一億円の花嫁

藤谷 郁

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「奈々子に会いたい」

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 声も口調も、あの頃とまったく変わっていない。
 私は、ものすごいスピードで時間が戻るのを感じた。二人が笑い合っていた、あの日、あの時に。
 そして、戸惑うほどの感動と喜びに包まれる。
「奈々子に会いたい」と、莉央が言ってくれるなんて。

『もしもし、奈々子?』

 母の声が私をハッとさせた。
 これは夢ではなく、現実なのだ!

『驚くわよねえ。図々しいというか、なんというか……いきなり電話してきて、呼び出すなんて。しかもこんなキンキン声で、まるで子供みたい。この前話した時はもっと落ち着いた感じだったのに、結局、変わってないってことかしらね』

 母は怒っている。中学時代の莉央の事情を知らないから、しょうがない。
 でも今は、それを説明している場合ではない。

『まさか奈々子、行かないわよね』
「だ……大丈夫、分かってるよ」
『絶対に行ってはだめよ。そうだ、今回は携帯からかけてきたみたいで、番号が変わってたの。あなたの携帯にかかることはないだろうけど、一応教えるから、着信拒否リストに入れておきなさい』
「う、うん。そうだね、そうする」

 母がイライラ声で読み上げる番号をメモした。莉央の携帯番号だ。

『重ねて言うけど、バカな真似はしないでちょうだいよ。あなたは昔からお人好しで、いつも他人につけ込まれて……』
「もう、本当に分かったから。夕飯を作る時間だから、そろそろ切るね。ありがとう、じゃあね」

 小言が続きそうなので、強引に通話を終えた。私は焦っている。
 時計を確かめ、午後6時までに東京駅に着くよう計算して、身支度を整えた。
 莉央に会いたい。
 それ以外、何も考えられなかった。

「いけない、忘れるところだった」

 書棚からロマンス小説を一冊選び、バッグに入れる。
 コートを羽織ると、東京駅を目指して玄関を飛び出した。


 ◇ ◇ ◇


 東京駅に着いたのは午後5時30分。莉央が指定した時間より30分も早く来てしまった。

「莉央は、まだだよね」

 東京駅定番の待ち合わせ場所である『銀の鈴』は賑やかだった。
 周りを見回すが、莉央らしき人物は見当たらない。

 10分ほど待ってから、大事なことに気づいた。ロマンス小説を手に持っていてと、頼まれたのだ。

「いけない。緊張しすぎて、忘れてた」

 急いでバッグから本を取り出し、胸の前に掲げるように持つ。

(ああ……ドキドキする。莉央、本当に来てくれるの?)

 もし来てくれたなら、本がなくたってきっと私だと分かる。私は全然変わってないし、莉央なら見つけられる。

 莉央は高校卒業後、伊豆の和菓子店に就職した。夏樹とはSNSで繋がってはいるが、特に交流はないという。
 私と再会したあとも、夏樹は連絡を取っていないようだ。莉央の心情に配慮してのことだろう。
 
『奈々子に合わせる顔がない』

 夏樹が教えてくれた、高校卒業間際の莉央の言葉。
 私を傷つけたことを後悔して、彼女自身が深く傷ついている。たぶん、今も。

 莉央はまだ、誤解が解けたことを知らない。私が傷ついたままだと思い込んでいるだろう。
 でも、勇気を出して会いに来てくれるんだね。私のために。

 あの子のことだから、会ったとたん泣き出すかもしれない。そうしたら、私はただ抱きしめて、大丈夫だと伝えよう。
 夏樹から全部聞いたよ。私はもう平気だから、何も言わないで……と。



(どうしたのかな、莉央……)

 時計を見ると、午後6時12分。
 約束の時間を過ぎても、莉央が来ない。

 たくさんの人々が行き交う通路を眺めるうち、不安になってきた。
 だけど気を取り直す。
 何かハプニングが起きて、遅れているのだろう。それに、もし遅れるならじきに連絡が……

 私は「あっ」と思った。
 私の携帯番号を莉央は知らない。連絡の取りようがないではないか。

(どうしよう)

 でも、私は莉央の番号を知っている。こちらから電話すれば連絡が取れる。
 コートのポケットからスマホを取り出し、アドレスを開く。

(電話してみようか。でも、すぐに来るかもしれないし、もう少し待ってから……)

 しばらく迷っていたが、時間が過ぎるばかり。約束の時間を30分過ぎた午後6時半に、思い切って電話してみた。
 呼び出し音が鳴り、私の緊張は急激にピークを迎えた。

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