一億円の花嫁

藤谷 郁

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招かれざる客

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 その電話がかかってきたのは夜半近く。
 海外支社とのリモートミーティングを終えた姉が、キッチンで一人コーヒーを飲んでいる時だった。

 両親はすでに就寝中であり、夜のしじまに突然響き渡る着信音は姉を驚かせた。

「びっくりした……誰よ、こんな時間に」

 キッチンに置かれた子機のディスプレイには、未登録の携帯番号が表示されている。
 姉は訝しみながらも、受話器を取り上げた。

「はい、大月です」

 低い声で応答すると、戸惑った気配が耳に感じられた。

「もしもし。どなたですか?」
『……』

 返事を待つが、相手は答えない。

(間違い電話? ……ったく)

 姉は舌打ちして、電話を切ろうとした。

『あのっ!』

 慌てた声が聞こえた。
 若い女の声。

『夜分にすみません。私、奈々子さんの中学時代の同級生で、車田夏樹と申します』

 姉はハッとして、受話器を握り直した。神経を耳に集中させる。

「私は奈々子の姉です。中学の同級生というと……お友達ですか?」
『あ、いえ……』

 夏樹は黙り、代わりにアナウンスが背後で流れた。駅にいるのだと分かった。

『その……奈々子さんに、お伝えしたいことがありまして』

 答えを曖昧にして、電話をかわってほしいと頼む夏樹。姉はその時点で、疑念を抱いたと言う。

「奈々子は不在です。明日なら連絡が取れるので、あなたに電話するよう伝えますが、この電話で良いですか?」

 事務的な調子で返事した。
 警戒されたと思ってか、夏樹はしつこくせず、

『あ、はい。それで大丈夫です。よろしくお願いいたします』

 姉の言葉を素直に受け入れ、

『本当に、夜遅くにすみませんでした』

 もう一度夜分の電話を詫びて、通話を切った。

「奈々子の中学時代の同級生。なのに、『友達』とは答えられない間柄……」

 姉はつぶやくと、手元のメモ帳に着信履歴の番号を書き取り、乱暴に引き千切った。



 夏樹が電話をかけてきた。
 どうして、なぜ今頃?
 その答えは明白である。昨日、私が横浜で綾華と遭遇したから。

 中学時代の夏樹は、いつも綾華のそばにいて、何をするにも彼女と一緒だった。二人は幼なじみで、強い絆で結ばれている。きっと今でもそうなのだろう。

 おそらく綾華から話を聞いて、連絡を取ってきたのだ。
 伝えたいことと言うのは、たぶん、綾華の伝言。莉央が結婚するとか、みんなで集まるとか、二次会とか……
 そのことだ、そうに違いない。

 綾華の嗜虐的な微笑を思い出し、ゾッとする。彼女が変わっていなかったように、夏樹もまたあの頃と同じく、女王様の意のまま動いている……

「奈々子!」

 姉の声が私を引き戻した。

「しっかりしなさい。一体何が起きてるのか、ちゃんと話すのよ」
「お姉ちゃん……」

 姉に渡されたメモを手に、私は震えている。夏樹からの電話が、綾華と遭遇したショックをよみがえらせていた。

「お姉ちゃん。私……」

 昨日のことを話そうとして、ためらった。
 それを話せば姉を怒らせ、不愉快にさせるだけ。やめた方が良い。

 中学時代の私は姉に恥をかかせ、さんざん迷惑をかけてきた。
 繰り返してはならない。
 私はもう、大人なのだから。

 メモを手の中で握りつぶした。

「な、なんでもないよ。久しぶりに聞く名前だから、びっくりしただけで……同窓会とか、そういう話じゃないかな」

 せっかく姉とは穏やかな関係になりつつある。電話なんて無視すればいい。
 自分に言い聞かせ、無理やり笑みを作り、返事した。
 だけど……

「そうやって、あんたは一人で悩んでたのよね」

 うめくように、姉がつぶやいた。
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