一億円の花嫁

藤谷 郁

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十億円の花嫁

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『はい、由比です』

 コール2回で織人さんが応答した。
 非通知、あるいは未登録の番号を警戒してか、少し緊張した声に聞こえた。

「三保コンフォートCEOの、由比織人さんですね?」

 剛田が確認した。偉そうに足を組み、椅子にふんぞり帰っている。
 綾華はその横に座り、私を見ながらクスクスと笑う。電話は私にも聞こえるようスピーカーにしてあるので、反応を楽しむつもりなのだ。

『ええ、そうです。どちら様でしょうか』
「奈々子さんを預かっています」

 小説やドラマでよくある、誘拐犯の決まり文句だ。相手が名乗らなくても織人さんは察したはず。誘拐犯が誰なのか、その裏に誰がいるのか、目的すらも。

『剛田蓮だな……』
「あなたもご存じでしたか。それなら話が早い」

 動揺する織人さんの声を聞いて、綾華がニヤリとした。

「今、ご自宅ですか」
『ああ』
「お一人で?」
『そうだ』
「いいでしょう」

 剛田がニット帽に何事か指示し、会話に戻る。

「ではまず前提として、警察に通報しないと約束してください。最初から最後まで、誠実に対応すること。奈々子さんのためにもね」
『約束する』
「では、交渉の準備に移ります。よろしいですか」
『待て、奈々子は無事なのか』
「もちろん。だがこの先はすべて、あなた次第です。よろしいですか?」
『……ああ』

 椅子を離れ、ディスプレイの後ろに立って剛田が続けた。

「一旦電話を切って、先ほど送った番号にアプリからかけ直してください。あと、ビデオ通話にして、カメラをオンにするのを忘れずに。この方法なら、奈々子さんの無事を確かめつつ話ができますよ」

 ディスプレイのカメラは、私をとらえていた。

『……』

 無言で通話が切れた。そしてすぐ、着信音が鳴る。

「旦那さん、クールなようで必死だねえ」

 剛田がからかうように言い、綾華と笑い合う。私は表情を変えず、カメラを見つめた。

「はい、ご対面」

 ディスプレイに映ったのは織人さん。背景はマンションのリビングで、帰宅してそのままなのか、ワイシャツ姿だった。

『奈々子……!』

 私の名を呼び、絶句した。
 大きく目を見開き、わなわなと震えている。妻がさらわれ、どこかの廃墟で柱に縛られているのだから当然の反応だ。
 ブチ切れそうな心情がダイレクトに伝わってきて、私のほうがハラハラしてしまう。

「お、織人さん、心配しないで。私は大丈夫だから落ち着いて……」
「奈々子さん、黙っててくれと言ったでしょう!!」

 織人さんを安心させようとする私を剛田が遮った。

「トークタイムは後ほどご用意しますので、お願いしますよ」
「う……」

 剛田に睨まれ、ビクッとする。
 だが怯える私を見て、織人さんが我に返ったようだ。カメラ越しに目を合わせてこくりとうなずき、微笑んでみせる。

(安心しろ、奈々子。俺が絶対に助ける)

 耳に、彼の声が聞こえた。
 不思議なくらい近くに、はっきりと。

「チッ!」

 綾華が舌打ちした。
 見ると、ニット帽のパソコンを食い入るように覗いている。通話画面に織人さんが映っているのだ。

「は? 何この男、マジで奈々子にハマってんの? 女の趣味ヤバくない? ていうか、御曹司のくせに必死すぎてキモいし。それに、蓮と比べたら全然イケメンじゃないし、セレブたちの評判も当てにならないわよね。お上品な軟弱男って感じ? まあ、庶民の奈々子には素敵な王子様に見えるんだろうけど……」
「うるっせえな、お前も黙ってろ!!」

 剛田が苛立った様子になる。綾華は不満そうにするが、大人しく椅子に座った。

「ベラベラベラベラと、どいつもこいつも! いいやもう、こっからは芝居っ気なしで行かせてもらう。交渉開始するぜ、由比さんよ」

 荒っぽい口調になるが、織人さんは動じない。剛田がどんな人間なのかじゅうぶん知っている。
 それに、織人さんはお上品でもなければ、軟弱でもない。
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