一億円の花嫁

藤谷 郁

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私以外、みんな幸せ

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「おお、いらっしゃったぞ!」

 父が弾むようにソファを立った。
 午後8時ちょうど。由比さんの来訪である。

「皆でお出迎えしよう。初めての顔合わせだからな、お前たち、失礼のないように」
「はい、あなた」
「マジで三保コンフォートの御曹司なのよね。さすがに緊張するわ」

 母も姉もバタバタと父を追いかけ、リビングを出て行ってしまう。興奮状態の彼らを、私はオロオロと見送るのみ。
 身体が震えて、足に力が入らず。

「ど、どうしよう……」

 開けっぱなしのドアから、大仰に出迎える父の大きな声が聞こえる。それから、母と姉の笑い声も。私以外の家族が揃って、彼を歓迎していた。

 リビングにいるのは私一人。

 いっそこのまま逃げてしまおうかと一瞬考えるが、すぐにあきらめる。
 もう、観念するほかないのだ。
 由比さんの正体がなんであれ、家族は受け入れる……というか、あの動画を単なる「趣味」として解釈している。
 ちょっと変わった趣味だが、事業と関係ないし、無問題。お金持ちなら構わないってこと。

「それに……」

 そもそも大月家と彼の間には、既に契約が交わされている。
 私は大月家の娘であり、不本意であろうと、今回の件には責任を持たねばならない。家族だけでなく、父の会社と従業員。その家族に対しても。
 もし私が逃げたら、ただでは済まない。由比さんに何をされるか……

「そんなの、絶対に後悔する」

 逃げられない現実を、あらためて認めた。
 腹を括る。
 私に残されたのは、その決意だけ。
 由比さんの望むままに――

「奈々子、なにをボケッとしてるんだ。早く客間に来て、由比さんにご挨拶しなさい」

 父がドアから顔を出し、私に命じた。人の気も知らないで、ご機嫌な様子である。

「ほら、早く早く!」
「わ、分かりました。すぐに行きます」

 みんなの幸せのために。
 ついに私は、腹を決めた。




 私が客間に入ったとたん、由比さんが大きく腕を広げ、近づいて来た。

「おおっ、こんばんは奈々子さん! 約束どおり、ご挨拶に伺いましたよ」
「ひっ……」

 抱きつかんばかりの勢いにうろたえるが、彼は寸前でストップした。家族の前なので、さすがにセーブしたようだ。
 そういえば、昼間より落ち着いた色のスーツを着て、言葉遣いもよそゆきである。彼は「キング」ではなく、「由比織人」として家族と接するつもりだ。

 つまり、真の姿はこちらで、キングは「趣味」……仮の姿ですと、そういうていである。

 本当は逆なのに。
 しかしそれを訴えても、家族は信じないだろう。というより、どちらでもいいのだ。
 なにしろ「由比織人」は大企業のCEOであり由比家の御曹司。
 そして、大金持ちだから。

「こ、こんばんは。今日はその……ありがとうございました」

 びくつきながらも、お見合いについて礼を言った。私も家族の前なので、理性が働いている。

「いえいえ、こちらこそ楽しい時間をありがとうございます。その上、私のプロポーズを快く受けていただき、これ以上の幸せはありません」
「えっ?」

 由比さんがにこりと微笑む。

「そうですよね。奈々子さん?」
「は、はい」

 口調は穏やかだが眼差しは強く、余計なことを言うなと、有無を言わせぬ圧力が私を黙らせる。
 
「いやあ、奈々子のほうこそ世界一の幸せ者です。由比さんのような素晴らしい方に望まれるとは、想像もしませんでした。なあ、みんな」

 父の言葉に母も姉もうなずき、同意を示した。皆、喜びに満ち溢れた表情で、由比さんと私を見つめている。

「あ、関根さん」

 由比さんの背後に、関根さんが立っていることに気づいた。秘書として、彼に付き添って来たのだ。
 
「あの、こんばんは……お疲れ様です」
「おじゃましております。奈々子様も、本日はお疲れ様でございました」

 挨拶すると、彼女は丁寧にお辞儀をした。本当に疲れた顔に見えて、私ははっとする。私だけでなく、彼女も由比さんに振り回されているのだ。

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