできないという理屈になる。


まっすぐ家に帰る気にならず、彩子は駅前のコーヒースタンドに立ち寄った。本日2杯目のホットコーヒーを口にし、冷たい風の吹く街を眺める。

日曜日の夕方。

窓の外は駅に向かう人、これから街に繰り出す人、様々な人が行き交い、にぎやかだ。

高校生とおぼしき男女のグループが、はしゃぎながら通り過ぎていく。彩子があの年頃には、土日は部活に燃えていたし、男の子と遊ぶなどという経験は一度もない。

ふと、窓に映る自分に気がつく。

どうにも野暮ったいと、自分でも思う。ファンデーションと薄い口紅だけの化粧。眉の手入れも自己流で、ほとんど適当。

髪も男の子みたいに短くて、あろうことか寝癖がついている。朝からずっと、この頭で出歩いていたとは、自分でも呆れてしまう。

とにかく、24歳の女らしくない。


(いつだったか、智子が言ってたっけ)


――自分を知らない人間はダメ。知ろうともしないのはもっとダメ。


教室かグラウンドか、あるいは遠征先の試合会場での発言か思い出せない。いつになく厳しい表情だった。今の自分を叱る言葉のように、リアルに聞こえてくる。

空になったカップを見下ろし、なるほどなあと一人頷く。


(私は、男の人だけでなく、自分にも無関心なんだ)


コーヒースタンドを出た後、久しぶりにファション誌でも買おうと思い、駅の書店に寄った。

立ち読みの女性達の隙間から物色し、3冊ほど選んだ。

女性向けの雑誌は意外に重い。彩子はトートバッグを両手で抱え、図書館で何も借りなかったのが幸いだと、苦笑いする。

単純なことに、雑誌を買っただけで何となくわくわくした。何が始まるでもないのに、我ながら単純だなと彩子は思う。

バッグを肩にかけ直すと、急行電車に乗り遅れないよう、階段を駆け上がった。
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