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正義の使者〈1〉
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知人の家――
俺の頭に、よろめく一条さんと、彼女を支えて歩く男の姿が映しだされる。
親しい知人『ともやさん』は、彼女の恋人だった。付き合い始めたばかりの関係という俺の推測は、やはり外れていたのだ。
事故物件となったアパートから、彼女をすぐさま助け出して保護するほどの間柄である。彼女もまた、それを嬉しく思っているのが顔と態度に表れていた。
彼女の女らしい雰囲気は、服装のせいばかりではない。
俺は正直、一条さんに特別な感情を抱きつつあった。個人的に少し残念な展開だが……まあ、良しとする。困った時に手を差し伸べてくれる相手がいるなら安心だ。
「近々、アパートを退去します。新しい物件を探すつもりでしたが、知人が同居してもいいと言ってくれるので、頼ることにしました。今日は仕事を早めに上がって、引越しの準備に取り掛かろうと思ってたんです」
「なるほど」
一時的に身を寄せるのではなく、今後一緒に住むということだ。
「ただ、メゾン城田に入居したばかりなので、大家さんに悪いなって……」
「一条さんが気にすることないです。この場合、仕方ありませんよ」
「そう、ですか?」
「そうです」
彼女を励ましつつ、防犯ビデオの映像を思い出す。『ともやさん』は、なかなかの男前だった。俺と違って髪をきれいに整えてたし、身なりもきちんとしている。
結婚するなら、申し分ない相手だろう。
「今回、嫌な思いをされましたが、一条さんに落ち度はない。運が悪かっただけです。早く引越して、すっぱり忘れてください」
「……東松さん」
泣きそうな目で俺を見る。この人は喜怒哀楽の感情が豊かで、素直なのだ。
「幸せを祈ってますよ」
「えっ?」
一条さんが、きょとんとする。何か変なことを言っただろうか。
「嫌な思いをしたぶん、幸せになれるといいですねってことです」
「あ、はい。ふふっ……ありがとうございます」
素直に、朗らかに笑う。俺が心配するまでもなかったようだ。
『ともやさん』なら彼女を大切に守り、幸せにしてくれる。最後に見るのが笑顔で、本当に良かった。
「おーい、東松くん。ちょっといいかな」
「はい」
水野さんに呼ばれて椅子を立つ。外廊下に出て、玄関ドアを閉めた。
「鳥宮の親父さんから、早く遺体を引き取らせろと催促があったそうだ。今夜、葬儀屋を連れて署に来ることになったよ」
「そうですか」
早く葬式を済ませて、厄介ごとを片付けたいのだろう。
「あと、『息子が死んだのは自殺に決まってる。他に何があるんだ』と、私達の捜査に不満をぶちまけたらしい。死体検案書の内容に納得できないんだな。おそらく、死亡の種類は警察の判断によると医師に言われたんだろ」
「要するに、自殺であってほしいと」
「親父さんも必死だ」
鳥宮の両親は薄々勘付いている。
それにしても、世間体を気にして自殺であってほしいと願う親の心境は、どんなものだろう。親子の情がひとかけらも残っていないとしたら、悲しいことだ。
「どんな結論が出ようと、きっちり伝えるぞ」
「もちろんです」
一時間後、作業を終えた鑑識係は先に引き揚げた。町田さんが言うには、やはり採取は難しく、特に足跡は絶望的だ。だがとにかく、採取できた指掌紋の照合を行うとのこと。
あとは結果待ちである。
「それでは一条さん、我々も失礼いたします。このたびは捜査にご協力をありがとうございました」
帰り際、水野さんが礼を言うと彼女は恐縮した。
「こちらこそ、いろいろと調べてくださり助かりました。気になっていたことがはっきりして、良かったです」
にこりと微笑み、俺を見上げる。
「引越し先は本町です。またどこかで、お会いするかもしれませんね」
「ええ」
「書店にいらっしゃることがあれば、声をかけてください」
「はい」
水野さんがそばにいるので、素っ気ない返事になる。というより、そもそも彼女は捜査上の関係者に過ぎない。堅苦しいとは思うが、けじめはつけるべきだ。
「じゃあ東松くん、行こうか」
「はい」
水野さんのあとについて、エレベーターに向かおうとした。
(そうだ)
思いついて、振り返った。一条さんはまだドアの前に立ち、見送っている。
「これ、あげます」
内ポケットから、ビニールケースを取り出して彼女に渡した。
「何ですか?」
薬局でもらった試供品。うさぎ柄の絆創膏セットだ。
「コワモテには似合わないだろ?」
「うふふっ……ありがとうございます」
彼女の顔が綻ぶ。俺もつられて笑った。
「さよなら、一条さん。お元気で」
「東松さんも」
エレベーターのボタンを押さえ、水野さんが待っていた。
「もういいのか?」
「ええ」
「五分くらいなら、構わないぞ」
「いいんです。二度と会わない人ですから」
エレベーターに乗り込み、まだ見送っている彼女に会釈する。
(理想のタイプってやつか……)
カゴが動き出した時、少しだけ未練を感じた。
俺の頭に、よろめく一条さんと、彼女を支えて歩く男の姿が映しだされる。
親しい知人『ともやさん』は、彼女の恋人だった。付き合い始めたばかりの関係という俺の推測は、やはり外れていたのだ。
事故物件となったアパートから、彼女をすぐさま助け出して保護するほどの間柄である。彼女もまた、それを嬉しく思っているのが顔と態度に表れていた。
彼女の女らしい雰囲気は、服装のせいばかりではない。
俺は正直、一条さんに特別な感情を抱きつつあった。個人的に少し残念な展開だが……まあ、良しとする。困った時に手を差し伸べてくれる相手がいるなら安心だ。
「近々、アパートを退去します。新しい物件を探すつもりでしたが、知人が同居してもいいと言ってくれるので、頼ることにしました。今日は仕事を早めに上がって、引越しの準備に取り掛かろうと思ってたんです」
「なるほど」
一時的に身を寄せるのではなく、今後一緒に住むということだ。
「ただ、メゾン城田に入居したばかりなので、大家さんに悪いなって……」
「一条さんが気にすることないです。この場合、仕方ありませんよ」
「そう、ですか?」
「そうです」
彼女を励ましつつ、防犯ビデオの映像を思い出す。『ともやさん』は、なかなかの男前だった。俺と違って髪をきれいに整えてたし、身なりもきちんとしている。
結婚するなら、申し分ない相手だろう。
「今回、嫌な思いをされましたが、一条さんに落ち度はない。運が悪かっただけです。早く引越して、すっぱり忘れてください」
「……東松さん」
泣きそうな目で俺を見る。この人は喜怒哀楽の感情が豊かで、素直なのだ。
「幸せを祈ってますよ」
「えっ?」
一条さんが、きょとんとする。何か変なことを言っただろうか。
「嫌な思いをしたぶん、幸せになれるといいですねってことです」
「あ、はい。ふふっ……ありがとうございます」
素直に、朗らかに笑う。俺が心配するまでもなかったようだ。
『ともやさん』なら彼女を大切に守り、幸せにしてくれる。最後に見るのが笑顔で、本当に良かった。
「おーい、東松くん。ちょっといいかな」
「はい」
水野さんに呼ばれて椅子を立つ。外廊下に出て、玄関ドアを閉めた。
「鳥宮の親父さんから、早く遺体を引き取らせろと催促があったそうだ。今夜、葬儀屋を連れて署に来ることになったよ」
「そうですか」
早く葬式を済ませて、厄介ごとを片付けたいのだろう。
「あと、『息子が死んだのは自殺に決まってる。他に何があるんだ』と、私達の捜査に不満をぶちまけたらしい。死体検案書の内容に納得できないんだな。おそらく、死亡の種類は警察の判断によると医師に言われたんだろ」
「要するに、自殺であってほしいと」
「親父さんも必死だ」
鳥宮の両親は薄々勘付いている。
それにしても、世間体を気にして自殺であってほしいと願う親の心境は、どんなものだろう。親子の情がひとかけらも残っていないとしたら、悲しいことだ。
「どんな結論が出ようと、きっちり伝えるぞ」
「もちろんです」
一時間後、作業を終えた鑑識係は先に引き揚げた。町田さんが言うには、やはり採取は難しく、特に足跡は絶望的だ。だがとにかく、採取できた指掌紋の照合を行うとのこと。
あとは結果待ちである。
「それでは一条さん、我々も失礼いたします。このたびは捜査にご協力をありがとうございました」
帰り際、水野さんが礼を言うと彼女は恐縮した。
「こちらこそ、いろいろと調べてくださり助かりました。気になっていたことがはっきりして、良かったです」
にこりと微笑み、俺を見上げる。
「引越し先は本町です。またどこかで、お会いするかもしれませんね」
「ええ」
「書店にいらっしゃることがあれば、声をかけてください」
「はい」
水野さんがそばにいるので、素っ気ない返事になる。というより、そもそも彼女は捜査上の関係者に過ぎない。堅苦しいとは思うが、けじめはつけるべきだ。
「じゃあ東松くん、行こうか」
「はい」
水野さんのあとについて、エレベーターに向かおうとした。
(そうだ)
思いついて、振り返った。一条さんはまだドアの前に立ち、見送っている。
「これ、あげます」
内ポケットから、ビニールケースを取り出して彼女に渡した。
「何ですか?」
薬局でもらった試供品。うさぎ柄の絆創膏セットだ。
「コワモテには似合わないだろ?」
「うふふっ……ありがとうございます」
彼女の顔が綻ぶ。俺もつられて笑った。
「さよなら、一条さん。お元気で」
「東松さんも」
エレベーターのボタンを押さえ、水野さんが待っていた。
「もういいのか?」
「ええ」
「五分くらいなら、構わないぞ」
「いいんです。二度と会わない人ですから」
エレベーターに乗り込み、まだ見送っている彼女に会釈する。
(理想のタイプってやつか……)
カゴが動き出した時、少しだけ未練を感じた。
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