一億円の花嫁

藤谷 郁

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結婚発表

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「怪しい男については結局謎のままだが、西野と剛田が無関係なのは確かだ。杞憂だったな」
「は、はい。ありがとう、織人さん……本当に」

 思わず彼に寄り添った。
 私を守ってくれる頼もしい胸に、体ごともたれる。

「おいおい、どうしたんだ」
「……嬉しくて」
「ったく、甘えん坊だなあ、奈々子は」

 そう言いながら、ぎゅーっと抱きしめてくる。
 温かい……というか、だんだん熱くなってきて、慌てて腕から逃れた。

「なんで逃げるんだよ」
「だ、だって、これからお仕事ですし。遅刻してしまいます」
「ちょっとぐらい大丈夫だって」
「ダメです」

 織人さんではなく、私のほうがその気になってしまう。
 なんて言えるわけもなく、胸の前でばってんを作った。

「分かった分かった。じゃあ、続きは帰ってからってことで」
「はい……えっ?」

 きょとんとする私に、織人さんが朗らかに笑う。まるで、すべて察しているかのような、余裕の態度。

「も、もう。本当に遅刻しますよ!」

 急に恥ずかしくなり、彼の手を取り玄関までぐいぐい引っ張っていった。

「はっはは……照れるなって」
「知りません」

 玄関まで来ると、いつものようにキスをくれた。
 そして、少し真面目な様子になり、私を見つめる。

「とりあえず安心したが、セキュリティチームの見守りはもう少し続ける。君は俺の、大事な妻だからな」
「織人さん……」

 ふわりと抱きしめられた。
 私は逆らわず、保護される安堵感と喜びに浸る。

「ふう……名残惜しいが、そろそろ行くよ」
「はい。気をつけて」
「奈々子も」

 織人さんが出ていくと、家の中がシンとなり、温度も下がった気がする。
 私にとって彼という存在は、たとえようもなく大きいのだ。

「でも、頼ってばかりじゃダメだよね。私も妻として、織人さんをサポートしなくちゃ」

 少なくとも家事を頑張ろう。
 腕まくりして、自分の仕事を始めた。


 ◇ ◇ ◇


 特務室の報告を受けてから一週間が経った。私は穏やかな気持ちで毎日を過ごしている。
 何事もなく、平和で幸せな暮らし。
 綾華がなんらかの嫌がらせ~逆恨みの同窓会~を仕掛けてくるという心配は、本当に杞憂だったのだ。
 
(トラウマが強烈すぎて、大げさに考えてしまったのかも)

 私だけではない。
 子どもの頃から綾華のお守りをさせられてきた夏樹も、不安に支配されていたのだ。
 先日、剛田蓮の情報も併せた調査結果を電話で伝えると、彼女は涙声で『良かった』と繰り返した。

『綾華の件は、ずっと気になってたんだよ。ていうか、そこまで調べ上げるなんて凄いじゃない。よほど優秀な探偵さんなんだね』

 興信所を使ったと彼女には伝えた。結婚発表がまだなので、私の夫が由比織人で、彼が自前のチームで調査したとは言えなかったのだ。

 それから、花ちゃんと姉にも報告を入れた。実家の周りをうろついていた謎の男は結局謎のままだが、綾華と無関係のようだと分かり、特に姉が安堵していた。

『さすが由比織人。頼りになる義弟だわ』

 姉の誇らしげな声を聞いて、思わず微笑んだ。愛する人が家族に信頼されるのは、なによりの喜びである。

 織人さんと結婚して、私はさまざまな幸福を与えられた。
 ぎくしゃくしていた家族と和解し、足枷だったトラウマも嘘みたいに解消した。
 いや、まだ綾華に対しては怖さが残っているが……でも平気だ。
 私には織人さんがいる。
 彼ならどんな窮地に陥っても助けに来てくれると、心の底から信じられるから。



 朝、いつものように織人さんを送り出した後、ショッピングモールに出かけた。
 特に買うものはないが、なんとなく落ち着かなくて、街をウロウロしたのだ。

 ちなみに、雲井さんのチームは昨日解散している。織人さんはもう少しガードしたそうだったが、私が遠慮した。特務室は多忙な部署であり、彼女たち本来の仕事に戻ってもらいたかった。


 書店や雑貨店、好きなお店をぐるりと巡り、2時間ほど歩き回ってから、駅近くのカフェに入った。
 時刻は午前11時。

(あと1時間……)

 本日正午、三保コンフォートの公式サイト上に結婚報告が掲載される。
 ついに情報解禁。といっても、CEOが結婚したというテキスト発表のみで、私の名前や顔写真が出るわけではない。

 また、新ブランドホテルのオープン、株式の配当金増額のお知らせ、などのめでたいニュースが先にあり、最後に結婚報告が控えめに添えられると聞いた。

 なので、別にどうということもないのだ。芸能人みたいに騒がれるわけもなく……が、どうしても緊張してしまう。

「私って、やっぱり小心者だなあ」

 窓際のテーブル席に座り、通りを行き交う人々を眺める。
 ミルクティーをゆっくり飲みながら、しばしぼんやりした。

(幸せすぎて怖い……)

 カップを置いた左手の薬指を、冬の陽射しにかざす。
 次の日曜日はクリスマスイブ。
 ブティックで結婚指輪を受け取り、その後織人さんとデートする予定である。


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