フローライト

藤谷 郁

文字の大きさ
34 / 82
プロポーズ

4

しおりを挟む
「感動的だ。こんな出会いがあっていいのか」


後藤はストローでちゅうちゅうコーヒーを吸いつつそんなことを言う。大きな熊が蜂蜜を吸っているように見えて、彩子は何だか可笑しかった。


「しかし、あれからどうしてたんだ。お前、高校では野球をやらなかったのか。いいセンスしてるくせによ」

「お前はないだろう。馴れ馴れしいぞ」


原田がめずらしく語気を強くする。


「あ、そう。勘弁してくれ。じゃ原田、どうして野球を続けなかったんだ」


後藤は言い直すが、さほど気にも留めずに訊いてくる。

原田は仕方ない感じで答えた。


「他にやりたいことがあったんだ」

「他にやりたいことがあったんだ……キリッ。聞いた? 彩子ちゃん。気障だよな」

「うふっ」


もう彩子は我慢ならないくらい可笑しかった。智子の結婚相手がこんなひょうきんな人だとは、思いも寄らず。


彩子が楽しそうなので、原田は怒る気にならないらしい。

だが、いささか不機嫌な口調でやり返した。


「対戦相手の女性をナンパするような奴に言われたくないぜ」

「なにい? 自分だってこんなおぼこい娘をゲットしてるじゃねえか。お互い様よ」

「おぼこいって、智子が私についてそんな風に言ってるんですか」


後藤は横から入ってきた彩子をまじまじと眺め回す。


「そうだよな。そんなにおぼこくないよな。あいつ少し言い過ぎだって、今度叱っておきます」

「おい、後藤」


原田がたしなめようとすると、ウエイターがコーヒーを運んできた。


「彩子ちゃんはカフェモカだろ」


後藤が彩子に顔を近付けて言う。


「智子から聞いてますね」

「ほら、やっぱり。大当たり~!」


原田はちょっと面白くない顔をして、二人のやり取りを見ている。


「おっといけねえ、睨まれた」


後藤は大きな体を丸め、彩子の後ろに隠れる真似をした。

子どものような仕草に原田は呆れたのか、苦笑を浮かべるのみ。黙ってコーヒーを含んだ。


「それにしてもさ、原田。まじめな話、お前に会えてメチャクチャ嬉しいよ。連絡先を交換してくれ」

「連絡先?」


唐突な申し出に原田は目を瞬かせる。


「実は俺達、会社とは別に有志で草野球チームを作ってるんだ。おま……原田くんが助っ人に来てくれると、有難いんだけど~」

「野球はいいけど、そんな時間ないよ。会社のチームにも参加できない有様なんだから」

「大丈夫、本当に時間ができたらでいいからさ。早く電話番号を交換しよう!」


原田は躊躇している。後藤に番号を教えたら、毎日でもかかってきそうな予感がするのだろう。


「嫌なのか、仕方ないな。じゃ、彩子ちゃんの番号を教えてもらって連絡取るか」

「わかったよ、貸せ」


原田は乱暴に後藤のスマートフォンを奪うと、自分の番号を押した。


「ヒャッホー! ありがてえ」

「言っとくが、本当に時間がないんだ」


原田が念を押すが、後藤はまったく聞く耳を持たない。対照的な二人を前に、彩子はクスクス笑っている。


「おい、行くぞ後藤」

「オウ」


後藤は仲間に呼ばれて立ち上がった。


「じゃ、原田またな。彩子ちゃん、いい男に惚れたもんだね、コノ~!」


面白そうに冷かすと、片手を上げて、あっという間に店を出て行ってしまった。



急に店内が静かになる。

もとどおりクラシック曲が聞こえてくると、原田はほっとした顔で彩子を見た。


「ふう、やっと落ち着ける」

「びっくりした……すごい人ですね、後藤さんって」

「ああ。それにしても智子さんって人は大した女性だ。あいつの嫁さんになるってことは、猛獣使いになるに近いものがある」

「うふふ……智子は大人だから、大丈夫」

「そうか。それはあいつもラッキーだ」


原田と微笑み合い、彩子はゆったりとしたひと時を楽しむ。嵐は過ぎ去り、穏やかな時間が戻ったかのように。


だが、それは違っていた。

後藤怜人という嵐は、平穏に進んでいた二人の関係に、思わぬ影響をもたらしたのだ――
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

消えた記憶

詩織
恋愛
交通事故で一部の記憶がなくなった彩芽。大事な旦那さんの記憶が全くない。

期待外れな吉田さん、自由人な前田くん

松丹子
恋愛
女子らしい容姿とざっくばらんな性格。そのギャップのおかげで、異性から毎回期待外れと言われる吉田さんと、何を考えているのか分からない同期の前田くんのお話。 *** 「吉田さん、独り言うるさい」 「ああ!?なんだって、前田の癖に!前田の癖に!!」 「いや、前田の癖にとか訳わかんないから。俺は俺だし」 「知っとるわそんなん!異議とか生意気!前田の癖にっ!!」 「……」 「うあ!ため息つくとか!何なの!何なの前田!何様俺様前田様かよ!!」 *** ヒロインの独白がうるさめです。比較的コミカル&ライトなノリです。 関連作品(主役) 『神崎くんは残念なイケメン』(香子) 『モテ男とデキ女の奥手な恋』(マサト) *前著を読んでいなくても問題ありませんが、こちらの方が後日談になるため、前著のネタバレを含みます。また、関連作品をご覧になっていない場合、ややキャラクターが多く感じられるかもしれませんがご了承ください。

25年の後悔の結末

専業プウタ
恋愛
結婚直前の婚約破棄。親の介護に友人と恋人の裏切り。過労で倒れていた私が見た夢は25年前に諦めた好きだった人の記憶。もう一度出会えたら私はきっと迷わない。

一途な皇帝は心を閉ざした令嬢を望む

浅海 景
恋愛
幼い頃からの婚約者であった王太子より婚約解消を告げられたシャーロット。傷心の最中に心無い言葉を聞き、信じていたものが全て偽りだったと思い込み、絶望のあまり心を閉ざしてしまう。そんな中、帝国から皇帝との縁談がもたらされ、侯爵令嬢としての責任を果たすべく承諾する。 「もう誰も信じない。私はただ責務を果たすだけ」 一方、皇帝はシャーロットを愛していると告げると、言葉通りに溺愛してきてシャーロットの心を揺らす。 傷つくことに怯えて心を閉ざす令嬢と一途に想い続ける青年皇帝の物語

現在の政略結婚

詩織
恋愛
断れない政略結婚!?なんで私なの?そういう疑問も虚しくあっという間に結婚! 愛も何もないのに、こんな結婚生活続くんだろうか?

片想い婚〜今日、姉の婚約者と結婚します〜

橘しづき
恋愛
 姉には幼い頃から婚約者がいた。両家が決めた相手だった。お互いの家の繁栄のための結婚だという。    私はその彼に、幼い頃からずっと恋心を抱いていた。叶わぬ恋に辟易し、秘めた想いは誰に言わず、二人の結婚式にのぞんだ。    だが当日、姉は結婚式に来なかった。  パニックに陥る両親たち、悲しげな愛しい人。そこで自分の口から声が出た。 「私が……蒼一さんと結婚します」    姉の身代わりに結婚した咲良。好きな人と夫婦になれるも、心も体も通じ合えない片想い。

一億円の花嫁

藤谷 郁
恋愛
奈々子は家族の中の落ちこぼれ。 父親がすすめる縁談を断り切れず、望まぬ結婚をすることになった。 もうすぐ自由が無くなる。せめて最後に、思いきり贅沢な時間を過ごそう。 「きっと、素晴らしい旅になる」 ずっと憧れていた高級ホテルに到着し、わくわくする奈々子だが…… 幸か不幸か!? 思いもよらぬ、運命の出会いが待っていた。 ※エブリスタさまにも掲載

雪の日に

藤谷 郁
恋愛
私には許嫁がいる。 親同士の約束で、生まれる前から決まっていた結婚相手。 大学卒業を控えた冬。 私は彼に会うため、雪の金沢へと旅立つ―― ※作品の初出は2014年(平成26年)。鉄道・駅などの描写は当時のものです。

処理中です...