フローライト

藤谷 郁

文字の大きさ
80 / 82
祝福の声

1

しおりを挟む
10月初旬の早朝、智子からメールが届いた。

赤ちゃんが生まれたのだ。智子そっくりの、元気な男の子だ。

メールには、すやすやと眠る赤ちゃんと、満面の笑みで寄り添う怜人の写真が添付されている。


「おめでとう智子、怜人さん」


彩子はさっそくお祝いのメッセージを送り、良樹にも伝えた。



週末、元ソフトボール部の四人は、智子と赤ちゃんが入院する産院に集まった。お見舞いとお祝いに駆けつけたのだ。


「ついに智子もお母さんか」

「いい母ちゃんになるよ、あいつ面倒見いいもん」


エリと雪村が頷き合っている。


「いいなあ~、私も早く赤ちゃんがほしい」


まりが目をキラキラさせる横で、彩子は感極まりすぎて何も言えない。

さっきから、ただ皆の後を付いて歩いている。


(智子が母親になった。怜人さんが父親になった)


産院の玄関で、智子の妹の真子まこが出迎えてくれた。皆でぞろぞろ歩いて行き、ガラス張りの部屋の前で止まる。


「ここが新生児室です。赤ちゃんがいますよ」


なるほど、ガラス越しに赤ちゃんが見える。


「どれどれ」

「あ、あれじゃないかな」

「うわあ、寝てる寝てる」


赤ちゃんは生まれたばかりで小さくて、何とも頼りない存在に見えた。智子の赤ちゃんだけでなく、皆、元気に大きくなれよと願わずにはいられない。

彩子はガラスにへばりつき、小さな生命達に見とれた。



「あっ、みんな来てくれたの」


声に振り向くと、智子が寝巻きにカーディガンを羽織った姿で歩いてくる。


「智子!」

「コラコラ、騒いじゃダメよ。静かにしてちょうだい」


智子に注意されて、彩子達は口を押さえた。


「大丈夫なの、歩き回って」


彩子が訊くと、智子は大きく顎を引く。


「大丈夫よ。それに、これから授乳だもん」

「おっぱいってことか」


雪村がガラス越しの新生児室を見やった。


「そうよ、おむつにおっぱい、2時間おき。だから眠れなくてさ……」


大きな欠伸をした。


「そうなんだ。じゃあこれは今、渡しとくね。私達からの気持ち」


まりがお祝いを手渡すと、智子は照れくさそうに受け取った。


「嬉しい、ありがとう!」


少し話をした後、智子は新生児室に入った。他のお母さんも集まって来ると、窓にカーテンが引かれ、授乳タイムとなる。




「智子ってば、ママの貫禄ねえ。違う人に見えちゃうわ」


エリの言葉に、彩子の胸はドキリと鳴る。カーテンで仕切られた向こうは、彩子の知らない空間。母親になった智子がいる。


「彩子、行くよ」


雪村の声にはっとして、廊下を入り口へと戻った。


「ああ、何だか感動よねえ」


建物を出ると、エリが空を見上げながら、しみじみと漏らす。


「うん、本当に」


未知なる世界を垣間見たあとの、不思議な気分。皆、言葉少なに駐車場まで歩いた。


「そういや、彩子の結婚式って来週じゃないか」


雪村が思い出したように言った。


「うん、そうなんだ。智子は出席できないけど、怜人さんが来てくれるって」

「怜人さんか。あの、にぎやかな旦那様ね。ところで彩子はどうなの、赤ちゃんは」


エリが唐突に訊くので、彩子はたじろぐ。

雪村とまりも、興味津々の目つきで注目してくる。


「えっ……まだだよ、その……今のところは」

「ほおお。仲良くしてるんだ~」


しどろもどろの彩子に、エリがすかさずツッコミを入れる。


「よせよせ。ほら、茹ダコみたいになってきたぞ」

「ほんとだ。彩子ったら、真っ赤!」


まったくもう、敵わない。彩子は困惑しながらも、仲間達と笑い合った。


(おめでとう、智子、怜人さん。はじめまして、赤ちゃん)


秋晴れの空が、どこまでも続いている。

青く、美しく――






「そうか、智子さんも赤ちゃんも、元気そうで良かった」


智子のお見舞いに行った翌日、彩子は新居の部屋で良樹とくつろいでいる。結婚後二人で暮らす、新築のアパートだ。


「智子さんに似れば、いい男になるぞ」

「うふふ、楽しみだね」


その時、インターホンが鳴った。


「誰だ?」

『怜人パパでーす!』


良樹が応答すると、おちゃらけた声が聞こえた。来訪者は後藤怜人である。



「いや~昨日はありがとうな彩子ちゃん、みんなで来てくれたんだって?」

「おめでとう怜人さん。赤ちゃん、とっても可愛いですね」

「うんうん。本当にちっちぇえなあ~って感じで、最初は抱っこするのが怖かったけど、結構な存在感なんだよあいつ」

「ふうん。既に良い親父してるじゃないか」

「だろ、だろ? 原田、パパだよ俺は」

「わかったわかった」


良樹は後藤の背中をぽんぽんと叩き、落ち着かせた。


「そんなわけで、智子は無理だけど、俺がきっちり披露宴に出席させてもらうぜ。スピーチは頼まれてないけど、よかったかな」

「いい、いい」


良樹が慌てて言う。彩子はコーヒーをすすめながら、クスクスと笑った。


「で、お前達はどうなんだ、子どもは。家族計画は立てているのか」


後藤は二人を交互に見ながら嬉しそうに訊く。まったく、しまりの無い顔である。


「まだだよ」

「んまあ、良樹さんったら。ホントのこと聞かせてよ!」


後藤の興奮は、どうやっても止まらないらしい。良樹はふーっとため息をつく。


「彩子、こいつはもう帰るそうだ」

「待て待て怒るなよ……ったく、相変わらずだなあ」

「お前がふざけすぎなんだ」


こんな二人にも、いつしか友情が芽生えている。

良樹は不本意だと言うが、傍から見れば息の合った漫才コンビのようだ。


後藤はひとしきり子どもの話を聞かせると、満足の顔で立ち上がった。


「さて、俺はこれで失礼するよ。息子が待ってるものでね」

「智子さんもだろ」

「いけね、そうそう」

「呆れたやつだな」

「あっちも同じこと言ってるよ、お互い様」


すっかりパパとママである。


「じゃあな、お二人さん。結婚式頑張れよ!」


後藤を見送ったあと、彩子は良樹と目を合わせる。

いよいよ、もうすぐなのだ。

ここへきて、緊張が高まってきた。


「リラックスだよ、彩子」

「うん」


大丈夫、良樹がいる。

変わらぬ彼の優しさに、彩子は甘えた。

しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

愛してやまないこの想いを

さとう涼
恋愛
ある日、恋人でない男性から結婚を申し込まれてしまった。 「覚悟して。断られても何度でもプロポーズするよ」 その日から、わたしの毎日は甘くとろけていく。 ライティングデザイン会社勤務の平凡なOLと建設会社勤務のやり手の設計課長のあまあまなストーリーです。

消えた記憶

詩織
恋愛
交通事故で一部の記憶がなくなった彩芽。大事な旦那さんの記憶が全くない。

大好きな背中

詩織
恋愛
4年付き合ってた彼氏に振られて、同僚に合コンに誘われた。 あまり合コンなんか参加したことないから何話したらいいのか… 同じように困ってる男性が1人いた

溺愛ダーリンと逆シークレットベビー

吉野葉月
恋愛
同棲している婚約者のモラハラに悩む優月は、ある日、通院している病院で大学時代の同級生の頼久と再会する。 立派な社会人となっていた彼に見惚れる優月だったが、彼は一児の父になっていた。しかも優月との子どもを一人で育てるシングルファザー。 優月はモラハラから抜け出すことができるのか、そして子どもっていったいどういうことなのか!?

離した手の温もり

橘 凛子
恋愛
3年前、未来を誓った君を置いて、私は夢を追いかけた。キャリアを優先した私に、君と会う資格なんてないのかもしれない。それでも、あの日の選択をずっと後悔している。そして今、私はあの場所へ帰ってきた。もう一度、君に会いたい。ただ、ごめんなさいと伝えたい。それだけでいい。それ以上の願いは、もう抱けないから。

片想い婚〜今日、姉の婚約者と結婚します〜

橘しづき
恋愛
 姉には幼い頃から婚約者がいた。両家が決めた相手だった。お互いの家の繁栄のための結婚だという。    私はその彼に、幼い頃からずっと恋心を抱いていた。叶わぬ恋に辟易し、秘めた想いは誰に言わず、二人の結婚式にのぞんだ。    だが当日、姉は結婚式に来なかった。  パニックに陥る両親たち、悲しげな愛しい人。そこで自分の口から声が出た。 「私が……蒼一さんと結婚します」    姉の身代わりに結婚した咲良。好きな人と夫婦になれるも、心も体も通じ合えない片想い。

それは、ホントに不可抗力で。

樹沙都
恋愛
これ以上他人に振り回されるのはまっぴらごめんと一大決意。人生における全ての無駄を排除し、おひとりさまを謳歌する歩夢の前に、ひとりの男が立ちはだかった。 「まさか、夫の顔……を、忘れたとは言わないだろうな? 奥さん」 その婚姻は、天の啓示か、はたまた……ついうっかり、か。 恋に仕事に人間関係にと翻弄されるお人好しオンナ関口歩夢と腹黒大魔王小林尊の攻防戦。 まさにいま、開始のゴングが鳴った。 まあね、所詮、人生は不可抗力でできている。わけよ。とほほっ。

Short stories

美希みなみ
恋愛
「咲き誇る花のように恋したい」幼馴染の光輝の事がずっと好きな麻衣だったが、光輝は麻衣の妹の結衣と付き合っている。その事実に、麻衣はいつも笑顔で自分の思いを封じ込めてきたけど……? 切なくて、泣ける短編です。

処理中です...