恋の記録

藤谷 郁

文字の大きさ
27 / 236
メッセージ

10

しおりを挟む
「と、いうわけなんです」


私が話し終えると、水樹さんは顎に手を当て、考え込む。

話の内容を整理しているのだろうか、それはずいぶん長い時間だった。


「僕の考えを述べる前に、一つ確認しておきたい」

「えっ、何でしょう」


気になることでもあったのかしらと、私はテーブルに身を乗り出す。


「この前、急に電話してきたのは、僕にそのことを話したかったから……そうだね?」

「……それは」


もちろん相談したかった。でも、恋人でもないのに図々しいと思い、ためらったのだ。


「……話せばよかったと、後悔しています。かえって心配をかけてしまったようで、すみません」

「いや、いいんだ。大体分かってたから」

「?」


どうして分かるのだろう。不思議に思う私に、彼は答える。


「一人暮らしの女性が不安な様子で、しかも夜に突然電話をくれる――その理由は、大体察しがつく。今の話は、電話をもらった時点で分かっていた。君はあの時すでに、僕に相談していたのさ」

「は……はあ」


そういうものだろうか。

よく理解できないけれど、水樹さんのはっきりとした口調は説得力がある。まるで、女性心理の専門家のようだ。


「家族、女友達、あるいは職場の上司。頼る相手は他にもいるだろうに、君はまっ先に僕に相談してくれた。とても嬉しいよ」


私は頷きかけて、ハッと思い出す。

職場の上司といえば、古池店長。父親が大家だという店長に意見を求めたくて、水樹さんより先に相談していた。

そして、思い込みは神経の無駄遣いであること、不安な時は管理会社に連絡するようにと、アドバイスをもらっている。


「あの、水樹さん。実は、その……」

「ん?」


水樹さんの瞳は熱を帯びている。

それは男としての喜びだと、男性心理に疎い私にも、よく分かるのだった。


「いえ、何でもありません。そうです、私……水樹さんに、まっ先に相談しました」

「あの夜の電話で、既にね」

「はい」


嘘をついてしまった。

でも、実は上司に相談済みだなんて、とても言えない。水樹さんの熱っぽい瞳。私を見つめる男性の眼差しを受け入れ、感情に従うのが自然だ。

それに彼が言うとおり、私は電話をかけたあの夜、水樹さんを頼っていた。それは事実であり、すべてが嘘ではない。

水樹さんは満足そうに微笑み、本題に入った。


「僕が思うに、ポストに苦情を入れたのは隣人だ。まず間違いない」

「やっぱり、そうなんでしょうか」

「ああ」


彼の答えに迷いはない。まるで、真相を知っているかのように、はっきりと結論づけている。


「ということは、あのコワモテ男が苦情主なんですね」


古池店長の、コワモテ男が実は優しい説は完全に消滅した。私は、水樹さんの言うことが絶対に正しいと信じる。


「その男が隣に住んでいるなら、犯人だ」


水樹さんは憎々しげに言う。

私を悩ませる苦情主は、彼にとって犯罪者に等しい存在なのだ。

私のために怒ってくれる彼を見て、顔が熱くなる。感激のあまり、指先も微かに震えてきた。


「私もずっと、あの男を疑っていました。でも……」

「でも?」


身を乗り出し、私の瞳を覗き込む。真剣な表情だ。


「一つだけ、変だなと思うことが。あの男が犯人なら、苦情の紙を、なぜ集合ポストに入れたのかしら。ドアポストに放り込めば簡単なのに」

「ああ……」


ちょっと意外そうに片眉を上げるが、すぐに答えた。


「カムフラージュだな。他の階の人間がやったように見せかけたんだ。くだらないやつの、小賢しいやり方だよ」

「な、なるほど」


水樹さんは辛らつだ。コワモテ男に対して、本気で怒っている。

私はまたしても感激し、嬉しさのあまり頭がくらくらしてきた。


「どうした、具合でも悪いのか」

「いえ、すみません。ちょっと頭が……今頃、酔いが回ったのかな」


きっとのぼせたのだ。

親身になってくれる水樹さんの、思いやりと優しさに――

だけど、そんなこと正直に言えない。


「出ようか。外の風に当たった方がいい」



水樹さんに抱えられるように、店を出た。彼は外のベンチに私を座らせてからスマートフォンを取り出し、タクシーを呼んだ。


「本当にごめんなさい……グラスワインで酔うなんて」

「いいよ。日頃の疲れが出たんだろう」

「それに、またご馳走になってしまって……」

「気にするな。それより、今後のことだけど」


水樹さんは私の言葉を遮り、肩を抱き寄せた。

突然の密着に驚くけれど、されるがまま。体に力が入らない。


「今現在は、とりあえず平穏なんだね」


アパートのことだ。

低い声と、水樹さんの体から立ち上るフレグランスが、たまらなかった。私は理性を保つよう努力しながら、こくりと頷く。

「はい。あれ以来、苦情はきていません。でも、アパートに入居して以来、誰かに監視されているみたいな、妙な不安があって……」


何だか眠くなってきた。

水樹さんの前で、こんなだらしない姿を晒すなんて恥ずかしい。


「たぶん、神経質になってるんです。自分らしくないと思うのですが」

「いや、君らしいよ」

「……え」


水樹さんは、肩を抱く手に力をこめた。私を守るように。


「君はもともと神経質で、怖がりなんだ。だから、僕が付いてなきゃいけない」

「……」

「君の不安は僕が取り除く」


私の顔を覗き込み、じっと見つめる。

優しくて、穏やかな眼差し。

なのに、どうしてか恐ろしく、殺気すら感じさせる声音――


タクシーのヘッドライトが辺りを照らし、それから私の意識は切れ切れになった。


しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?

中1でEカップって巨乳だから熱く甘く生きたいと思う真理(マリー)と小説家を目指す男子、光(みつ)のラブな日常物語

jun( ̄▽ ̄)ノ
大衆娯楽
 中1でバスト92cmのブラはEカップというマリーと小説家を目指す男子、光の日常ラブ  ★作品はマリーの語り、一人称で進行します。

あまりさんののっぴきならない事情

菱沼あゆ
キャラ文芸
 強引に見合い結婚させられそうになって家出し、憧れのカフェでバイトを始めた、あまり。  充実した日々を送っていた彼女の前に、驚くような美形の客、犬塚海里《いぬづか かいり》が現れた。 「何故、こんなところに居る? 南条あまり」 「……嫌な人と結婚させられそうになって、家を出たからです」 「それ、俺だろ」  そーですね……。  カフェ店員となったお嬢様、あまりと常連客となった元見合い相手、海里の日常。

春の雨はあたたかいー家出JKがオッサンの嫁になって女子大生になるまでのお話

登夢
恋愛
春の雨の夜に出会った訳あり家出JKと真面目な独身サラリーマンの1年間の同居生活を綴ったラブストーリーです。私は家出JKで春の雨の日の夜に駅前にいたところオッサンに拾われて家に連れ帰ってもらった。家出の訳を聞いたオッサンは、自分と同じに境遇に同情して私を同居させてくれた。同居の代わりに私は家事を引き受けることにしたが、真面目なオッサンは私を抱こうとしなかった。18歳になったときオッサンにプロポーズされる。

椿の国の後宮のはなし

犬噛 クロ
キャラ文芸
架空の国の後宮物語。 若き皇帝と、彼に囚われた娘の話です。 有力政治家の娘・羽村 雪樹(はねむら せつじゅ)は「男子」だと性別を間違われたまま、自国の皇帝・蓮と固い絆で結ばれていた。 しかしとうとう少女であることを気づかれてしまった雪樹は、蓮に乱暴された挙句、後宮に幽閉されてしまう。 幼なじみとして慕っていた青年からの裏切りに、雪樹は混乱し、蓮に憎しみを抱き、そして……? あまり暗くなり過ぎない後宮物語。 雪樹と蓮、ふたりの関係がどう変化していくのか見守っていただければ嬉しいです。 ※2017年完結作品をタイトルとカテゴリを変更+全面改稿しております。

私の優しいお父さん

有箱
ミステリー
昔、何かがあって、目の見えなくなった私。そんな私を、お父さんは守ってくれる。 少し過保護だと思うこともあるけれど、全部、私の為なんだって。 昔、私に何があったんだろう。 お母さんは、どうしちゃったんだろう。 お父さんは教えてくれない。でも、それも私の為だって言う。 いつか、思い出す日が来るのかな。 思い出したら、私はどうなっちゃうのかな。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

エリート警察官の溺愛は甘く切ない

日下奈緒
恋愛
親が警察官の紗良は、30歳にもなって独身なんてと親に責められる。 両親の勧めで、警察官とお見合いする事になったのだが、それは跡継ぎを産んで欲しいという、政略結婚で⁉

処理中です...