一億円の花嫁

藤谷 郁

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絶体絶命

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(織人さんはどうしただろう。私が脱出したことに気づいて、彼も逃げてくれたらいいのに)

 心配でたまらなくなるが、私自身、あれこれ考える余裕もなく、ひたすらエミさんに付いていくだけ。

「この通路は、工場見学用の廊下です。子供の頃、ファミリーデイに父が連れて来てくれて、あちこち見学しました」
「えっ? あ……」

 早歩きしながらエミさんが語る。そういえば、彼女のお父さんはここの工場長だったと聞いた。

「その時に、従業員の子供たちみんなで、かくれんぼや追いかけっこして……すごく怒られたけど、敷地内は私たちの遊び場で、楽しかった」

 だから知っていたのだ。綾華さえ気づかなかった、倉庫の裏口も。子どもが出入りするくらいの小さな扉だった。

「あの頃が一番、楽しかった」
「エミさん……」

 見学用通路は途中で終わり、角を右に回った。廊下沿いに並ぶドアをいくつか見送り、突き当たりの引き戸の前で止まる。
 検査室と書かれたプレートがあった。

「!」

 建物じゅうに響きわたる大きな音が聞こえた。怒鳴り声や、バタバタと走り回る靴音も。
 男たちが工場に入って来たのだ。

「奈々子さん、急いで」

 エミさんが引き戸を開ける。そこにはもう一つドアがあり、それは金属製の重い扉。

「よいしょっ……!」

 エミさんとともに中に滑り込み、音を立てないようそっと閉めた。鍵は上下にあり、いずれも頑丈そうなステンレスのかんぬきだった。
 鍵をかけるエミさんの手が震えていた。

「エミさん、あの、ここは……」
「シィッ」

 懐中電灯を切り、彼女が私をしゃがませた。真っ暗なので部屋の様子は分からない。薬品のような匂いがする。

「この部屋は、製品を検査するところです。工場内でも一番安全が確保された場所だと、父が言っていました」
「そ、そうなんですね」

 その時、ふいに明かりが射した。
 息が止まりそうになる。

「エミさん……っ」
「大丈夫、工場のライトです」

 エミさんが部屋の奥を指差す。そこには、通路と同じように工場内を見下ろせる窓があった。明るくなったのは、工場のライトがついてそれが漏れたからだ。

「びっくりした。バレたのかと」

 窓にはブラインドがかけられ、まだ薄暗い。だが目の前に、棚やテーブルの輪郭がぼんやりと浮かび上がる。
 部屋の中は意外と整理されていた。

「……」
「エミさん?」

 私たちは部屋の隅で、くっついてしゃがんでいる。ガタガタと震えるエミさんに気づき、急いで手を握った。

「わ、私、どうしよう。とんでもないことを……綾華を裏切ってしまった。だけど、奈々子さんを助けなければと思って、無我夢中で……」
「エミさん、落ち着いて。あなたは間違っていない」

 エミさんは呼吸を乱し、目には涙を浮かべている。
 私のために勇気を出してくれた彼女に、心からの感謝を伝えたい!

「ありがとう、エミさん。本当にありがとう」

 手をさすると、しだいに震えがおさまり、私はホッとした。
 冷たい指先に温もりが戻る。

「ごめんなさい。つい、怯えてしまって」
「ううん」
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