一億円の花嫁

藤谷 郁

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クレイジー

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 心臓がバクバクする。体が震えるのは寒さのせいではなく、かつて経験のない恐怖によるもの。

 建物の横で車が止まった。バタンバタンとドアが開閉する音、男性の話し声。
 それからすぐ、正面にある大型扉が軋みながら、ゆっくりと開いた。

(……!!)

 パッと明かりが点いた瞬間、叫びそうになった。

「おや、お目覚めかな」

 背の高いコート姿の男が、私に向かって歩いて来る。
 ハンチング帽を被り、鼻先までマフラーを巻いているため目元しか見えないが、年齢は30くらい?
 どこかで見たような雰囲気だが、思い出す余裕もなく、ひたすら震えた。

「ちょっと待ってくださいよぉ。これ、けっこう重いんスからー」

 ニット帽の男が、段ボール箱を積んだ台車を押して入ってきた。
 扉が閉まり、ガタついた車輪の音が大きく反響する。

「早速、組み立ててくれ」
「りょーかいしましたぁ。へへへっ」

 ニット帽が楽しげに作業を始めた。段ボールを開くと大型の液晶ディスプレイがでてきた。コンクリートの上に設置して、画面を私の方に向ける。

「ビデオ通話用のディスプレイだ。これを使ってあんたの旦那と交渉する」
「えっ!?」

 ハンチングの男がポケットから取り出したものを見て、ギョッとする。
 あれは私のスマートフォン。気を失っている間に、抜き取られたのだ。

「なんべんも電話がかかってきて、うざいから電源切っておいたよ。あんた、かなり愛されてるねえ」

 織人さんだ。私が帰らないから心配して……そういえば、あれから何時間経ったのだろう。
 唇を噛む私に、男が腕時計を見せた。
 
「今は夜の10時。あんたをさらってから1時間半だな」

 ニット帽が台車から折りたたみ椅子を運んできて、ストーブの側に並べた。そして、私の前に来てコンビニ袋を広げ、ニヤニヤと笑う。

「缶コーヒーを買ってきたヨ。お姉さんのぶんもあるけど、飲む?」
「……いりません」

 憤りが、恐怖を上回ったのを感じる。
 この男たちは、ゲームみたいに誘拐を楽しんでいるのだ。

「あなたたちは、私が由比織人と結婚したと知って、誘拐したんですね」
「あん?」

 ニット帽が奇妙な顔になる。口を利いたのが意外だったのか、ハンチングもこちらを振り向いた。

「私を人質にして、お金を取るために。でも、あまりにも手際が良すぎる。どうして私が東京駅にいると分かったんですか? 一体、誰の指示でこんなことを」

 男二人は顔を見合わせると、黙って背中を向けた。それぞれ缶コーヒーを手に、椅子に座る。

「交渉に入る前に、一服するぞ」
「はいはーい。交渉はが来てからッスね」
「ああ。飛ぶ準備をして、じきに到着する」

 答える気はなさそうだ。
 だけど、ボスと呼ばれる仲間がいると、今の会話で分かった。
 とにかく、何でもいいから情報を引き出さねば。

「エミという女性もグルだったんですね。だけど彼女は乗り気に見えなかった。あなたたちが脅して、協力させた……」
「はあ、うるさいなあ」

 ハンチングが遮った。
 苛立ちの滲む声に、私はビクッとする。

「俺は基本、女の子には優しいんだよね。でもさ、詰められるとムカつく。よほどのメリットがない限り、ワガママは許さない主義なんだよ」

 椅子を立ち、私の前に歩いて来てじろりと見下ろす。

「言うことを聞かないと殴っちゃうかもしれない。できれば、そんなことしたくないし、つまり、黙っててくれ」
「……」
「理解した?」
「は、はい」

 再び恐怖に襲われる。
 なぜか分からないが、この男は暴力を振るうと確信できた。本能的に、とてつもない危険人物だと感じる。
 エミという女性がなぜ怯えていたのかも、想像ができた。

「兄貴はこう見えてクレイジーだかんね。ホンモノってやつ」
「喋るな、サル」

 ハンチングに睨まれ、ニット帽が大人しく黙った。
 クレイジーとかホンモノとか意味不明だが、血生臭い人種であるのは確かだ。

「やれやれ、ただでさえぬるいコーヒーが冷めてしまう」

 ハンチングがマフラーを外して缶コーヒーを飲んだ。

(え……?)

 私は驚き、男の顔を凝視する。

(まさか、そんな)

 衝撃が強すぎて瞬きも忘れる。
 どうりで、どこかで見たことがあると思った。なぜ気づかなかったのだろう。なぜその可能性を考えなかったのか……

 この男は、剛田ごうだれん
 高級ナイトクラブ『ダイヤモンド』のオーナー。
 綾華の愛人だ!
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