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春菜の願い
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瀬戸さんが正面の椅子に座り、あらためて挨拶する。彼女の態度を見て、これからが本格的な聴取であり、女性警察官が必要な領域なのだと察した。
「先日、家宅捜索で押収したノートパソコンから文書ファイルが見つかりました。中身は日記と思われますが、ご存じでしたか?」
智哉さんがいつも使っているノートパソコンだ。
「いいえ。メールをチェックしたり、仕事に使うのは見たことがありますが……そういえば、たまに何かを打ち込んでいました。内容を気にしたことはありませんけど、日記なんですか?」
瀬戸さんは黙って資料を取り出す。
「エディタソフトで作成された文書がハードディスクに保存されていました。これがプリントアウトしたものです」
差し出されたのは、A4のコピー用紙を綴じた資料。表紙にタイトルが記載されている。
「恋の記録……?」
日記というより小説のタイトルだ。不思議に思って、瀬戸さんを見返す。
「まずはご一読ください。短い文章なので、数分で読み終わります」
「……」
もし本当に日記なら、彼の本音が書かれている。私を身代わりにしたという根拠も。つまり、警察の読みを裏付ける重大な証拠だ。
「分かりました……」
勇気を奮い起こして、表紙をめくった。
【恋の記録】を読み終えた私は、しばし放心した。
これは確かに日記である。各ページの最初に日付があり、本文には、その日にあったことや、彼の心情が綴られていた。
期間は4月7日から4月29日まで。
私との出会いから日記が始まり、最後はあの日……山賀さんのことで私が泣いて、智哉さんが詫びた日で終わっている。
「率直にお尋ねします。日記を読んで、どう思われましたか」
瀬戸さんに問われ、私は困惑した。
驚きと衝撃。そして激しい違和感。言葉にするのが難しくて、つらい。
「一条さん?」
「……これは本当に、智哉さんが書いたものでしょうか」
どんな理屈でもいい。反証しなければ。
「あの人ならもっと落ち着いた、論理的な文章を書くと思います。描写が分かりづらいというか、独りよがりで、感情的すぎる気がします」
縋るような気持ちで訴えた。認めたくない。嘘だと言ってほしい。
「我々はむしろ逆に捉えています。感情的で独りよがりな文章だからこそ、彼の本音と言えるのではないでしょうか。あと、【恋の記録】は共有ファイルではなく、水樹さん個人が管理する文書と判断されています。しかも厳重にロックされていた。人に読ませる前提のものではありません」
「でも……」
「それに、論理的な思考の持ち主なら、あんな事件を起こして逃げたりしない」
無駄な足掻きだった。
私の知らない彼が、確かに存在するのだ。
「……最初は、実験だったんですね」
だから【恋の記録】――この日記は、智哉さんが私を材料に『愛することができるか否か』の実験を記録したもの。
いや、違う。
「私」ではないと、抵抗しながらも認めた。
警察の推測どおり、私は身代わりに過ぎなかった。彼が記録したのは、斎藤陽向という女性との恋愛である。
絶望する私に追い討ちをかけるように、瀬戸さんが編集履歴の説明を始めた。
「水樹さんが文書作成した最初の日付は二年前の4月2日。ただし、後から修正されています。例えば、1ページ目の日付を4月2日から4月7日に変更、といったように」
斎藤陽向さんと出会った日付を、私と出会った4月7日に修正したのだという。
「あと一つは、名前ですね」
【陽向】と【春菜】が置き換えられているそうだ。一括で。
「そんな……」
『明るく、優しい響きがする』――彼がそう感じたのは【春菜】ではなく、【陽向】という名前。
エディタソフトは簡単な操作で名前を置き換えられる。簡単すぎて涙が出そうだった。
「水樹さんが修正したのは日付と名前のみです。誤字脱字含めて、他に打ち直した箇所はありません」
要するに、こういうことだ。
智哉さんは記録を元に、二年前の出来事を再現した。足を滑らせた女を助け、パンプスを修理して、女からの電話を待ち、それから……
「今思えば、私のパンプスの踵は、それほどすり減っていなかったんです。大事に穿いてたのに、おかしいと気づくべきでした。智哉さんは記録に合わせるために、わざと修理したんですね」
「先日、家宅捜索で押収したノートパソコンから文書ファイルが見つかりました。中身は日記と思われますが、ご存じでしたか?」
智哉さんがいつも使っているノートパソコンだ。
「いいえ。メールをチェックしたり、仕事に使うのは見たことがありますが……そういえば、たまに何かを打ち込んでいました。内容を気にしたことはありませんけど、日記なんですか?」
瀬戸さんは黙って資料を取り出す。
「エディタソフトで作成された文書がハードディスクに保存されていました。これがプリントアウトしたものです」
差し出されたのは、A4のコピー用紙を綴じた資料。表紙にタイトルが記載されている。
「恋の記録……?」
日記というより小説のタイトルだ。不思議に思って、瀬戸さんを見返す。
「まずはご一読ください。短い文章なので、数分で読み終わります」
「……」
もし本当に日記なら、彼の本音が書かれている。私を身代わりにしたという根拠も。つまり、警察の読みを裏付ける重大な証拠だ。
「分かりました……」
勇気を奮い起こして、表紙をめくった。
【恋の記録】を読み終えた私は、しばし放心した。
これは確かに日記である。各ページの最初に日付があり、本文には、その日にあったことや、彼の心情が綴られていた。
期間は4月7日から4月29日まで。
私との出会いから日記が始まり、最後はあの日……山賀さんのことで私が泣いて、智哉さんが詫びた日で終わっている。
「率直にお尋ねします。日記を読んで、どう思われましたか」
瀬戸さんに問われ、私は困惑した。
驚きと衝撃。そして激しい違和感。言葉にするのが難しくて、つらい。
「一条さん?」
「……これは本当に、智哉さんが書いたものでしょうか」
どんな理屈でもいい。反証しなければ。
「あの人ならもっと落ち着いた、論理的な文章を書くと思います。描写が分かりづらいというか、独りよがりで、感情的すぎる気がします」
縋るような気持ちで訴えた。認めたくない。嘘だと言ってほしい。
「我々はむしろ逆に捉えています。感情的で独りよがりな文章だからこそ、彼の本音と言えるのではないでしょうか。あと、【恋の記録】は共有ファイルではなく、水樹さん個人が管理する文書と判断されています。しかも厳重にロックされていた。人に読ませる前提のものではありません」
「でも……」
「それに、論理的な思考の持ち主なら、あんな事件を起こして逃げたりしない」
無駄な足掻きだった。
私の知らない彼が、確かに存在するのだ。
「……最初は、実験だったんですね」
だから【恋の記録】――この日記は、智哉さんが私を材料に『愛することができるか否か』の実験を記録したもの。
いや、違う。
「私」ではないと、抵抗しながらも認めた。
警察の推測どおり、私は身代わりに過ぎなかった。彼が記録したのは、斎藤陽向という女性との恋愛である。
絶望する私に追い討ちをかけるように、瀬戸さんが編集履歴の説明を始めた。
「水樹さんが文書作成した最初の日付は二年前の4月2日。ただし、後から修正されています。例えば、1ページ目の日付を4月2日から4月7日に変更、といったように」
斎藤陽向さんと出会った日付を、私と出会った4月7日に修正したのだという。
「あと一つは、名前ですね」
【陽向】と【春菜】が置き換えられているそうだ。一括で。
「そんな……」
『明るく、優しい響きがする』――彼がそう感じたのは【春菜】ではなく、【陽向】という名前。
エディタソフトは簡単な操作で名前を置き換えられる。簡単すぎて涙が出そうだった。
「水樹さんが修正したのは日付と名前のみです。誤字脱字含めて、他に打ち直した箇所はありません」
要するに、こういうことだ。
智哉さんは記録を元に、二年前の出来事を再現した。足を滑らせた女を助け、パンプスを修理して、女からの電話を待ち、それから……
「今思えば、私のパンプスの踵は、それほどすり減っていなかったんです。大事に穿いてたのに、おかしいと気づくべきでした。智哉さんは記録に合わせるために、わざと修理したんですね」
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