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ブライダル
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翌朝――
彩子は夜中に帰ったのを咎められることなく、家を出ることができた。
母親は原田をすっかり信頼しており、彼と一緒ならいつどこへ出かけようと文句はないようだ。かえって彩子が迷惑をかけないかと、心配するぐらいである。
彩子としてはちょっと複雑だが、原田が家族に認められるのはありがたかった。
(うう……それにしても、眠い……)
今日何回目のあくびだろう。職場のデスクでデータ入力しながら、彩子は一人で照れ笑いした。
事務所は忙しさのピークが過ぎ、久しぶりに落ち着いたムードだ。
「あくびが多いわね~、彩子ちゃん」
いきなり新井に指摘され、ドキッとする。
「いえっ、その……仕事が一段落したから、つい」
「うふふふ」
何もかもお見通しなのよと言わんばかりの笑顔。
彩子はきまりが悪かった。
「ところで、彩子ちゃんは結婚したらどうするの。仕事は続けるの?」
「えっ、仕事ですか……?」
ここ数日間で、彩子の仕事に対する意識が変った。
こんな自分でも役に立つのだという実感が、多忙を極めてみて初めて得ることができた。失敗もするけれど、それも含めて頑張れば結果につながる。
これまで感じたことのない、やる気が湧いていた。
「仕事は続けたいです。できるだけ長く、働きたいです」
彩子の力強い言葉を聞き、新井が胸を撫で下ろす。
「ああ、嬉しい。そう言ってくれて」
「わしも嬉しい」
いつの間にか田山課長がソファに腰かけていた。
「あら、私と二人きりにならなくてようございましたね」
「あはは、そう言うこってす」
新井のからかいを田山が受けて、三人は声を合わせて笑った。
終業後、彩子は帰り支度をしながら今日一日を振り返った。
少しでも暇があると、昨夜のことを思い出してしまう。明日、原田と会う約束をしているのに、どんな顔をすればいいのか分からない。
「原田さんはどうだろう。やっぱり、落ち着き払ってるかな」
――どうしたんだ、顔が赤いぞ。
「なんて、ね」
とにかく、彩子の頭の中は原田でいっぱいだ。そして、彼のことを考えれば考えるほど、会いたくなってしまう。
「あ、またあくびが……」
照れたり、困ったり、幸せを噛みしめる彩子だった。
土曜日の朝。
原田が山辺家を訪れ、彩子の両親に、式場を地元の神社か駅前のホテルにすると報告した。
「いや~、しかし君は本当にてきぱきとした男だな。うちの娘は少しスローモーだからちょうどいい」
父親が珍しく原田に声をかけ、母と弟もうんうんと頷く。心外に思う彩子だが、原田は嬉しそうに微笑んでいた。
「さて、まずホテルから行こうか」
二人は車に乗り込み、式場へと出発した。
彩子が思ったとおり、原田はいつもと変わらぬ態度だ。というより、かなりリラックスしている。
「それ、似合ってるな」
原田が胸元に視線をくれた。
「あ、これですか?」
彩子はアメシストのペンダントをつけている。彼からの誕生日プレゼントだ。
「そういえば、誕生日は何日だっけ」
「明後日です。2月2日」
「そうか。彩子は明後日で25歳か」
「原田さんは8月3日ですね」
「よく覚えてるね」
「獅子座のB型です」
「詳しいなあ」
原田は愉快そうに笑った。
ホテルに着くと、二人はロビーで受付を済ませる。ブライダル相談会の予約を入れてあった。
ブライダルプランナーという女性から、ホテルでの結婚式・披露宴の説明があり、その後チャペル・披露宴会場・控え室に至るまで案内してもらう。
最後に、今後行われるブライダルフェアの招待状をもらい、相談会は終了した。
「彩子、疲れただろ。お茶でも飲もうか」
原田に誘われティールームに向かう途中、玄関ホールを通りかかった。中央に展示されたウエディングドレスを、一組のカップルがうっとりと見つめている。
「彩子は着物が似合いそうだな」
「そ、そうですか?」
「俺もタキシードより、紋付袴がしっくりきそうだ」
それは彩子も同感である。
カップルの後ろを通り過ぎる時、仲良さげな会話が聞こえてきた。
「何度お色直ししてもいいよ」
「嬉しい。こんなドレスを着るのが夢だったの」
「君の好きにすればいいよ、愛してるよ」
彩子と原田は顔を見合わせ、何となく足を早めた。
ティールームの入り口まで来て、原田がホールを振り返る。カップルはまだドレスを眺めていた。
「彩子」
「えっ?」
「遠慮するなよ」
短く言うと、ぽかんとする彩子に笑いかけ、先にティールームに入っていく。
(遠慮って……あっ)
ドレスでも着物でも、好きな衣装を選んで――ということだ。彩子も微笑み、照れたように先を行く彼の背中を追う。
彼の無骨な愛情に、これまでとは違うときめきが胸を打ち始める。どんな花嫁姿でも、誰より幸せになれると彩子は実感した。
彩子は夜中に帰ったのを咎められることなく、家を出ることができた。
母親は原田をすっかり信頼しており、彼と一緒ならいつどこへ出かけようと文句はないようだ。かえって彩子が迷惑をかけないかと、心配するぐらいである。
彩子としてはちょっと複雑だが、原田が家族に認められるのはありがたかった。
(うう……それにしても、眠い……)
今日何回目のあくびだろう。職場のデスクでデータ入力しながら、彩子は一人で照れ笑いした。
事務所は忙しさのピークが過ぎ、久しぶりに落ち着いたムードだ。
「あくびが多いわね~、彩子ちゃん」
いきなり新井に指摘され、ドキッとする。
「いえっ、その……仕事が一段落したから、つい」
「うふふふ」
何もかもお見通しなのよと言わんばかりの笑顔。
彩子はきまりが悪かった。
「ところで、彩子ちゃんは結婚したらどうするの。仕事は続けるの?」
「えっ、仕事ですか……?」
ここ数日間で、彩子の仕事に対する意識が変った。
こんな自分でも役に立つのだという実感が、多忙を極めてみて初めて得ることができた。失敗もするけれど、それも含めて頑張れば結果につながる。
これまで感じたことのない、やる気が湧いていた。
「仕事は続けたいです。できるだけ長く、働きたいです」
彩子の力強い言葉を聞き、新井が胸を撫で下ろす。
「ああ、嬉しい。そう言ってくれて」
「わしも嬉しい」
いつの間にか田山課長がソファに腰かけていた。
「あら、私と二人きりにならなくてようございましたね」
「あはは、そう言うこってす」
新井のからかいを田山が受けて、三人は声を合わせて笑った。
終業後、彩子は帰り支度をしながら今日一日を振り返った。
少しでも暇があると、昨夜のことを思い出してしまう。明日、原田と会う約束をしているのに、どんな顔をすればいいのか分からない。
「原田さんはどうだろう。やっぱり、落ち着き払ってるかな」
――どうしたんだ、顔が赤いぞ。
「なんて、ね」
とにかく、彩子の頭の中は原田でいっぱいだ。そして、彼のことを考えれば考えるほど、会いたくなってしまう。
「あ、またあくびが……」
照れたり、困ったり、幸せを噛みしめる彩子だった。
土曜日の朝。
原田が山辺家を訪れ、彩子の両親に、式場を地元の神社か駅前のホテルにすると報告した。
「いや~、しかし君は本当にてきぱきとした男だな。うちの娘は少しスローモーだからちょうどいい」
父親が珍しく原田に声をかけ、母と弟もうんうんと頷く。心外に思う彩子だが、原田は嬉しそうに微笑んでいた。
「さて、まずホテルから行こうか」
二人は車に乗り込み、式場へと出発した。
彩子が思ったとおり、原田はいつもと変わらぬ態度だ。というより、かなりリラックスしている。
「それ、似合ってるな」
原田が胸元に視線をくれた。
「あ、これですか?」
彩子はアメシストのペンダントをつけている。彼からの誕生日プレゼントだ。
「そういえば、誕生日は何日だっけ」
「明後日です。2月2日」
「そうか。彩子は明後日で25歳か」
「原田さんは8月3日ですね」
「よく覚えてるね」
「獅子座のB型です」
「詳しいなあ」
原田は愉快そうに笑った。
ホテルに着くと、二人はロビーで受付を済ませる。ブライダル相談会の予約を入れてあった。
ブライダルプランナーという女性から、ホテルでの結婚式・披露宴の説明があり、その後チャペル・披露宴会場・控え室に至るまで案内してもらう。
最後に、今後行われるブライダルフェアの招待状をもらい、相談会は終了した。
「彩子、疲れただろ。お茶でも飲もうか」
原田に誘われティールームに向かう途中、玄関ホールを通りかかった。中央に展示されたウエディングドレスを、一組のカップルがうっとりと見つめている。
「彩子は着物が似合いそうだな」
「そ、そうですか?」
「俺もタキシードより、紋付袴がしっくりきそうだ」
それは彩子も同感である。
カップルの後ろを通り過ぎる時、仲良さげな会話が聞こえてきた。
「何度お色直ししてもいいよ」
「嬉しい。こんなドレスを着るのが夢だったの」
「君の好きにすればいいよ、愛してるよ」
彩子と原田は顔を見合わせ、何となく足を早めた。
ティールームの入り口まで来て、原田がホールを振り返る。カップルはまだドレスを眺めていた。
「彩子」
「えっ?」
「遠慮するなよ」
短く言うと、ぽかんとする彩子に笑いかけ、先にティールームに入っていく。
(遠慮って……あっ)
ドレスでも着物でも、好きな衣装を選んで――ということだ。彩子も微笑み、照れたように先を行く彼の背中を追う。
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