一億円の花嫁

藤谷 郁

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スイートホーム

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 ビルを出ると、雪が積もり始めていた。
 頬に降りかかるのは、さらさらとした粉雪である。

「ほら、傘の代わりだ」
「えっ?」

 由比さんがコートを脱いで、私の頭にバサッと被せた。

「そんな、大丈夫です。駐車場はすぐそこだし、由比さんが濡れてしまいます」
「俺は平気だよ。行くぞ!」

 私の肩に腕を回し、歩き出す。態度は強引だけど、足もとを気遣ってくれるのが分かった。

「……ありがとうございます」
「どういたしまして」

 由比さんのコートは大きくて、私をすっぽり包んでくれた。それにとても暖かくて、いい匂いがする。
 なぜか急にドキドキして、落ち着かなくなった。いろいろあって忘れていたが、私たちはこれから、婚姻届を出しに行くのだ。
 夫婦になるために。
 
 


 車に乗り込むと、由比さんがすぐにエンジンをかけた。

「もう8時か。役所の前に、まずは腹ごしらえしようぜ」
「はい……あ、でも、あまり遅いと窓口が閉まってしまうのでは」

 もしかしたら、既に閉まっているのでは? 暗くなった街を見て、私はオロオロする。

「大丈夫、そのために夜間の窓口がある」

 婚姻届は24時間受け付けてくれるので、急ぐ必要はないとのこと。

「そうなんですね。知らなかった」

 私がほっとすると、由比さんが嬉しそうに笑う。

「かなり前向きになったようだな」
「はい?」
「デートした甲斐があった」

 顔を近づけて、耳もとに囁く。彼の言わんとする意味に気づき、私は慌てた。

「いえっ、私は別にそんな。ただ、そういう予定だったので、少しだけ心配になっただけで……!」
「照れるなって。奈々子はぜんぶ顔に出るから丸わかりだよ」

 私は言いわけのしようがなく、前を向く。由比さんはまだクスクス笑いながら、ハンドルを握った。
 この人はすべて見抜いている。
 確かに私は、ほっとしたのだ。



 横浜港からさほど離れていない場所で夕食を取った。由比さんがたびたび通うというお寿司屋さんである。
 裏道に一本入った、こぢんまりとした店構えだ。「知る人ぞ知る名店」と紹介されたとおり、カウンターに出てくる握りも巻物も、かなり美味しい。

 頑固そうな大将と気さくに言葉を交わす由比さんの隣で、私は食欲とともに心も満たされていくのを感じた。
 そんな自分に、驚いてしまう。
 たった一日で、私はすっかり彼という男性に、しまったのだ。
 
 


「どうだ、旨かっただろ?」
「はい。思わずたくさん食べてしまいました」

 助手席のドアを開けてくれた由比さんに、素直に感想を伝えた。

「それは良かった。奈々子が喜んでくれて、俺も嬉しいぜ」
 
 明るく笑い、車に乗り込む私をさりげなく支えてくれる。
 シートベルトを着けながら、再び緊張感を覚えた。

「そうそう、奈々子に渡したいものがあるんだ」

 車を出そうとした由比さんだが、ハンドルを離してジャケットの内ポケットを探る。

「渡したいもの……ですか?」
「うん。いろいろあったから、タイミングを逃しちゃったな」

 彼が取り出したのは、小さな箱。
 反射的にドキッとする。
 もしかして、それは。

 彼は体ごとこちらに向くと、箱の蓋を開いて見せた。

「ぎりぎりのタイミングだけど、受け取ってくれ」
「あ……なんてきれいな……」

 きらきらと輝くのは、一粒のダイヤモンド。これは、夢にまで見た婚約の証、エンゲージリングだ。
 憧れの指輪を突然贈られ、緊張感も吹き飛んでしまった。

「奈々子」

 由比さんが私の左手を取り、薬指に飾る。

「思ったとおり、よく似合う。サイズはどうだ」
「……ピッタリです!」

 これ以上ないくらいしっくりといる。
 デザインも私好みで、見惚れるほど美しくて、感動してしまう。
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