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春風
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試合から一週間後の日曜日。
ここは後藤のマンションの駐車場。彩子は車を降りると、良樹と一緒に空を見上げた。
今日から3月。春の香りが夜気に感じられる。
「春だな……この暖かさなら、近いうちに山に行けそうだ」
「そうだね。もう、春なんだね」
良樹と出会ったクリスマスイブが、もう何年も前のように思われる。
あの時他人だった男性が、今ではかけがえのない存在となり傍にいる。人の出会いと運命の不思議に、彩子ははかりしれないものを感じていた。
「行こうか」
「うん」
二人は寄り添って、玄関に向かう。今日は後藤と智子から、食事の招待を受けたのだ。
「いらっしゃいませ~!」
智子が笑顔でドアを開けた。
中に入ると、エプロン姿で後藤が出迎えた。良樹と彩子は驚き、珍しいものでも見るように、じろじろと注目する。
智子はまだつわり中なので、今夜は後藤が食事を用意したらしい。
「俺だって何もできないわけじゃないぜ。といっても、簡単な鍋料理だがな。材料切って放り込むだけ」
後藤はきまり悪そうだが、にっと笑うと、二人をテーブルに案内した。
「お手伝いしましょうか」
彩子が台所に立とうとすると、智子が止めた。
「駄目よ、一人でやってもらわなきゃ。今夜は私も手出ししないって決めてるの」
「そうなの?」
ならば大人しく出来上がるのを待とう。彩子は申し訳ない気分になるが、でも、ずいぶんいい匂いが漂ってくる。
後藤の料理は、野菜たっぷりの海鮮鍋だ。
「ほお~、お前に晩飯を作ってもらうとはね。美味そうだな」
良樹がぐつぐつ煮える鍋を覗くと、後藤は赤い顔で、
「おふくろに電話して、作り方を聞いたんだ」
少し恥ずかしそうに、皿を配った。
「それにしても、この前のゲームは面白かったな」
「ああ。久しぶりだったし、俺も楽しかった」
鍋を食べ終わると、後藤と良樹は先週の試合を振り返った。彩子は智子と話している。
「草野球といえば……そうだ、お前にって頼まれてたんだ!」
「えっ?」
後藤は急に立ち上がり、隣の部屋から何か持ってきた。
「これ、渡してくれってさ」
「俺に?」
良樹の目の前にそれをぽんと置く。
綺麗に包装された小さな箱が一つと、手紙のようだ。
「あっ、もう、やめなさいよ!」
智子が気付いて小箱と手紙を取り上げようとするが、後藤が止める。彩子はきょとんとして、彼らを見やった。
「これを俺にって、誰から?」
良樹が訊くと、後藤はにんまりとする。
「キャーッ! ハラダさんステキー!!」
しゃがれた裏声で、いきなり叫んだ。仕草から、女性の真似をしているのだと分かる。
良樹も彩子も、ぽかんとした。
「お願い後藤さん、あのすかしたカッコいい人紹介してえー。気障ですかしたあの男性よおー、ハ・ラ・ダっていうカッコいい人ーっ!」
「すかしたすかした言うなよ。一体どういうことだ」
ニヤニヤする後藤に代わって、智子が答えた。
「怜人の会社の子が、何人か試合を見に来てたのよ。で、そのうちの一人が原田さんのファンになったわけ。ただのミーハーよ、気にしないで」
「ええっ?」
良樹は封筒の裏を確かめた。なるほど女性の名前が書かれている。彩子には、良樹が少し赤らんだように見えた。
「手紙を読んでみろ。プレゼントも開けてみろよ」
後藤はここぞとばかりに身を乗り出す。"すかした男"の困惑した様子が、愉快でたまらないらしい。
「あ、彩子ちゃんは気にしなくていいからね。ユニフォーム着て帽子を被ると、誰でもかっこよく見えるんだから。本気なわけないからね」
一応彩子にフォローを入れるが、あきらかに面白がっている。
「受け取れないよ。返してくれ」
良樹はプレゼントと手紙をテーブルに戻した。
「ええー、いいのか?」
「ああ」
「そんなこと言わずに、ちょっと開けてみろよ」
なおもすすめようとする後藤を、智子が無理やり止める。
「まったくもう、どうして頼まれるのよ、そんなもの」
良樹と智子の両方に睨まれ、後藤もさすがにたじろいでいる。
「手紙は読むべきだと思う」
その時、彩子がきっぱりと言った。他の三人は、思わぬ人の思わぬ発言に驚き、彼女に注目する。
「そのまま返すなんて失礼だと思う」
彩子の口調は大真面目だ。予期せぬ加勢に、後藤は強気になる。
「そうだよな、彩子ちゃん。見ろ、二人とも。俺と彩子ちゃんは同意見だぞ」
だが良樹は、主張を変えなかった。
「読む必要はない。受け取る必要もない」
ゆっくりと、彩子に言い聞かせるように言う。
これは思わぬ展開だ。
彩子と付き合いの長い智子は、まずい方向に話が進むと予想する。
ここは後藤のマンションの駐車場。彩子は車を降りると、良樹と一緒に空を見上げた。
今日から3月。春の香りが夜気に感じられる。
「春だな……この暖かさなら、近いうちに山に行けそうだ」
「そうだね。もう、春なんだね」
良樹と出会ったクリスマスイブが、もう何年も前のように思われる。
あの時他人だった男性が、今ではかけがえのない存在となり傍にいる。人の出会いと運命の不思議に、彩子ははかりしれないものを感じていた。
「行こうか」
「うん」
二人は寄り添って、玄関に向かう。今日は後藤と智子から、食事の招待を受けたのだ。
「いらっしゃいませ~!」
智子が笑顔でドアを開けた。
中に入ると、エプロン姿で後藤が出迎えた。良樹と彩子は驚き、珍しいものでも見るように、じろじろと注目する。
智子はまだつわり中なので、今夜は後藤が食事を用意したらしい。
「俺だって何もできないわけじゃないぜ。といっても、簡単な鍋料理だがな。材料切って放り込むだけ」
後藤はきまり悪そうだが、にっと笑うと、二人をテーブルに案内した。
「お手伝いしましょうか」
彩子が台所に立とうとすると、智子が止めた。
「駄目よ、一人でやってもらわなきゃ。今夜は私も手出ししないって決めてるの」
「そうなの?」
ならば大人しく出来上がるのを待とう。彩子は申し訳ない気分になるが、でも、ずいぶんいい匂いが漂ってくる。
後藤の料理は、野菜たっぷりの海鮮鍋だ。
「ほお~、お前に晩飯を作ってもらうとはね。美味そうだな」
良樹がぐつぐつ煮える鍋を覗くと、後藤は赤い顔で、
「おふくろに電話して、作り方を聞いたんだ」
少し恥ずかしそうに、皿を配った。
「それにしても、この前のゲームは面白かったな」
「ああ。久しぶりだったし、俺も楽しかった」
鍋を食べ終わると、後藤と良樹は先週の試合を振り返った。彩子は智子と話している。
「草野球といえば……そうだ、お前にって頼まれてたんだ!」
「えっ?」
後藤は急に立ち上がり、隣の部屋から何か持ってきた。
「これ、渡してくれってさ」
「俺に?」
良樹の目の前にそれをぽんと置く。
綺麗に包装された小さな箱が一つと、手紙のようだ。
「あっ、もう、やめなさいよ!」
智子が気付いて小箱と手紙を取り上げようとするが、後藤が止める。彩子はきょとんとして、彼らを見やった。
「これを俺にって、誰から?」
良樹が訊くと、後藤はにんまりとする。
「キャーッ! ハラダさんステキー!!」
しゃがれた裏声で、いきなり叫んだ。仕草から、女性の真似をしているのだと分かる。
良樹も彩子も、ぽかんとした。
「お願い後藤さん、あのすかしたカッコいい人紹介してえー。気障ですかしたあの男性よおー、ハ・ラ・ダっていうカッコいい人ーっ!」
「すかしたすかした言うなよ。一体どういうことだ」
ニヤニヤする後藤に代わって、智子が答えた。
「怜人の会社の子が、何人か試合を見に来てたのよ。で、そのうちの一人が原田さんのファンになったわけ。ただのミーハーよ、気にしないで」
「ええっ?」
良樹は封筒の裏を確かめた。なるほど女性の名前が書かれている。彩子には、良樹が少し赤らんだように見えた。
「手紙を読んでみろ。プレゼントも開けてみろよ」
後藤はここぞとばかりに身を乗り出す。"すかした男"の困惑した様子が、愉快でたまらないらしい。
「あ、彩子ちゃんは気にしなくていいからね。ユニフォーム着て帽子を被ると、誰でもかっこよく見えるんだから。本気なわけないからね」
一応彩子にフォローを入れるが、あきらかに面白がっている。
「受け取れないよ。返してくれ」
良樹はプレゼントと手紙をテーブルに戻した。
「ええー、いいのか?」
「ああ」
「そんなこと言わずに、ちょっと開けてみろよ」
なおもすすめようとする後藤を、智子が無理やり止める。
「まったくもう、どうして頼まれるのよ、そんなもの」
良樹と智子の両方に睨まれ、後藤もさすがにたじろいでいる。
「手紙は読むべきだと思う」
その時、彩子がきっぱりと言った。他の三人は、思わぬ人の思わぬ発言に驚き、彼女に注目する。
「そのまま返すなんて失礼だと思う」
彩子の口調は大真面目だ。予期せぬ加勢に、後藤は強気になる。
「そうだよな、彩子ちゃん。見ろ、二人とも。俺と彩子ちゃんは同意見だぞ」
だが良樹は、主張を変えなかった。
「読む必要はない。受け取る必要もない」
ゆっくりと、彩子に言い聞かせるように言う。
これは思わぬ展開だ。
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