55 / 236
正義の使者〈1〉
12
しおりを挟む
「夜?」
『ええ。申しわけありませんが、副店長は多忙ですので』
やはり、本人に取り次ぐのを避けている。しかも、声に敵意が滲むのがわかった。
警戒ではなく、敵意だ。
妙な店長である。
(夜まで待ってられるか。仕方ない、強引にいくぞ)
端末を握り直した時、突然メロディーが聞こえた。保留の音楽だ。
「どうした。一条さんはいないのか」
小声でせっついてくる水野さんに、わかりませんとジェスチャーで答える。売り場にいると古池は言うが、本当だろうか。
しかし、いきなり保留にするとは、どういうことだ。
このまま電話が切れてしまいそうな気がして、焦っていると……
『もしもし、お電話代わりました。一条です』
彼女の声が耳に飛び込んできた。古池の口調がねっとりしていたせいか、とてつもなく爽やかに響く。
「あ、こんにちは。ワタシ、東松です」
舌を噛みそうな俺を見て、水野さんがホッとするのがわかった。
「お忙しいところ、すみません」
『いえ、構いません。ちょうど小休止の時間なので』
夜まで手が空かないという古池の発言は何だったのか。
よくわからないが、彼女がタイミングよく事務所に入ってきたらしい。古池は電話を代わらざるを得なかったようだ。
「昨日は捜査にご協力をありがとうございました。実はですね……」
『あのっ、東松さん』
「はい?」
『場所を移動します。携帯から折り返しますので、少し待っててもらえますか』
一条春菜は声を潜めた。
背後で店長が、聞き耳を立てているのかもしれない。
「わかりました。番号は……」
『お名刺をいただいてますので』
「そうでしたね。では、お願いします」
電話は一旦切れた。
しばし待つと着信音が鳴り、俺はすぐに応答する。
『失礼しました。更衣室に移動したので、もう大丈夫ですよ』
先ほどよりトーンが明るい。
俺は何となく事情を察した。更衣室というと、男性が入ることのできない場所である。
「事務所にはまだ、店長さんが?」
『はい、ちょっと……あの人には聞かれたくなくて。お友達と言ってくださり、助かりました』
古池という男は、部下に干渉するタイプらしい。それも、特殊な干渉だ。
女性社員に個人的な相談をされて、勘違いする男上司は結構いる。警察からの電話だと古池が知れば、あれこれと詮索するだろう。
敵意の滲む声のわけも想像がついた。
『もしかして、昨夜お渡しした苦情の紙についてですか?』
「ええ、実は……」
彼女にとって不愉快な話だろうが、俺は正確に伝えた。
507号室のポストに苦情を入れたのは、鳥宮優一朗であること。そして、彼が隣のベランダから部屋を覗こうとしていたことも。
一条さんは黙って聞いてくれた。気味が悪すぎて、返事ができないのかもしれないが。
「もしもし、一条さん。大丈夫ですか」
『あ、はい。すみません。さすがに、びっくりして……』
動揺を隠しきれない彼女に遠慮しそうになるが、感情に流されてはならない。一呼吸置いてから、足跡と指紋採取の立ち会いに同意を求めた。
『わかりました。残りの仕事を片付けてからなので、アパートに着くのは一時間ほど後になりますが』
「えっ、すぐに来てくれるのですか」
『はい』
迷いのない返事。意外にも彼女は前向きだった。
「しかし、今日は忙しいのでは?」
『いえ、どちからといえば余裕があります。それに、もともと早めに帰るつもりでしたから』
古池の話とまったく違う。
(あの店長、しれっと嘘をついたぞ)
部下の茶飲み友達にでたらめを言って、どうしようというのだ。
おそらく日頃から嘘をつき慣れている。信用ならない人間だと思った。
「それでは、お待ちしています」
一条さんの協力を取り付けた後、水野さんが鑑識員に連絡した。前もって要請しておいたので段取りよく進む。
「大家さんにも連絡しますか」
「はっきりしてからにしよう。あと、鳥宮の両親にも報告が必要だ。彼らにとって良くない結果になるだろうな」
「……ええ」
推測される転落理由は、自殺とはまた別の意味できつい。
「絶縁状態といっても鳥宮優一朗の保証人は父親だ。賠償金を払うことになるかもしれん」
「えらいことですね」
自殺であっても賠償問題は発生する。家主だけでなく、アパートの住人が精神的苦痛を訴えるケースもある。
「ここも引越す人が出るだろう。特に一条さんは、住んでいられないんじゃないか」
「……」
俺はふと、507号室のベランダを思い出す。こんなに良い天気なのに、洗濯ものが干されていなかった。
「時間が余ったな。東松くん、コンビニに行ってみるか」
「あ、はい」
一条春菜が帰宅するのは一時間後。
俺と水野さんはコンビニの防犯カメラを先にチェックすることにし、静かなアパートを後にした。
『ええ。申しわけありませんが、副店長は多忙ですので』
やはり、本人に取り次ぐのを避けている。しかも、声に敵意が滲むのがわかった。
警戒ではなく、敵意だ。
妙な店長である。
(夜まで待ってられるか。仕方ない、強引にいくぞ)
端末を握り直した時、突然メロディーが聞こえた。保留の音楽だ。
「どうした。一条さんはいないのか」
小声でせっついてくる水野さんに、わかりませんとジェスチャーで答える。売り場にいると古池は言うが、本当だろうか。
しかし、いきなり保留にするとは、どういうことだ。
このまま電話が切れてしまいそうな気がして、焦っていると……
『もしもし、お電話代わりました。一条です』
彼女の声が耳に飛び込んできた。古池の口調がねっとりしていたせいか、とてつもなく爽やかに響く。
「あ、こんにちは。ワタシ、東松です」
舌を噛みそうな俺を見て、水野さんがホッとするのがわかった。
「お忙しいところ、すみません」
『いえ、構いません。ちょうど小休止の時間なので』
夜まで手が空かないという古池の発言は何だったのか。
よくわからないが、彼女がタイミングよく事務所に入ってきたらしい。古池は電話を代わらざるを得なかったようだ。
「昨日は捜査にご協力をありがとうございました。実はですね……」
『あのっ、東松さん』
「はい?」
『場所を移動します。携帯から折り返しますので、少し待っててもらえますか』
一条春菜は声を潜めた。
背後で店長が、聞き耳を立てているのかもしれない。
「わかりました。番号は……」
『お名刺をいただいてますので』
「そうでしたね。では、お願いします」
電話は一旦切れた。
しばし待つと着信音が鳴り、俺はすぐに応答する。
『失礼しました。更衣室に移動したので、もう大丈夫ですよ』
先ほどよりトーンが明るい。
俺は何となく事情を察した。更衣室というと、男性が入ることのできない場所である。
「事務所にはまだ、店長さんが?」
『はい、ちょっと……あの人には聞かれたくなくて。お友達と言ってくださり、助かりました』
古池という男は、部下に干渉するタイプらしい。それも、特殊な干渉だ。
女性社員に個人的な相談をされて、勘違いする男上司は結構いる。警察からの電話だと古池が知れば、あれこれと詮索するだろう。
敵意の滲む声のわけも想像がついた。
『もしかして、昨夜お渡しした苦情の紙についてですか?』
「ええ、実は……」
彼女にとって不愉快な話だろうが、俺は正確に伝えた。
507号室のポストに苦情を入れたのは、鳥宮優一朗であること。そして、彼が隣のベランダから部屋を覗こうとしていたことも。
一条さんは黙って聞いてくれた。気味が悪すぎて、返事ができないのかもしれないが。
「もしもし、一条さん。大丈夫ですか」
『あ、はい。すみません。さすがに、びっくりして……』
動揺を隠しきれない彼女に遠慮しそうになるが、感情に流されてはならない。一呼吸置いてから、足跡と指紋採取の立ち会いに同意を求めた。
『わかりました。残りの仕事を片付けてからなので、アパートに着くのは一時間ほど後になりますが』
「えっ、すぐに来てくれるのですか」
『はい』
迷いのない返事。意外にも彼女は前向きだった。
「しかし、今日は忙しいのでは?」
『いえ、どちからといえば余裕があります。それに、もともと早めに帰るつもりでしたから』
古池の話とまったく違う。
(あの店長、しれっと嘘をついたぞ)
部下の茶飲み友達にでたらめを言って、どうしようというのだ。
おそらく日頃から嘘をつき慣れている。信用ならない人間だと思った。
「それでは、お待ちしています」
一条さんの協力を取り付けた後、水野さんが鑑識員に連絡した。前もって要請しておいたので段取りよく進む。
「大家さんにも連絡しますか」
「はっきりしてからにしよう。あと、鳥宮の両親にも報告が必要だ。彼らにとって良くない結果になるだろうな」
「……ええ」
推測される転落理由は、自殺とはまた別の意味できつい。
「絶縁状態といっても鳥宮優一朗の保証人は父親だ。賠償金を払うことになるかもしれん」
「えらいことですね」
自殺であっても賠償問題は発生する。家主だけでなく、アパートの住人が精神的苦痛を訴えるケースもある。
「ここも引越す人が出るだろう。特に一条さんは、住んでいられないんじゃないか」
「……」
俺はふと、507号室のベランダを思い出す。こんなに良い天気なのに、洗濯ものが干されていなかった。
「時間が余ったな。東松くん、コンビニに行ってみるか」
「あ、はい」
一条春菜が帰宅するのは一時間後。
俺と水野さんはコンビニの防犯カメラを先にチェックすることにし、静かなアパートを後にした。
0
あなたにおすすめの小説
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
中1でEカップって巨乳だから熱く甘く生きたいと思う真理(マリー)と小説家を目指す男子、光(みつ)のラブな日常物語
jun( ̄▽ ̄)ノ
大衆娯楽
中1でバスト92cmのブラはEカップというマリーと小説家を目指す男子、光の日常ラブ
★作品はマリーの語り、一人称で進行します。
あまりさんののっぴきならない事情
菱沼あゆ
キャラ文芸
強引に見合い結婚させられそうになって家出し、憧れのカフェでバイトを始めた、あまり。
充実した日々を送っていた彼女の前に、驚くような美形の客、犬塚海里《いぬづか かいり》が現れた。
「何故、こんなところに居る? 南条あまり」
「……嫌な人と結婚させられそうになって、家を出たからです」
「それ、俺だろ」
そーですね……。
カフェ店員となったお嬢様、あまりと常連客となった元見合い相手、海里の日常。
春の雨はあたたかいー家出JKがオッサンの嫁になって女子大生になるまでのお話
登夢
恋愛
春の雨の夜に出会った訳あり家出JKと真面目な独身サラリーマンの1年間の同居生活を綴ったラブストーリーです。私は家出JKで春の雨の日の夜に駅前にいたところオッサンに拾われて家に連れ帰ってもらった。家出の訳を聞いたオッサンは、自分と同じに境遇に同情して私を同居させてくれた。同居の代わりに私は家事を引き受けることにしたが、真面目なオッサンは私を抱こうとしなかった。18歳になったときオッサンにプロポーズされる。
椿の国の後宮のはなし
犬噛 クロ
キャラ文芸
架空の国の後宮物語。
若き皇帝と、彼に囚われた娘の話です。
有力政治家の娘・羽村 雪樹(はねむら せつじゅ)は「男子」だと性別を間違われたまま、自国の皇帝・蓮と固い絆で結ばれていた。
しかしとうとう少女であることを気づかれてしまった雪樹は、蓮に乱暴された挙句、後宮に幽閉されてしまう。
幼なじみとして慕っていた青年からの裏切りに、雪樹は混乱し、蓮に憎しみを抱き、そして……?
あまり暗くなり過ぎない後宮物語。
雪樹と蓮、ふたりの関係がどう変化していくのか見守っていただければ嬉しいです。
※2017年完結作品をタイトルとカテゴリを変更+全面改稿しております。
私の優しいお父さん
有箱
ミステリー
昔、何かがあって、目の見えなくなった私。そんな私を、お父さんは守ってくれる。
少し過保護だと思うこともあるけれど、全部、私の為なんだって。
昔、私に何があったんだろう。
お母さんは、どうしちゃったんだろう。
お父さんは教えてくれない。でも、それも私の為だって言う。
いつか、思い出す日が来るのかな。
思い出したら、私はどうなっちゃうのかな。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
エリート警察官の溺愛は甘く切ない
日下奈緒
恋愛
親が警察官の紗良は、30歳にもなって独身なんてと親に責められる。
両親の勧めで、警察官とお見合いする事になったのだが、それは跡継ぎを産んで欲しいという、政略結婚で⁉
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる