フローライト

藤谷 郁

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恋のきざし

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翌日、日曜日の朝早くに伯母の木綿子が訪ねてきた。

まだ寝ていた彩子は母に起こされ、慌てて洋服に着替えて顔を洗う。

洗面所の窓から外を見ると、昨夜のみぞれが朝方雪にかわったらしく、道路が白くなっていた。


「彩子ちゃん、良樹君とのお見合い、何だかいい感じみたいね。伯母さん嬉しいわ」


居間のソファに座ると、伯母は明るく笑って彩子の手を取った。


「うん……あ、でも」

「大丈夫よ、慌てないで。しばらくお付き合いしてから返事をちょうだい。待ってるから、ね」


おっとりとした口調に、彩子は安堵する。

前向きに考えると決めはしたが、今は彼についてほとんど何も知らない。性急な返事はできないのだから。


「ああ、夢なら覚めませんように」


母がコーヒーカップを両手に包み、祈る真似をした。

彩子と伯母は顔を見合わせ、苦笑を浮かべる。この母親は、もう結婚が決まったと思い込んでいるようだ。

伯母は、母が焼いてきたトーストを食べながら話した。


「あの子……良樹君のことはね、赤ちゃんの頃から知ってるのよ。穏やかな男の子でね、ご両親も『あいつが怒るなんてめったにない』って、いつも不思議そうにしてるわ」

「まあ、いいわねえ~」


短気な夫を持つ母は、心底羨ましいという顔をした。

短気な両親を持つ彩子は、そんな仏様みたいな人がこの世にいるだろうかと、にわかには信じがたい気持ちになる。

しかし、原田の微笑みや穏やかな物腰を思い出すと、素直に納得できた。


「それで、原田さんのご両親は何て?」


母が伯母をせっつく。母親としては、本人よりも親の反応が気になるらしい。


「そうそう。この前ね、原田のご両親に彩子ちゃんの写真を持っていったのよ。そうしたら、可愛らしいお嬢さんですね~って、喜んでらしたわよ」

「ん、まあ。本当に? おっほほほほ……」


自分が褒められたかのように舞い上がる母の隣で、彩子はごくりとトーストを呑み込む。


「あちらのご両親もね、彩子ちゃんが私の姪だから、なおさら喜んでいるわ」


彩子はひたすらトーストにかじりついた。


(可愛らしい……か。ホントかなあ)


悪い気はしないが、丸のまま受け取るわけにはいかない24歳のオンナである。

伯母と原田の母親は幼馴染みであり、親友だ。親しい間柄なので、そのぶん彩子のことを好意的にとらえてくれるのだろう。


「ま、今日はのんびりしなさいよ。私達、買い物に行ってくるからね~」


母と伯母は、いそいそと歳末セールに出かけた。今日は早朝からデパートが開店するらしい。

それにしても、母の機嫌がやたらと良い。

勝手に盛り上がっちゃって……と、彩子はもとより、父も弟もあきれ返っている。この話が駄目になったらどうするつもりだろう。

考えるだけで恐ろしかった。

しかし彩子は、どんな結果になろうと誠実に原田と向き合うと決めている。周りに何と言われたって関係ない。

バッターボックスに立つのは一人なのだ。

コーヒーを飲み干すと、彩子は「よし!」と気合を入れて立ち上がった。



母と伯母が買い物に出かけた後、タンスの肥やしになっているスポーツウエアを着て、表に出た。道路の雪はすでにとけている。気温は低目だが陽射しは暖かく、気持ちの良い天気だ。


「ああ、清々しい」


彩子の家からそれほど遠くない場所に、県営の運動公園がある。中学時代は、たびたびソフトボールの試合会場となった。

野球場のほかにも、陸上競技場、テニスコートなどのスポーツ施設が充実し、遊歩道が整備されている園内は、地域住民の憩いの場である。

休日といえば図書館通いが定番の彩子だが、今日は久しぶりに体を動かしてみようと思った。高校を卒業して以来、自主的に運動していない。スポーツクラブに通うわけでなし、相当なまっている。

屈伸と伸脚を軽くやり、アキレス腱をよく伸ばす。久々に履いたランニングシューズの紐をしっかり結んで、走り出した。


運動公園の門をくぐるとペースを落とし、遊歩道の入り口にある自動販売機の前で整理体操をした。


「もっと準備運動したほうが、よかった……かも…」


荒い息を吐きながら、傍らのベンチによろよろと腰かける。


「ああ……疲れた」


思わずもれたその声に、通りかかったサッカー少年達が振り向く。中学生くらいの男子だが、彼らにはおばさんに映るかもしれない。

彩子は恥ずかしくなり、何となく俯いた。

タオルで汗を拭いてから自動販売機でスポーツドリンクを買った。


「ふうっ」


息が整ったところで、ポケットに入れておいたスマートフォンを取り出す。原田の連絡先は登録済みなので、あとは発信するだけ。


「今日は日曜日だし、電話に出られるかもしれない」


特に用事はないので、かけようかかけまいか迷う。何かあったら電話を下さい……と、原田は言った。やはり、かけたら迷惑だろうか。

スマートフォンの画面を見つめ、逡巡した。いざとなると意気地がなくなってしまう。


「大丈夫、勇気を出して。電話する理由は、えっと……そう、声が聞きたいって言うのが用事!」


自分で自分を励まし、発信ボタンを押した。そんな理由を、彼に言えるわけがないのだが……

呼び出し音が鳴り始めた。2回、3回……心臓が早鐘のように鳴っている。

やっぱりやめよう、そう思ったとたん応答があった。
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