一億円の花嫁

藤谷 郁

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独身最後の贅沢

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「あああ……なんて素晴らしいの!」

 接客係が立ち去ったあと、私は部屋中を見て回った。

 大きなソファと広々としたベッド。アメニティもハイブランドの高級品が揃っている。そして半露天の温泉付き!

 だが、何よりも目を奪われたのは眺望だった。

 四階のレイクビュースイートは、ラウンジからの眺めよりさらに視界が広く、遠くまで見渡せる。

「すごいすごい! あ、でも……」

 ふと、天井を見上げた。

 ホテル『まゆき』のスイートルームは総客室二十室のうち三部屋のみ。私が予約したのは特別室Aであるが、最上階に置かれたスイートは特別室Sといって、さらにグレードが高く、宿泊料も一桁違う。

 ワンフロアを占領するその客室は宿泊設備の他、会議室やラウンジが用意されており、大企業の商談にも利用されるとか。

 憧れのホテルの最上級の部屋……

 予約の際に一瞬迷ったけれど、さすがにそこまで思い切れない。それに、既に予約が埋まっていたのだ。

 あきらめつつも、一体どんなお金持ちが泊まるのだろうと興味がわいてしまった。

 ともあれ、私にとって一泊二十万のレイクビュースイートは、生まれて初めての贅沢には違いない。

 コートを脱ぐことも忘れて、しばし窓辺にたたずんだ。

「このホテルを建てた人は、きっと、美しい景色に魅了されて立地を決めたのね。日本の美しい四季を温泉とともに提供する……素晴らしいコンセプトだわ」

 さっきから素晴らしいとしか言っていない。自分の表現力のなさにあきれるが、でも本当に素晴らしすぎて、他に言葉が見つからなかった。

 うーんと伸びをして、ベッドに倒れ込む。

 リーズナブルなホテルとは、何から何まで素材が違う。肌触りの良いシーツに頬をすり寄せ、ますます気分が高まるのを感じた。

 今から私は、思いっきり贅沢するのだ、と。

 五分ほど横になってから、ぱっと起き上がった。
 夕食までまだ時間がある。寛ぐのはあとにして、明るいうちに湖の周りを歩いてみよう。

「今日はホテルの周りを散策して、明日は遠くまで足を延ばそうかな」

 バスで一時間ほどの場所に有名な神社がある。おいしいお蕎麦屋さんとか、人気のカフェとか、前もっていろいろ調べておいた。

 二泊すると思えば心に余裕が持てる。温泉に浸かってのんびりするのもいいが、せっかく来たのだから楽しまなくては。

 部屋を出ると、足取り軽く廊下を進んだ。





 正面玄関のすぐ右手に、散策路の入り口があった。ホテルが管理する遊歩道が湖沿いに延びており、歩いて行けるようだ。

 ショートブーツなので心配だったが、歩道は歩きやすいように雪が除けられている。ホテルの心遣いに感謝しつつ、美しい景色のなかをゆっくりと進んだ。



「すみません、写真をお願いできますか?」
「あ、はい。いいですよ」

 遊歩道のところどころに展望デッキが設けられている。多くはないが観光客がいて、そのうち一組のカップルに撮影を頼まれた。

「はい、チーズ」

 楽しそうなカップルがなんだかまぶしくて、私はスマホを彼らに戻すと、足早に先へ進んだ。

 楽しそう、というより幸せそうな感じ。
 いいなあ、と思う。

 でも、羨ましがっていても仕方ない。私もスマホのシャッターを押しながら、どこまでも続く遊歩道をどんどん歩いた。


「それにしても、すごく広い敷地なのね」

 湖沿いのほとんどのエリアがホテルの土地らしく、歩いても歩いても遊歩道が途切れない。しかも、枝分かれした脇道まで、すべて雪が除けてある。管理が大変だろうに、細部まで手を抜かないサービスは高級ホテルならではだ。

「あれっ?」

 鼻先を冷たいものがかすめた。空を見ると、いつの間にか厚い雲に覆われている。

 スマホ越しの山々が雲のベールに隠され、景色が霞みはじめた。
 雪がひらひらと舞い、辺り一面、白い世界が広がる。

「さっきまで晴れてたのになあ。でも……」

 雪の湖というのも幻想的な感じがして素敵だ。せっかくだから、もうちょっとだけ歩いてみよう。

 しかし、雪が降り始めたためか人影が少なくなり、湖を半周する辺りまで来ると誰もいなくなった。

 貸し切り状態なのはいいが、あまりにも静かすぎて少し怖い。

「わっ、急がなきゃ」

 のんびり歩くうちに雪が激しくなってきた。ホテルの建物はまだ遠く、急いでも二十分はかかるだろう。

 視界を遮るほどの雪の中を、私は小走りした。
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