フローライト

藤谷 郁

文字の大きさ
62 / 82
彼の世界。私の世界。

2

しおりを挟む
木曜日――

彩子は空手の稽古を見学するため、原田に教えてもらった道場にやって来た。稽古は中学校の武道場を借りて行われる。


「着いたら中に入るよう言われたけど、ほんとにいいのかな」


彩子はまず、中の様子を窺うことにする。

武道場の換気用の小窓から覗くと、中は明るく、白い空手着の子ども達が見えた。次に原田の姿を探すが……


「おいっ、何をしている!」


突然、強い力で肩を掴まれる。

ドキッとして振り向くと、見覚えのある顔が笑っていた。原田の大学時代の後輩、平田ひらたかおるだ。


「ひ、平田さん……」

「はっはっは。彩子さん、久しぶりですね。見学ですか」

「もう、びっくりさせないでくださいよ~」


驚かされたが、知り合いに出会ったことで彩子は安心した。


「原田さんに誘われてきたんですけど、何だか入りづらくって」

「いいっす、俺と一緒に行きましょう」


平田は頑丈そうな肩を揺すり、前を歩き出した。今日の彼は、仕事帰りのためか作業服を着ている。


「ん?」


彩子はふと、彼の左手に指輪が光るのに気付いた。


「あれっ、平田さんは結婚されていたのですね」

「うん。一年前に嫁さんをもらいました」


意外に思うが、よく考えるとそうでもない。平田は若いけれど、落ち着いた雰囲気を持っている。既婚者であっても、じゅうぶん頷ける。



押忍オス!」


平田は道場の入り口で一礼した。

彩子も倣って頭を下げる。


「この時間は少年部が中心なんです。あと、一般部の女性も参加されてますよ。お母さん達とか」

「そうなんですか」


なるほど、小中学生と女性ばかりだ。

平田は彩子を促し、中央に歩いていく。そこには、黒帯の男性が二人立っていた。一人は40歳ぐらいのいかつい男性で、もう一人は原田である。


「先輩、外で不審な人物を見つけたので連れてきました~」


平田が冗談口調で報告し、彩子を前に押し出す。


「ほう、どこかで見たような不審人物だな」


原田も冗談を受けて返す。

空手着姿の原田を前に、彩子は何も言えずもじもじした。


「おいおい、よせよ原田君。案外意地が悪いなあ」


いかつい男性が原田の肩をぽんと叩いた。彼は道場の指導員だという。笑うと、とても優しそうな顔になった。


「こんばんは、彩子」

「こっ、こんばんは、原田さん……」


空手着姿の原田は、やはり素敵だ。彩子は何だか照れてしまって、落ち着かない。


「あの、どこで見学すればいいですか?」

「見てるだけなんて、もったいない」

「はい?」


原田は床に置いてある空手着と白い帯を取り上げ、彩子に渡した。


「え……?」


これって、どういうこと?

彩子は目をきょろきょろさせた。


浅見あさみさん!」


原田が呼ぶと、黒帯を締めた30代くらいの女性が走ってくる。

彼女は彩子を見ると、にこっと笑った。


「押忍、この方ですか」

「そう、この人です。よろしくお願いします。彩子、こちらは道場生の浅見さんだ」


浅見は「よろしくお願いします!」と大きな声で挨拶した。彩子も釣られて、頭を下げる。


「それじゃ、俺は指導を始めるからこれで。頑張れよ、彩子」


原田は彩子を浅見に預け、すたすたと立ち去ってしまった。


(えっ、頑張れよ……って?)


「頑張りましょうね、山辺さん。私が付いてますから大丈夫ですよ!」

「あの、ちょっと待っ……」


浅見は笑顔で彩子を更衣室に引っぱっていく。


(そ、そんな。聞いてないよお~!)


彩子はわけが分からぬうちに、空手着を着ていた。


「あれっ、意外と似合いますね!」


浅見に言われて、彩子は鏡の前に立つ。いかにも弱そうな感じ……というか、まったく似合わない気がするのだが。


「まずは体操です。一緒にやりましょう」


道場に戻ると、浅見は楽しそうに彩子の手を取り、体操の輪の中に連れていく。


浅見は黒帯を締めている。よく見ると、少年達は黒の他、黄色や青色など、様々な色の帯を締めている。浅見に訊くと、級によって色が違うのだと教えられた。

体操が終わると、上級者から順に前に並んだ。

彩子は最後列に並び、見よう見まねで基本稽古をやってみる。単純に見えて、なかなかハードだった。

それが終わると移動稽古が始まるが、彩子は浅見と道場の隅へ移動し、マンツーマンで立ち方や手技の基本というのを教わる。

寒い道場なのに、子ども達の足もとを見ると汗で床が光っている。すごい運動量なのだ。

彩子も全身に汗をかいていた。


少年部の稽古は1時間で終了する。このあと一般部に入れ替わり、1時間稽古が行われるらしい。

大人の道場生が顔を出し始めていた。


「いい運動になったでしょう」


更衣室に入ると、浅見は朗らかに笑い、彩子にタオルを渡した。


「すみません、何も持ってこなかったので……お借りします」

「原田先輩も人が悪い」


浅見は汗を拭きながら、彩子にお茶の入った紙コップをすすめた。


「いただきます」

「う~ん、さすが原田先輩の奥さんになる人だ。礼儀正しいですね」

「ええっ? あっ、あの……恐縮です」


彩子は『奥さん』という言葉に照れてしまった。

しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

愛してやまないこの想いを

さとう涼
恋愛
ある日、恋人でない男性から結婚を申し込まれてしまった。 「覚悟して。断られても何度でもプロポーズするよ」 その日から、わたしの毎日は甘くとろけていく。 ライティングデザイン会社勤務の平凡なOLと建設会社勤務のやり手の設計課長のあまあまなストーリーです。

二度目の初恋は、穏やかな伯爵と

柴田はつみ
恋愛
交通事故に遭い、気がつけば18歳のアランと出会う前の自分に戻っていた伯爵令嬢リーシャン。 冷酷で傲慢な伯爵アランとの不和な結婚生活を経験した彼女は、今度こそ彼とは関わらないと固く誓う。しかし運命のいたずらか、リーシャンは再びアランと出会ってしまう。

俺に抱かれる覚悟をしろ〜俺様御曹司の溺愛

ラヴ KAZU
恋愛
みゆは付き合う度に騙されて男性不信になり もう絶対に男性の言葉は信じないと決心した。 そんなある日会社の休憩室で一人の男性と出会う これが桂木廉也との出会いである。 廉也はみゆに信じられない程の愛情を注ぐ。 みゆは一瞬にして廉也と恋に落ちたが同じ過ちを犯してはいけないと廉也と距離を取ろうとする。 以前愛した御曹司龍司との別れ、それは会社役員に結婚を反対された為だった。 二人の恋の行方は……

Sランクの年下旦那様は如何でしょうか?

キミノ
恋愛
 職場と自宅を往復するだけの枯れた生活を送っていた白石亜子(27)は、 帰宅途中に見知らぬイケメンの大谷匠に求婚される。  二日酔いで目覚めた亜子は、記憶の無いまま彼の妻になっていた。  彼は日本でもトップの大企業の御曹司で・・・。  無邪気に笑ったと思えば、大人の色気で翻弄してくる匠。戸惑いながらもお互いを知り、仲を深める日々を過ごしていた。 このまま、私は彼と生きていくんだ。 そう思っていた。 彼の心に住み付いて離れない存在を知るまでは。 「どうしようもなく好きだった人がいたんだ」  報われない想いを隠し切れない背中を見て、私はどうしたらいいの?  代わりでもいい。  それでも一緒にいられるなら。  そう思っていたけれど、そう思っていたかったけれど。  Sランクの年下旦那様に本気で愛されたいの。 ――――――――――――――― ページを捲ってみてください。 貴女の心にズンとくる重い愛を届けます。 【Sランクの男は如何でしょうか?】シリーズの匠編です。

靴屋の娘と三人のお兄様

こじまき
恋愛
靴屋の看板娘だったデイジーは、母親の再婚によってホークボロー伯爵令嬢になった。ホークボロー伯爵家の三兄弟、長男でいかにも堅物な軍人のアレン、次男でほとんど喋らない魔法使いのイーライ、三男でチャラい画家のカラバスはいずれ劣らぬキラッキラのイケメン揃い。平民出身のにわか伯爵令嬢とお兄様たちとのひとつ屋根の下生活。何も起こらないはずがない!? ※小説家になろうにも投稿しています。

嘘をつく唇に優しいキスを

松本ユミ
恋愛
いつだって私は本音を隠して嘘をつくーーー。 桜井麻里奈は優しい同期の新庄湊に恋をした。 だけど、湊には学生時代から付き合っている彼女がいることを知りショックを受ける。 麻里奈はこの恋心が叶わないなら自分の気持ちに嘘をつくからせめて同期として隣で笑い合うことだけは許してほしいと密かに思っていた。 そんなある日、湊が『結婚する』という話を聞いてしまい……。

私と彼の恋愛攻防戦

真麻一花
恋愛
大好きな彼に告白し続けて一ヶ月。 「好きです」「だが断る」相変わらず彼は素っ気ない。 でもめげない。嫌われてはいないと思っていたから。 だから鬱陶しいと邪険にされても気にせずアタックし続けた。 彼がほんとに私の事が嫌いだったと知るまでは……。嫌われていないなんて言うのは私の思い込みでしかなかった。

消えた記憶

詩織
恋愛
交通事故で一部の記憶がなくなった彩芽。大事な旦那さんの記憶が全くない。

処理中です...