一億円の花嫁

藤谷 郁

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結婚発表

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「はい、奈々子です」
『あなた、三保グループのサイトに名前が出たのを知ってる?』

 前置きなしに質問をくれた。母らしくもない、興奮した口調である。

「う、うん。サイトを見たのはついさっきだけど」
『まあ、そう。私たちは会長からお電話をいただいて承知してたけど、驚いてしまうわ。由比家と親族になるって、大変なことなのねえ』
「えっ、何かあったの?」

 大変という言葉にドキッとする。

『お父様の会社に、お祝いの電話やメールが次々に届いてるそうよ。公式発表がされたばかりなのに、びっくりよねえ。それに得意先だけでなく、これまでお父様を悪く言っていた業界の人たちまで「おめでとうございます」なんて挨拶してくるのよ?』

 三保グループはホテル経営のみならず、不動産事業も手広く行っている。業界では羽根田グループに並ぶ大手であり、皆がコネクションを求めるのだろう。

『さすが、由比一族! あなたって、すごい方に嫁いだのねえ』

 どうやら、良い意味での「大変」のようだ。私はホッとして、胸を撫で下ろす。

『お父様が、奈々子のおかげだって感謝してるわよ。今日は電話の対応で、仕事どころじゃないみたいだけど』
「そ、そうなんだ」

 織人さんの言う『迷惑』というのは、このことかもしれない。
 だとしたら、心配無用である。おそらく父は、周りに持ち上げられて喜んでいる。
 母も興奮して、じっとしていられず電話してきたのだろう。

「そんなに反響があったんだ……でも、あまり調子に乗らないでってお父さんに言っておいて。お父さんの言動は、三保コンフォートの評判に関わってくるんだから」

 少しきつい言い方になった。
 だけど父のことだから、由比家の威光を笠に偉そうな態度を取りかねない。
 釘を刺しておかねばと思った。

『いやあね、お父様だって分かってるわよ。いくら浮かれようと、由比家にご迷惑をかけるような真似はしません』

 きっぱりと言い切る母に、一抹の不安を覚える。贔屓の引き倒しにならねば良いが。
 
「だけど、一応言っておいてね」
『はいはい、分かりました……あ、そうだ、肝心なことを忘れていたわ!』

 急に甲高い声が響き、スマホを遠ざける。

「な、何?」
『昨夜、あなたに電話がかかってきたのよ。えっと……楠木くすき莉央りおさんって方から』
「え……」

 一瞬、体が震えた。
 よろめいて、エントランスの壁にもたれる。

「くすき……りお?」
『そう。旧姓は加納ですって。かのう屋のお嬢さんよね』

 まさかと思ったけれど、やっぱり莉央だ。
 でも、どうして……?

『ご結婚されて、苗字が変わったみたいね。今更なんのご用ですかと訊いたら、また電話しますと言って、切ってしまったわ』

 母の口調は冷たい。
 中学時代に私を仲間外れにした一人だと思っているから。

「お母さん……莉央は」

 綾華に脅されて仕方なく加担したのだと言いかけて、口をつぐんだ。

 綾華と横浜で遭遇し、夏樹が訪ねてきたことや、3人がその後どうなったかなど、私は両親に話していない。あの頃の話題は不愉快だろうし、綾華のことで心配させたくないから。
 それは、姉の助言でもあった。例えば謎の男についても、父と母は空き巣狙いとしか考えていない。

 だけど、それにしても……
 どうして電話をかけてきたのだろう。私に何かを伝えたくて?
 もしそうなら、一体何を?

『もしもし奈々子、聞いてる?』

 ハッとして、顔を上げる。
 スマホの向こうで、母が心配するのを感じた。

『またかかってきたら、どうすれば良い? 携帯の番号とか、教えないほうがいいわよね』
「……それは」
『いっそ着信拒否しましょうか』

 以前の私なら同意しただろう。でも今は、莉央も苦しんでいたと知っている。
 話があるなら、聞いてみたいと思う。
 
『奈々子?』
「とりあえず、また電話があったら教えて。あとは、その時に決めるよ」

 夏樹に相談してみよう。
 私はけんめいに、前のめりになりそうな自分を抑えた。

『あ、待って。ナンバーディスプレイで向こうの番号を控えたけど、いる?』
「……うん」

 一応、教えてもらった。こちらから連絡する勇気はないけれど。

『無理しなくていいのよ。あなたはもう、新しい道を歩き始めているのだから』
「ありがとう、お母さん」

 通話を切ってから、ぼうっとしたままエレベーターに乗り、部屋に帰った。
 倒れるようにソファに寝転ぶ。

「くすきりお……0558……」

 スマホの電話帳に、楠木莉央という名前と電話番号を登録する。
 携帯ではなく、固定電話の番号だった。


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