恋の記録

藤谷 郁

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正義の使者〈1〉

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水野さんは頷きながら言う。


「鳥宮さんの転落時間と大きくずれているし、何か仕掛けるにしても時間が短すぎる」


確かにそのとおりだ。

しかし、転落死の前夜に現れたというのは気になる。単なる偶然だろうか。


「長谷部さん、続きをお願いします。このあと非常階段の出入りも見せてください」

「承知しました」


映像を丁寧に見ていくが、エントランスを通過する人間のうち、住人でないのは『ともやさん』だけ。非常階段を利用する者はゼロ。

これといった人物は見当たらなかった。




「鳥宮の死に、他者が関わっている可能性は低いな」


管理会社からの帰路、水野さんは納得半分、物足りなさ半分といった顔。

俺もそうだが、結果が予想どおりすぎて、ちょっと拍子抜けしている。


「部屋にあった指紋は、鳥宮のものだけ。誰かと争った形跡もなし。彼はやはり、自らの意思でベランダの手すりに上り、落ちたんだ」

「ええ。『落ちてしまった』んですね」


俺と水野さんは、一つの結論に辿り着こうとしている。

鳥宮の死は自殺ではなく、事故。

問題は、なぜ鳥宮がベランダの手すりに上がったのか。答のヒントは、前田栄二の証言と、一条春菜から預かった証拠品にある。


「ただ、どうしても引っ掛かるんだ」

「鳥宮の懐が潤った理由ですね」

「そのとおり。宝くじでもない、ギャンブルでもないなら、どこから金を手に入れたのか。どうしても、そこに誰かがいるような気がしてならんのだ」


頭をひねる水野さんに、俺も疑問を呈した。何でもないことのようで、やはり不自然に思える。


「鳥宮は、なぜサンダルなんか履いたんでしょうね」

「うむ……」


本町駅前の交差点に差し掛かった。信号は赤。

初夏を思わせる陽射しのもと、横断を待つ人が、まぶしそうに目を細めている。


「雨はどしゃぶり。アルミの手すりは濡れている。裸足のほうが滑りにくいと、気付かなかったんでしょうか」


「ベランダに出る習慣で履いてしまったのかな。どうも鳥宮は、浅慮な人間らしい」


それだけだろうか……

サンダル履きで手すりに上る鳥宮の格好を想像し、何ともいえないもやもやとした気持ちに支配される。

彼の最後の言葉は、『すべった』――

第一発見者である新聞配達員に、息も絶え絶えの状態で、懸命に伝えた。

すべった……失敗した、と。


「署に戻ったら課長に報告して、もう一度地取りをやる。必ず、何か出てくるはずだ。東松くんは、できる範囲で手伝ってくれ」

「はい」


信号が青になり、水野さんは意気揚々と進む。俺の歩幅も大きかった。

答を出す前に、疑問に思うところはすべて調べ尽くすのだ。限られた時間の中でも、精いっぱい。


横断歩道を渡る人々が駅ビルに吸い込まれていくのを見やり、彼女を思い出した。

恋人に抱えられ、よろめきながら歩く姿に違和感を覚えたが……


(あれは、俺の勘違いかもしれないな)


頭を振り、水野さんを追いかけた。




署に戻った俺は、まず鑑識の部屋に行き、例の苦情の紙についての鑑定結果を聞いた。

鑑識係は資料を見せながら、はきはきと告げた。


「鳥宮さんの筆跡と特徴は似ていますが、何しろ殴り書きなんで、真筆であるとは言えません」

「……そうですか」


筆跡鑑定の結果は残念ながらグレーだったが、指紋については一条春菜の他は鳥宮のものだけがレポート用紙から検出された。他者の関わりを示す証拠はなく、鳥宮が書いたものと見て間違いないだろう。



刑事課に戻り、水野さんに報告しようとしたが、既に外出していた。さっそく地取りに出かけたのだろう。

直に話したかったのだが、仕方ないので電話で短く伝えてから、別の仕事にとりかかる。俺は他にも事件を担当している。区切りがついてから、水野さんを手伝うことにした。


昼休み返上で捜査書類を作っていると、デスクの電話が鳴った。内線だ。

パソコンの画面に目を当てたまま、受話器を取る。


「強行犯係、東松で……」

『お久しぶり。昼ごはん、一緒に食べない?』

「……」


久しぶりに聞く、艶っぽい声。

断っても無駄だとわかっているので、俺は「食堂ですね」とだけ確認し、資料作りを中断した。
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