恋の記録

藤谷 郁

文字の大きさ
103 / 236
正義の使者〈2〉

しおりを挟む
たまたま立ち寄った靴専門店で一条春菜に出会ったのは偶然だ。だけど、ただの偶然とは思えない。鳥宮の転落死に疑問を持ち続けている俺のこだわりが導いたのだ。彼女と、彼女の恋人である男のもとへ――


駅ビルを出ると、街は薄暮に包まれていた。時間のわりに暗いのは雨が近いせいだろう。

俺はまっすぐに緑署へと向かった。せっかくの休みなのに仕事をしたがる自分は何なのだろう。そう思いながらも歩調を緩めない。身体が興奮していた。



「あれっ、東松。どうしたんだ」


署内の廊下で同僚と行き合った。休日に働く彼は今日の当直である。


「いや、ちょっと調べたいことがあってな」

「ふーん、休みなのにご苦労さん……あっ、そうだ」


同僚は急ににやけた顔になり、俺の肩に腕を回した。


「な、何だよ?」

「忘れるところだった。午前中に本部の瀬戸さんが来て、お前を探してたぞ」

「瀬戸さんが?」


瀬戸警部補は県警本部の女性刑事だ。緑署に来るたび俺を飯に付き合わせるのを同僚は知っている。

しかし日曜日に来るのは珍しかった。


「何の用事で?」

「さあな。彼女も休みだと言ってたから、単にお前をデートに誘うつもりだったんじゃないの。せっかく会いに来てくれたのに、すれ違っちゃったなあ」

「……」


絡みつく同僚の腕を乱暴にひっぺがした。


「バカ。あの人と俺はそんなんじゃねえよ」

「あっはは……そうむきになるな。でもさ、いいんじゃないの。お前みたいなタイプは年上の女がお似合いだよ」

「はあ?」


一体、何を言ってるんだ。俺はムッとするが同僚は意に介さず、にやけた顔のまま立ち去った。


「ふざけたやつめ。……っと、そんなことより捜査資料の確認だ」


刑事部屋に入ると、当直の課員が数名いるだけで静かなものだった。今日は特に事件もなく平和なようだ。

俺は書棚から目的の捜査資料を抜き出し、自分のデスクに着く。鳥宮の転落死についての調査書を端から端までおさらいし、一つの仮説を立てた。

やはりあれは、自殺でも事故でもなく、第三者が関与する殺人だったのではないか。

目を閉じて、先ほどのできごとを思い返す。駅ビルの靴専門店『ドゥマン』でのことだ。

俺は靴を買いに行ったわけではなく、たまたま店の前を通りかかったときにサンダルが目に入り、鳥宮の件を連想したのだ。

サンダルを眺めていると、そこに偶然にも一条春菜が現れた。そして彼女の恋人が『ドゥマン』の店長であることを知ったのだ。

彼女と立ち話をしたあと、俺は立ち去るふりをして物陰から『ドゥマン』を見張った。すると俺がいなくなってすぐに男が出てきて、彼女を連れて奥に引っ込んでしまった。

髪も服装もきちんとした三十代前半の男。アパートの防犯カメラで見たとおりの男前だった。間違いなくあれは一条さんの恋人「ともやさん」である。

その場で『ドゥマン』のホームページを検索してグリーンシティ本町駅店のサイトを確かめた。スタッフ紹介などのページはなく、店舗の写真を何枚か載せただけのシンプルなつくりである。

ただ、スタッフは皆靴の専門家であり、特に店長は社内資格を持つ技術者であるというアピールは重要な情報に思えた。


「靴専門店の店長。靴の専門家……」


刑事になりたての頃、ブランド靴を売りつけられたという話をしたとき、一条さんがこう言った。


――専門家に薦められたら、誰だって信じちゃいますよ。


例えば「このサンダルは靴底に特殊素材を使っている。雨の日に履いても滑らない」と、靴の専門家に薦められたら、たいていの人は信じるだろう。そしてまんまと騙され、安心して雨の日に履き、足を滑らせてしまう。


目を開き、考えを整理する。

仮説を成立させるには、鳥宮と「ともやさん」が接触したという事実が必要だ。どこでどうやって知り合い、どんな風にそそのかして鳥宮を転落させたのか。サンダルを使って。

突飛な考えかもしれない。

だけど、「ともやさん」には動機がある。鳥宮が一条さんに苦情を入れて不安にさせた。そのことについて彼女から相談を受けているはずだ。


「うーん……」


だが、動機としては弱い。たったそれだけのことで人を殺すだろうか?

「ともやさん」は、鳥宮の覗きやつきまとい行為は知らないはずだ。一条さん自身も気づかなかったのだから。だが、たとえ知っていたとしても殺人はない。まず警察に相談するのが普通だ。

見た感じ、「ともやさん」は真面目そうな男だった。老舗の靴専門店で店長を務め、日々まっとうに生きている普通の人間だろう。


「いや、違うな」


頭を横に振った。

まっとうに見えても狂気を孕んだ人間はいる。そういった人間はむしろ、分かりやすい悪人よりも残酷なのだ。

あの男も、もしかしたらそんなタイプなのかもしれない。

あらゆる可能性を考え、やれることからやっていく。事件と決まったわけではないので大っぴらに捜査できないが、もしも殺人なら放ってはおけない。俺は警察官なのだ。

しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

あまりさんののっぴきならない事情

菱沼あゆ
キャラ文芸
 強引に見合い結婚させられそうになって家出し、憧れのカフェでバイトを始めた、あまり。  充実した日々を送っていた彼女の前に、驚くような美形の客、犬塚海里《いぬづか かいり》が現れた。 「何故、こんなところに居る? 南条あまり」 「……嫌な人と結婚させられそうになって、家を出たからです」 「それ、俺だろ」  そーですね……。  カフェ店員となったお嬢様、あまりと常連客となった元見合い相手、海里の日常。

椿の国の後宮のはなし

犬噛 クロ
キャラ文芸
架空の国の後宮物語。 若き皇帝と、彼に囚われた娘の話です。 有力政治家の娘・羽村 雪樹(はねむら せつじゅ)は「男子」だと性別を間違われたまま、自国の皇帝・蓮と固い絆で結ばれていた。 しかしとうとう少女であることを気づかれてしまった雪樹は、蓮に乱暴された挙句、後宮に幽閉されてしまう。 幼なじみとして慕っていた青年からの裏切りに、雪樹は混乱し、蓮に憎しみを抱き、そして……? あまり暗くなり過ぎない後宮物語。 雪樹と蓮、ふたりの関係がどう変化していくのか見守っていただければ嬉しいです。 ※2017年完結作品をタイトルとカテゴリを変更+全面改稿しております。

春の雨はあたたかいー家出JKがオッサンの嫁になって女子大生になるまでのお話

登夢
恋愛
春の雨の夜に出会った訳あり家出JKと真面目な独身サラリーマンの1年間の同居生活を綴ったラブストーリーです。私は家出JKで春の雨の日の夜に駅前にいたところオッサンに拾われて家に連れ帰ってもらった。家出の訳を聞いたオッサンは、自分と同じに境遇に同情して私を同居させてくれた。同居の代わりに私は家事を引き受けることにしたが、真面目なオッサンは私を抱こうとしなかった。18歳になったときオッサンにプロポーズされる。

【完結】退職を伝えたら、無愛想な上司に囲われました〜逃げられると思ったのが間違いでした〜

来栖れいな
恋愛
逃げたかったのは、 疲れきった日々と、叶うはずのない憧れ――のはずだった。 無愛想で冷静な上司・東條崇雅。 その背中に、ただ静かに憧れを抱きながら、 仕事の重圧と、自分の想いの行き場に限界を感じて、私は退職を申し出た。 けれど―― そこから、彼の態度は変わり始めた。 苦手な仕事から外され、 負担を減らされ、 静かに、けれど確実に囲い込まれていく私。 「辞めるのは認めない」 そんな言葉すらないのに、 無言の圧力と、不器用な優しさが、私を縛りつけていく。 これは愛? それともただの執着? じれじれと、甘く、不器用に。 二人の距離は、静かに、でも確かに近づいていく――。 無愛想な上司に、心ごと囲い込まれる、じれじれ溺愛・執着オフィスラブ。 ※この物語はフィクションです。 登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。

私の優しいお父さん

有箱
ミステリー
昔、何かがあって、目の見えなくなった私。そんな私を、お父さんは守ってくれる。 少し過保護だと思うこともあるけれど、全部、私の為なんだって。 昔、私に何があったんだろう。 お母さんは、どうしちゃったんだろう。 お父さんは教えてくれない。でも、それも私の為だって言う。 いつか、思い出す日が来るのかな。 思い出したら、私はどうなっちゃうのかな。

25年目の真実

yuzu
ミステリー
結婚して25年。娘1人、夫婦2人の3人家族で幸せ……の筈だった。 明かされた真実に戸惑いながらも、愛を取り戻す夫婦の話。

離縁の雨が降りやめば

碧月あめり
キャラ文芸
龍の眷属である竜堂家に生まれた葵は、三つのときに美雲神社の一つ目の龍神様の契約花嫁になった。 これは、龍の眷属である竜堂家が行わなければいけない古くからの習わしで、花嫁が十六になるときに龍神との離縁が約束されている。 花嫁が十六歳の誕生日を迎えると、不思議なことに大量の雨が降る。それは龍神が花嫁を現世に戻すために降らせる離縁の雨だと言われていて、雨は三日三晩降り続いたのちに止む。 雨がやめば、離縁された花嫁は次の龍神の花嫁を産むために美雲神社を去らなければいけない。 だが、葵には龍神との離縁後も美雲神社に留まりたい理由があった。 幼い頃から兄のように慕ってきた御蔭という人の存在があるからだ。 白銀の髪に隻眼の御蔭は美しく、どこか不思議な雰囲気を纏っているが美雲神社の人間からは《見えない存在》として扱われている。 御蔭とともにいることを願っている葵だが、彼のほうは葵に無頓着のようだった。 葵が十六の誕生日を迎えた日。不思議な雨が降り始める。習わし通りであれば三日降り続いたあとやむ雨が、なぜか十日以上も降りやまず……。

エリート警察官の溺愛は甘く切ない

日下奈緒
恋愛
親が警察官の紗良は、30歳にもなって独身なんてと親に責められる。 両親の勧めで、警察官とお見合いする事になったのだが、それは跡継ぎを産んで欲しいという、政略結婚で⁉

処理中です...