フローライト

藤谷 郁

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恋のきざし

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「原田さん、そろそろ休憩しませんか」


家を出てから既に2時間が過ぎようとしている。彩子は原田のために提案したのだが、自分自身も体を伸ばしたかった。


「そうだな……少し行くとパーキングエリアがあるから、寄りましょうか」


パーキングエリアは遊園地の北側にある。

天気はいいけれど、風が冷たい。彩子はジャケットを羽織り、ニットの帽子も被った。


「寒いですか」

「はい、ちょっと。私、寒がりなんです。原田さんは大丈夫なんですか」


原田はセーターのままである。


「う~ん、少し冷えますが、無精者なんで」


上着を脱いだり着たりするのが面倒という意味だろう。それにしても、ずいぶんと平気そうだ。

駐車場から南の方角を眺めると遊園地があり、その向こうに冬の海が白く霞んでいる。

久しぶりに見る光景だと彩子は思った。


「風邪ひきますよ」


原田に促され、店舗棟へと歩き出す。

二人はコーヒーショップで飲み物を買うと、窓際のベンチに並んで腰掛けた。

原田はドリップコーヒー、彩子はカフェモカ。ふたつのカップから、白い湯気が立っている。


「ふうう~」


彩子はひと口含むと、大きな息をついた。


「だいぶリラックスしてきたね。その調子です」


いかにもホッとした様子が可笑しかったのか、原田は学校の先生みたいな口調で言い、楽しげに笑う。


(ホント、原田さんは落ち着いてる。そんなふうに見えるだけかな)


やさしい眼差しが眩しくて、それとなく視線を逸らす。

彩子には判らなかった。



30分ほど休憩し、車に戻ることにする。

彩子はトイレに寄るからと、原田には先に行ってもらった。


手を洗っていると、ポケットでメールの着信音が鳴る。発信者を確認するとエリだった。


(あ、雪村のことだ)


年末に約束したことを思い出し、メッセージを開く。



<明けましておめでとう! 早速だけど、例の工房について。雪村のペンダントに刻印されていたロゴはこちら。スペルは『 K o r e 』発音はコレー? 意味は? 木星の衛星で『コレー』っていうのがあるけど関係あるかなあ? ネットで調べたんだけど、高柳たかやなぎ町に『アクセサリー工房kore』という店を発見。雪村の勤め先の近所だし、ここで間違いないでしょう。1月5日から営業とのこと。カフェも併設してるみたいなので、偵察も兼ねてお茶しない? 連絡待っています>


「偵察」の文字に、彩子は思わず微笑む。

『了解。夜に電話します』と返信して、原田の待つ車へと急いで戻った。



湾岸道を降りてから、海沿いの道は南にカーブしていた。


「もう少し走ったら昼にしましょう。ドライブインがあるみたいです」


そういえば、彩子はなんだかお腹がすいてきた。緊張がすっかり解けているのをそれで自覚し、クスッと笑う。


「どうかした?」

「いえ、何でも。うふ……」


一人で笑う彩子を原田は不思議そうに見るが、そんな彼の表情も柔らかだ。


視界いっぱいに広がる海に見とれながら、頭ではメールのことも考える。

エリの送ってきたスペルは本当に『コレー』と読むのだろうか。

『コレー』とは、どう言う意味なのだろう。

アクセサリーに何か関係があるのだろうか。


「どうしたんです?」


ぼうっとする彩子に、原田が声をかける。彩子はふと、彼に訊いてみようと思った。


「今、友人からメールをもらったんですけど、教えてもらったお店の名前が英語なので、読めなくて。スペルはわかるんですけど」

「へえ、どんなスペルですか」

「ええと、ケイ・オー・アール・イー……」


信号待ちの車内はシンとして、とても静かだ。

なので、原田が一瞬絶句したのが、気配でわかった。

何かまずいことでも言ったかと、彩子は焦る。しかし原田は別に怒った様子ではない。というより、少し困ったように眉を寄せている。


「原田さん?」

「それは、何の店ですか」


真面目な口調にドキッとするが、彩子はありのままを答えた。


「手作りアクセサリーの工房です」


原田の目もとに翳りが見えた……気がした。


「ご存じなんですか」


彩子は胸に、雲が立ちこめるのを感じた。なぜか、とても不安な色をしている。


「それは、『コレー』と読みます。オーナーは……僕の知っている人です」


原田は微かに笑うが、彩子にはどこか苦しげな表情に映った。



『コレー』と言うのは、ギリシア神話に出てくる乙女ではないか。

彩子はふと思い出した。

冥界の王ハデスがひと目惚れをし、無理やり妻にした娘。

ハデスに冥界へと連れ去られ、その時彼女は冥府の食べ物であるザクロを4粒食べてしまった。そのため、1年の内3分の1を冥界の女王『ペルセポネ』として過ごすことになる……

彩子は中学生の頃、神話関係の本を熱心に読んだ。

中でもペルセポネの話は印象に残っている。多感な年頃の彩子には、無理やり妻にされたという部分が衝撃的だったからだ。

神話に登場するコレーが、アクセサリー工房の名前と関係あるのかどうかわからない。だけど、なんとなく繋がる気がする。

それにしても……と、彩子は思う。

原田の態度は不自然だった。なぜあんなふうに、苦しげに微笑んだのだろう。
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