フローライト

藤谷 郁

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恋のきざし

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彩子は大掃除が終わると、母親を車に乗せて買出しに出掛けた。


「急にご機嫌になったわね。まあ、元気が出たならいいわ。アンタは昔からいじけやすいから」


母は呆れた口調だが、今の彩子は何を言われても楽しくてしょうがない。原田からの電話は、それほどまでに嬉しいものだった。


郊外の大型ショッピングセンターは買い物客でごった返している。年末とあって、家族総出の買い物客が多いのだろう。

母は魚介類のコーナーで、ずわいがにとたらばがにを慎重に吟味してなかなか動かない。山辺家では毎年、大晦日はカニ鍋と決まっている。


「いっそのこと両方食べようよ」


他の客のじゃまになっているのを気にして彩子が言うと、


「うーん、そうね。今回は奢るかあ」


娘の結婚話が順調なためか、気前がよかった。


「野菜は31日に買えばいいね。さてと、私はお飾りを見てくるから……」


母は財布から一万円札を三枚取り出し、彩子に手渡した。


「なに?」

「これで洋服でも買っていらっしゃい。お正月休みに着て行く服をさ」


彩子は目を白黒させた。おそらく原田と出かける時に……という意味だろうが、節約家の母がここまでするとは驚きだ。

さっきのカニといい、かなりの大盤振る舞いである。


「じゃあ、3時に集合ね」


呆然とする彩子を置いて、母はさっさと買い物客に紛れてしまう。慣れないことをして、照れたのかもしれない。


「ありがとうね」


彩子は母の姿が見えなくなった方に、小さく呟いた。




「あれっ、彩子じゃない」

専門店街の店でセーターの棚を見ていると、聞き覚えのある声が呼んだ。

振り向くと、ショップの袋を両手に提げて、エリが立っている。グレイのスーツにコートという、仕事中の出で立ちだ。


「あっ、偶然だね」


彩子が言うと、エリもうんうんと頷く。


「休日出勤の帰りでさ……っていうか、この前会ったばかりなのに、ほんと偶然。面白いわ~」


先日の再会まで何年も会わなかったのに……という意味である。彩子も同じように考えたので、思わず笑った。


「でも、あんたに会えて良かった! 実はさ、話したいことがあったのよ。今、時間ある?」


早口でエリに訊かれ、彩子は腕時計を確かめた。母との待ち合わせまで、まだ30分ある。


「30分くらいなら大丈夫だよ」


それならと、近くの休憩コーナーに移動し、空いた席に腰掛けた。ショップの袋をどさりと置くと、エリがふうーっとため息を漏らす。


「どうかしたの?」


彩子の問いに、エリは薄い唇を噛み、切り出した。


「この前の雪村よ」

「雪村?」

「大丈夫なのかね、あの子」


この前の食事会での、雪村の様子を思い出す。なんとなく、エリの言いたいことが分かる気がした。


「雪村が付き合ってる……彼の話?」


『カラダの相性がいい』という、恋人のことだ。


「そうそう、セックスだけの人って感じだったでしょ……ってことは、もしかしたら不倫でもしてるんじゃないかと思って」

「え……」


エリは高校時代、雪村と仲が良かった。

二人ともしっかり者で、成績優秀。部活動以外でも、皆にとって頼りになる存在だった。


「あんなしっかりした子が、何だか危なっかしい感じがして」


エリは友達として心配し、どうするべきか決めかねているようだ。


「じゃあ、確かめてみようか」


彩子が言うと、彼女は意外そうな目を向ける。


「その男を?」

「うん。その人、アクセサリー工房にいるって雪村が言ったよね。場所がわかるといいけど」

「あ、多分わかるわよ。あの子のクロスペンダントの裏に、ロゴが入ってたでしょ。あれがヒントになると思う」

「え、そうなの? よく見てたね」

「実は、さりげなくチェックしておいたんだ」


エリも工房を覗いてみようと考えたが、そこまでしていいかどうか迷っていた。彩子に背中を押してもらい、決心がついたと笑う。


「よかったわ、彩子に相談して。あんたって人のことになると行動力あるよね」

「そ、そうかな」


思い当たる節はある。高校時代も、そんな感じだったような。


「よし、それじゃ彩子にも協力してもらって、相手の男がどんな人か確かめるわ。年末年始は工房も開いてないだろうから、年が明けてからまた連絡するよ」

「わかった。待ってる」


エリと約束したところで、ちょうど3時になった。彩子はエリと別れると、母との待ち合わせ場所に戻った。


「あら、なにも買わなかったの?」


手ぶらで現れた娘に、母は目を丸くする。彩子は三万円を返そうとしたが、母は受け取らなかった。


「いいから、少しは良いものを買いなさいよ。あんたってばいつも安物ばかり身につけて……」


お札を無理やりポケットに押し込まれ、クドクドとお小言を聞かされた。耳が痛いが、本当のことなので黙って聞くほかない。

買い物の帰り道、彩子はエリと話したことを思い出した。

食事会の日、雪村の瞳が一瞬見せた愁いは気のせいではなかったのか。大きなお世話かもしれないが、なるべく早く相手の男性を確かめたいと思った。
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