一億円の花嫁

藤谷 郁

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「よし、じゃあ待ってろ」
「は? おい、どこに行くんだ」
「金だよ。車ごと運び込むから、扉を全開にしろ」

 金と聞いて剛田の表情が変わる。キングについてはもう追及せず、ニット帽に合図して扉を全開にさせた。
 倉庫の中が寒風にさらされる。

「なんなの、あれ。薄気味悪い」

 綾華が私に近づき、見下ろした。

「結局、あんたの旦那はビビって逃げたみたいね。金は出しても、危ない目には遭いたくないのよ。あんたより自分が可愛いってこと」

 勝ち誇ったように言う。
 でも私は、綾華こそが滑稽でたまらない。

「何よ、その目」

 動じない私が気に食わないのだろう。困ったり、オドオドするところが見たいのだ。

「ったく、ムカつく女。ていうか、あんたの旦那ってマジでクズ。あのバケモノをいたぶっても面白くないわよ」

 綾華は黙り込んだ。
 私を苦しめる方法を、全力で考えている。この女は、ずっと一生、変わらない。

「……でも、ノーダメージじゃないわ。あんたはそういう女だったよね。正義感の強い、勇敢なお人好し。誰かが傷つくのを見ていられない、お優しい女の子だものね」

 綾華の青白い顔に笑みが浮かぶ。あの頃と同じ、まったく変わらない、残酷な微笑み。

「あのバケモノ、あんたの犠牲者にしてやる」
「綾華……?」

 スマホを取り出し、何か打ち込んでいる。よく分からないが、良からぬことを思いついたのは確かだ。

「あ、来た」

 どこかに連絡して、返事が来たようだ。嬉しそうな様子が、私をゾッとさせる。

「ぎ、犠牲者って、どういうこと? 何をする気なの?」
「さあね」

 倉庫の中に車が二台入って来た。一台はキングが乗ったランドクルーザー、それに並ぶのは剛田のワンボックス。
 綾華は質問に答えず、そちらに歩いて行く。
 
「綾華!?」

 ーーあのバケモノ、あんたの犠牲者にしてやる。

 キング……織人さんを犠牲に?
 
 不安が押し寄せてきた。綾華という女は、何をしでかすか分からない。
 本当に助かるのだろうか、私、そして織人さんも。

(大丈夫。織人さんなら、ちゃんと考えているはず。だってヒーローだもの)

 彼を信じて、私も頑張る。
 どんな状況になっても冷静でいようと、腹を決めた。
 

 ニット帽がランクルに積まれた10個のジュラルミンケースの中身を確認した。

「間違いないッス。全部本物の札です」

 剛田はポケットに両手を入れた格好で私の側に立っている。

「一束持って来い。俺がチェックする」
「全部ホンモノだよ。疑うんじゃねえ!」

 キングが吠えるのを剛田は無視した。ニット帽が渡した札束から一枚抜き取り、ためつすがめつする。

「確かに渋沢さんだ。それにしても、十億なんてよく用意できたな」

 現金の確認が済むと、ニット帽がジュラルミンケースをすべてワンボックスに移動させた。荷台の扉を閉めると、エミさんからキーを受け取り、剛田に合図する。

「よっしゃあ、十億ゲット! ずらかりましょうぜ、兄貴」
「ああ」

 剛田はしかし、すぐに動かなかった。
 
「綾華、ちょっと手伝ってくれ」
「は?」

 手招きされた綾華が、ムッとした様子で近づいてくる。

「何よ」
「俺たちがずらかるまで、こいつで脅しといてくれ」

 ポケットのナイフを綾華に渡した。

「ちょっと、本当にこれで終わりにする気?」
「最初からそういう約束だろ?」
「あのバケモンどうすんのよ。ボコボコにしていってよ、足腰立たないぐらいに。なぶり殺しがあんたの特技でしょ」
「おいおい、人聞きの悪いことを言うなよ」
「いまさら何気取ってんのさ。クレイジーのくせに!」

 イライラしながらナイフの刃を出したり入れたりする綾華に、私は戦慄する。
 
「俺たちは急ぐんだ。ここまで付き合ってやったんだから、十分だろ。煮るなり焼くなり、あとは好きにしろ」

 剛田が私を見て、ニヤリと笑う。この男は、骨の髄まで腐り切っている。
 私を解放する気など、さらさらないのだ。

「おい、何やってんだお前ら。早く奈々子さんを渡せ!」

 痺れを切らしたキングが、こちらに来ようとする。剛田は慌ててストップをかけて、

「俺たちが出発してから、こいつがロープを切る。そこで待ってろ!」

 キングが立ち止まると綾華に振り向き、

「言われたとおりにしろ。さもないとてめぇも殺すぞ」

 ナイフを持つ綾華の手首を掴み、凄んでみせた。
 金の切れ目が縁の切れ目。剛田にとって綾華は、もはや無価値な存在なのだ。
 
「くっ……」

 綾華は唇を噛み、従った。ナイフの切先を私に向けながら、悠々と歩いて行く剛田を睨みつける。
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