フローライト

藤谷 郁

文字の大きさ
58 / 82
愛の言葉

1

しおりを挟む
佐伯はバッティングセンターを飛び出した後、いつの間にか後藤のマンションに来ていた。後藤の部屋番号を押してインターホンを鳴らす。


『あら、佐伯君?』


応答したのは智子だった。

自動ドアが開かれ、佐伯はエントランスに入る。エレベーターで5階に上がり、後藤の部屋の前に着くとドアが開いた。


「いらっしゃい。どうしたの、突然」


「え、ええ……ちょっと」


佐伯は困ったように目を泳がせる。事情がありそうだと智子は察し、奥に招き入れた。


「何だどうした、何かあったのか。えらく赤い顔してるな」


後藤が缶ビールを片手に食卓から声をかけた。佐伯は突っ立ったまま、


「後藤さん……さっき俺、原田さんと山辺に会いました」


智子と後藤は絶句し、顔を見合わせた。



「ええっ? あのバッティングセンターにまた行ったのか。お前も原田も好きだねえ」

「怜人、ちゃかさないで。真面目に話してるんだから」


佐伯は食卓につき、二人にことのあらましを話した。まだ少し、気持ちが高ぶっている。


「あの二人に出くわすなんてビックリよね……でも佐伯君、原田さんが彩子と話しても構わないって言ったんだよね?」

「ええ」

「なら別にいいじゃん。三人なごやかに対面したわけだし、何の問題もないだろ」


怜人が言うと、佐伯は首を傾げた。


「まあ、それはいいんですけど」

「いいけど、何だよ」

「はあ、その……どう言ったらいいのか」


歯切れの悪い返事に、後藤はイライラしてきた。


「お前、どうしてウチに来たんだ。一体何が言いたいんだよ。はっきりしろ!」


後藤の怒鳴り声に反応し、佐伯は大きく目を剥いた。


「俺は、またあいつを好きになっちまったんです!」


後藤も智子も、ぽかんとする。

思春期の少年のように激しく感情を爆発させる男に、かける言葉もない。


「す、すみません……大声出して」


佐伯は赤くなり、二人に詫びた。


「えっ……佐伯君。あなた、彩子をまた好きになったって言うの? どうしてそんな……」

「わかんないです。あいつも俺を好きだったと告白されて、そしたら、何でか火が点いちゃった感じで……」

「焼けぼっくいにか」


後藤が口を挿むと、佐伯はうな垂れた。



えらいことになった。智子は思わずビールを一気飲みする。


「佐伯君、彼女いなかったっけ」

「いません」

「今まで誰とも付き合ったことがない?」

「付き合った子はいるけど、転勤をきっかけに別れちゃいました。彼女、東京を出たくなかったみたいです」


後藤はビールを注ぎながら、顔をしかめた。


「あなたはその子を、本気で好きだったの?」

「もちろんです。そうでなきゃ付き合いません」


佐伯はきれいな丸い目で、智子を見返す。


(この気まじめさが怖いのよね~)


今のうちに何とかしなくては、大変なことになる――智子は焦った。


「だがな、佐伯。前にも言ったように、山辺彩子は原田の女なんだ。わかるな? 婚約までしようという仲なんだ。あきらめろ!」


焦る智子の横で、後藤がはっきりと命じた。今回は損得抜きで、真剣に忠告している。


「わかってますよ。俺じゃ、あの人に敵わない。山辺もあの人のおかげで、きれいになったんでしょう」


佐伯の言葉に、智子はぽんと手を打つ。


「そうそう、そうなのよ。あの子ったら、原田さんに会う前は寝癖が付いたまま電車に乗るような子でね。変わったのは原田さんのおかげなの」

「まじかよ。彩子ちゃん、ワイルドだな」


智子と後藤は可笑しそうに笑うが、


「そんなところも、俺は好きでした」


佐伯は真顔である。

これはもう、本気になって言い聞かせるしかない。智子は釘を刺すことにした。


「彩子は私の親友よ。あの子の幸せを邪魔なんかしたら、絶対に許さない」

「ええ、わかってます。ただ俺は、復活した思いを持て余しちゃって……どうすればいいのか……だから、お二人に聞いてもらいたかっただけなんです」


佐伯は肩を落とし、力なく微笑む。

その打ちひしがれた様子に、智子も後藤も思わず同情する。失恋の辛さを、二人とも知らぬわけではない。


「よし、わかった。俺達がとことん付き合ってやる。思いきり飲んで、今夜は泊まっていけよ佐伯!」


後藤がグラスを掲げ、智子もキッチンからビールを運んでくる。

二人に励まされ、どうにか心が保てそうな佐伯だった。


翌朝。佐伯は早起きして、智子が朝食を作る前に帰ってしまった。


「ゆっくりしていけばいいのに」

「昨夜はかなり飲んだし、遠慮したんだろ」


遅く起きた後藤は朝食を食べた後、二日酔いの頭を押さえながら野球の練習に出かけた。



誰もいなくなった部屋で、智子はスマートフォンを取り出して彩子に電話する。


『もしもし』

「おはよう、彩子」

『おはよう』


あまり元気がない。


「昨日、佐伯君に会ったんだって?」

『えっ、何で知ってるの』


この驚き方。

動揺する彩子に、智子は眉根を寄せた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

消えた記憶

詩織
恋愛
交通事故で一部の記憶がなくなった彩芽。大事な旦那さんの記憶が全くない。

大好きな背中

詩織
恋愛
4年付き合ってた彼氏に振られて、同僚に合コンに誘われた。 あまり合コンなんか参加したことないから何話したらいいのか… 同じように困ってる男性が1人いた

溺愛ダーリンと逆シークレットベビー

吉野葉月
恋愛
同棲している婚約者のモラハラに悩む優月は、ある日、通院している病院で大学時代の同級生の頼久と再会する。 立派な社会人となっていた彼に見惚れる優月だったが、彼は一児の父になっていた。しかも優月との子どもを一人で育てるシングルファザー。 優月はモラハラから抜け出すことができるのか、そして子どもっていったいどういうことなのか!?

離した手の温もり

橘 凛子
恋愛
3年前、未来を誓った君を置いて、私は夢を追いかけた。キャリアを優先した私に、君と会う資格なんてないのかもしれない。それでも、あの日の選択をずっと後悔している。そして今、私はあの場所へ帰ってきた。もう一度、君に会いたい。ただ、ごめんなさいと伝えたい。それだけでいい。それ以上の願いは、もう抱けないから。

偽装夫婦

詩織
恋愛
付き合って5年になる彼は後輩に横取りされた。 会社も一緒だし行く気がない。 けど、横取りされたからって会社辞めるってアホすぎません?

一途な皇帝は心を閉ざした令嬢を望む

浅海 景
恋愛
幼い頃からの婚約者であった王太子より婚約解消を告げられたシャーロット。傷心の最中に心無い言葉を聞き、信じていたものが全て偽りだったと思い込み、絶望のあまり心を閉ざしてしまう。そんな中、帝国から皇帝との縁談がもたらされ、侯爵令嬢としての責任を果たすべく承諾する。 「もう誰も信じない。私はただ責務を果たすだけ」 一方、皇帝はシャーロットを愛していると告げると、言葉通りに溺愛してきてシャーロットの心を揺らす。 傷つくことに怯えて心を閉ざす令嬢と一途に想い続ける青年皇帝の物語

明日のために、昨日にサヨナラ(goodbye,hello)

松丹子
恋愛
スパダリな父、優しい長兄、愛想のいい次兄、チャラい従兄に囲まれて、男に抱く理想が高くなってしまった女子高生、橘礼奈。 平凡な自分に見合うフツーな高校生活をエンジョイしようと…思っているはずなのに、幼い頃から抱いていた淡い想いを自覚せざるを得なくなり…… 恋愛、家族愛、友情、部活に進路…… 緩やかでほんのり甘い青春模様。 *関連作品は下記の通りです。単体でお読みいただけるようにしているつもりです(が、ひたすらキャラクターが多いのであまりオススメできません…) ★展開の都合上、礼奈の誕生日は親世代の作品と齟齬があります。一種のパラレルワールドとしてご了承いただければ幸いです。 *関連作品 『神崎くんは残念なイケメン』(香子視点) 『モテ男とデキ女の奥手な恋』(政人視点)  上記二作を読めばキャラクターは押さえられると思います。 (以降、時系列順『物狂ほしや色と情』、『期待ハズレな吉田さん、自由人な前田くん』、『さくやこの』、『爆走織姫はやさぐれ彦星と結ばれたい』、『色ハくれなゐ 情ハ愛』、『初恋旅行に出かけます』)

愛のバランス

凛子
恋愛
愛情は注ぎっぱなしだと無くなっちゃうんだよ。

処理中です...