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幸せの部屋
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駅ビルの守衛室で事務所の鍵を受け取り、エレベーターに向かって通路を歩いていると、背後から声をかけられた。
「おはようございます、一条さん。今朝はずいぶん、お早いですねえ」
「あ、おはようございます」
古池店長が歩いてくる。私に追いつくと、無遠慮に眺め回してきた。
「いつもと雰囲気が違うと思ったら、ワンピースですか」
「えっ?」
「洋服ですよ。爽やかな色合いが、とても似合っています」
「はあ、どうも……」
気のせいか、距離が近い。必要以上に接近されたくないので、さり気なく離れてから歩き出した。
「そういった服装は珍しいですね。仕事終わりに、デートでの予定でもあるのかな」
「いえ、そんなわけでは。ただの気分転換ですよ」
「本当かなあ?」
店長は上体を屈め、私の顔を覗き込んできた。冗談っぽい口調だが、目が笑っていない。
「いいですねえ、若い人は」
「だから、違いますって」
離れても距離を詰めようとする店長を、強く警戒した。
やはり、この人は何らかの意図をもって私に接している。
セクハラ疑惑が深まるばかりだが、あからさまに嫌な顔をするわけにいかず、並んで歩くほかない。彼は上司なのだ。
エレベーターに、他のフロアの従業員と一緒に乗り込んだ。二人きりにならなくて良かったと思いながら、私は大事なことを忘れていることに気付く。
昨日は店長が外出したので、きちんと話ができなかった。
土屋さんのことだ。
エレベーターを降りたところで、率直に切り出した。
「土屋さんが昨日、出勤してすぐに帰ってしまったのは、私の企画案を聞いたからですよね」
ライトノベルフェアの件で店長に噛みついていたと、バイトさんが言った。彼女が怒るとしたら、それしか考えられない。
「ええ、私が一条さんのアイデアを伝えました。いけなかったですか?」
「はあ?」
店長は怪訝な表情で、私を見下ろす。とぼけているのか、それとも本当に、わかっていないのだろうか。
「い、いけないに決まってます。私の企画案は、彼女のポリシーに反するものです。もっと慎重に、ゆっくり説得すべき事柄なのに、なぜ話してしまったのですか。しかも、私がいないところで……」
「まあまあ、落ち着いてください。とりあえず事務所に行きましょう」
私の発言を途中で遮り、店長はすたすたと歩き出した。土屋さんのことなど気にも留めない――というより、まるで問題ないかのような態度である。
(この人は一体、何を考えているの)
上司の真意を測りかねて、もやもやした。
「一条さん、鍵を開けてください」
「あっ、はい」
いつもなら、まず更衣室で着替えるのだが、事務所に入るなり店長と向き合う。
他の社員が出勤する前に、話をつけておきたい。
「おや、制服に着替えないのですか」
「その前に、土屋さんのことです」
のんびりとした店長の口ぶりに、神経を逆なでされる。私の姿を上から下まで、無遠慮に眺め回す視線も不愉快だ。さっさと言うべきことを言ってしまおう。
「土屋さんはライトノベルの責任者ですよね。チーフが感情的になって仕事を放り出すなど、もってのほかです」
「そうですねえ」
「彼女を注意するとともに、今後は対応に気を配っていただけませんか。困るのは現場であり、チームのスタッフなんです」
「ええ、本当に。困ったものです」
他人事のような返答に、ムカムカしてきた。部下の面倒見が良いという評判は嘘だったのか。
「店長は、土屋さんは有能な人だと仰いましたよね。有能だからこそ、プライドが傷付いたのだと思います。後から来た私にテリトリーを荒らされたと感じるのでしょう。ですから、彼女の気持ちを慮っていただきたいのです」
「いいえ、一条さん。土屋さんは、さほど有能な方ではなかった。伸びしろがありません。がっかりしましたよ」
「えっ?」
店長は頭を左右に振り、大きくため息をついた。その仕草は、誰より困り果てているのは自分だとアピールしている。
「前にも言いましたが、私は彼女を発奮させるために、あなたをフェアの企画に参加させたのです」
「そうですよね。でも、リーダーは彼女であって……」
「一人のワガママな社員に、そこまで気配りする義理はありませんよ。甘ったれちゃいけない」
吐き捨てるような言い方にびっくりして、店長を見返す。
これまでにない、冷たい表情だった。
「し、しかし、土屋さんはまだ若いし、ワガママな面があっても仕方ないのでは? そこのところを上手く導くのも、年長者の役目だと思いますが」
「若くても、一人前の社会人です。しかもチーフという立場であり、他のスタッフより高い給料をもらってるんだから、頑張ってもらわなくては。私はね、彼女に期待してたんですよ。もっと根性があると思ってたのに、ガッカリだ。裏切られたって感じかなあ」
私は、あ然とした。
確かに店長の言うことは正しい。正しいけれど、これまで店を盛り上げてきた部下に対して、あまりな言い草に聞こえた。
しかも、私よりも店長のほうが土屋さんとの付き合いがずっと長いのに、なぜこんなにも冷淡なのだろう。
「おはようございます、一条さん。今朝はずいぶん、お早いですねえ」
「あ、おはようございます」
古池店長が歩いてくる。私に追いつくと、無遠慮に眺め回してきた。
「いつもと雰囲気が違うと思ったら、ワンピースですか」
「えっ?」
「洋服ですよ。爽やかな色合いが、とても似合っています」
「はあ、どうも……」
気のせいか、距離が近い。必要以上に接近されたくないので、さり気なく離れてから歩き出した。
「そういった服装は珍しいですね。仕事終わりに、デートでの予定でもあるのかな」
「いえ、そんなわけでは。ただの気分転換ですよ」
「本当かなあ?」
店長は上体を屈め、私の顔を覗き込んできた。冗談っぽい口調だが、目が笑っていない。
「いいですねえ、若い人は」
「だから、違いますって」
離れても距離を詰めようとする店長を、強く警戒した。
やはり、この人は何らかの意図をもって私に接している。
セクハラ疑惑が深まるばかりだが、あからさまに嫌な顔をするわけにいかず、並んで歩くほかない。彼は上司なのだ。
エレベーターに、他のフロアの従業員と一緒に乗り込んだ。二人きりにならなくて良かったと思いながら、私は大事なことを忘れていることに気付く。
昨日は店長が外出したので、きちんと話ができなかった。
土屋さんのことだ。
エレベーターを降りたところで、率直に切り出した。
「土屋さんが昨日、出勤してすぐに帰ってしまったのは、私の企画案を聞いたからですよね」
ライトノベルフェアの件で店長に噛みついていたと、バイトさんが言った。彼女が怒るとしたら、それしか考えられない。
「ええ、私が一条さんのアイデアを伝えました。いけなかったですか?」
「はあ?」
店長は怪訝な表情で、私を見下ろす。とぼけているのか、それとも本当に、わかっていないのだろうか。
「い、いけないに決まってます。私の企画案は、彼女のポリシーに反するものです。もっと慎重に、ゆっくり説得すべき事柄なのに、なぜ話してしまったのですか。しかも、私がいないところで……」
「まあまあ、落ち着いてください。とりあえず事務所に行きましょう」
私の発言を途中で遮り、店長はすたすたと歩き出した。土屋さんのことなど気にも留めない――というより、まるで問題ないかのような態度である。
(この人は一体、何を考えているの)
上司の真意を測りかねて、もやもやした。
「一条さん、鍵を開けてください」
「あっ、はい」
いつもなら、まず更衣室で着替えるのだが、事務所に入るなり店長と向き合う。
他の社員が出勤する前に、話をつけておきたい。
「おや、制服に着替えないのですか」
「その前に、土屋さんのことです」
のんびりとした店長の口ぶりに、神経を逆なでされる。私の姿を上から下まで、無遠慮に眺め回す視線も不愉快だ。さっさと言うべきことを言ってしまおう。
「土屋さんはライトノベルの責任者ですよね。チーフが感情的になって仕事を放り出すなど、もってのほかです」
「そうですねえ」
「彼女を注意するとともに、今後は対応に気を配っていただけませんか。困るのは現場であり、チームのスタッフなんです」
「ええ、本当に。困ったものです」
他人事のような返答に、ムカムカしてきた。部下の面倒見が良いという評判は嘘だったのか。
「店長は、土屋さんは有能な人だと仰いましたよね。有能だからこそ、プライドが傷付いたのだと思います。後から来た私にテリトリーを荒らされたと感じるのでしょう。ですから、彼女の気持ちを慮っていただきたいのです」
「いいえ、一条さん。土屋さんは、さほど有能な方ではなかった。伸びしろがありません。がっかりしましたよ」
「えっ?」
店長は頭を左右に振り、大きくため息をついた。その仕草は、誰より困り果てているのは自分だとアピールしている。
「前にも言いましたが、私は彼女を発奮させるために、あなたをフェアの企画に参加させたのです」
「そうですよね。でも、リーダーは彼女であって……」
「一人のワガママな社員に、そこまで気配りする義理はありませんよ。甘ったれちゃいけない」
吐き捨てるような言い方にびっくりして、店長を見返す。
これまでにない、冷たい表情だった。
「し、しかし、土屋さんはまだ若いし、ワガママな面があっても仕方ないのでは? そこのところを上手く導くのも、年長者の役目だと思いますが」
「若くても、一人前の社会人です。しかもチーフという立場であり、他のスタッフより高い給料をもらってるんだから、頑張ってもらわなくては。私はね、彼女に期待してたんですよ。もっと根性があると思ってたのに、ガッカリだ。裏切られたって感じかなあ」
私は、あ然とした。
確かに店長の言うことは正しい。正しいけれど、これまで店を盛り上げてきた部下に対して、あまりな言い草に聞こえた。
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