ワイルド・プロポーズ

藤谷 郁

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Wild bride

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 ノルウェーの国番号は覚えている。
 あの人が、何かあればかけてこいと、出発前に教えてくれたから。

(お願い、嶺倉さん。応えて!)

 私はまだ、肝心なことを伝えていない。それなのに、ここでお別れなんて絶対に嫌だ。
「……あっ」
 呼び出し音が途切れた。
 私は息を詰めて、耳に神経を集中させる。

『……瑤子さん?』
 消え入りそうな声が聞こえた。でも、間違いなく、あの人の声。私の願いに、応えてくれたのだ。
「はい、私です。嶺倉さん、あなたの婚約者の、北見瑤子です」
『……』
 私の耳元で、彼が大きく息をつく。それは、驚きと安堵のため息だった。

『すげー、びっくりした。でも、めちゃくちゃ嬉しい……ぜ』
 怪我の痛みに耐え、苦しげに笑う彼に涙がこみ上げる。愛しさが溢れるように湧き出して、たまらなかった。
『ひょっとして……俺が今、どんな状況なのか……聞いてる?』
「聞いています。だから私……私はっ……」
 瞼をこすり、背中をしゃんとさせた。泣くために電話したのではない。

「あなたを助けるために、電話したのです」
『助ける……?』
 嶺倉さんはクスッと笑い、しばらく反応しなかった。電話の向こうで、誰かが彼に大声で呼びかけている。私も不安になり、名前を呼ぼうとしたが――
『それはちょっと……難しいな。さすがの俺も、このダメージには参った。ていうか、詰んだ……人生詰んだなって、生まれて初めて考えてるよ』

 彼のものとは思えない、気弱なセリフだった。
 痛みと、辛さと、絶望とが、実感をともない襲ってくる。
「詰んだなんて、そんな……そんなこと……」
 励まそうとしても、うまくいかない。

 嶺倉さんがダメだというなら、もうダメなのだ――

 私は電話を切ってしまいたくなる。私と話すことが、かえって彼の命を脅かす気がして、怖くなった。今すぐ逃げてしまいたい。
『瑤子さん……俺は、心残りだぜ。君と気持ちが通じ合って……これからって時に、どうしてこんなドジを踏むかな……ったく、しょうがねえ……』

 タクシーが空港に到着した。運転手がこちらを窺うが、私はまだ降りることができない。いや、まだ降りてはいけないのだ。
 嶺倉京史を救えるのは、この世で私だけ。
 彼自身が言ったではないか――君は、俺のために生まれてきた女神だと。

「京史さん!」
『……』
 ハッとする気配がした。
 彼の驚いた顔と、大きく見開かれた双眸が目に浮かぶ。
『へえ、瑤子さんが名前で呼んでくれた……はは、いいなあ』
 冗談めかす余裕のあるうちに、何とかしなければ。私は全身に汗を滲ませ、必死の思いで彼を導く。
「これから先、いくらでも呼んであげます。いいですか、京史さん。私は、あなたの妻になる女です」
 今度は息を呑む気配がした。私は手応えを感じ、さらに呼びかける。

「私はあなたのもの。身も心も全部、京史さんのものなの」
『瑤子……さん?』
 堅苦しい女、つまらない女。それが、あなたに出会う前の私だった。
 枯れ女の中にある情熱に、火を点けたのは誰? 本能のままにアプローチして、恋心を燃え上らせたのは京史さん、あなたです。

 私を置いて、いなくなるなんて許さない!

「生きて帰って来て。そしたら私、あなたに抱かれる。ううん、それだけじゃない。あなたの言うこと何でも聞くし、どんなことでもしてあげるわ。好きにしていいの」
『瑤子……』
 恥ずかしいとか、かっこ悪いとか、まったく感じない。それどころか、本気で言っている。
 京史さんを奮い立たせたい一心で、私は叫んだ。
「あなたが好きなの。だからお願い、頑張って。生きて帰って来て!」

 タクシーの中も、電話の向こうも、シンと静まり返る。
 私の荒い息遣いだけが聞こえる。
「お願いです、京史さんっ……私を抱いて……愛してください」
 まるで、飢えて狂った野獣のよう。激しくも切ない魂のほとばしりを、感じてほしい。

『……るなよ』
「えっ?」
 微かな反応があった。私はスマートフォンを耳に押しあて、もう一度聞き取ろうとする。
「もしもし、京史さ……」
『その言葉、忘れるなよ。絶対に……生きて帰るから、約束しろっ!』
 さっきまでとは別人のように、力強い口調とセリフ。私の胸は喜びと興奮でいっぱいになり、ときめき始めた。

「や、約束します。もちろん、忘れたりしないわ。私、私……あなたを待ってる」
『よっしゃ!!』
 勇ましい気合が聞こえたその直後、通話が切れた。
 私はもう一度かけ直そうとして、指を止める。
 おそらく彼は既に、戦いを始めただろう。持てる力を振り絞り、生きるための出口に這いずって行く。本能に目覚め、がむしゃらに突き進む彼は、誰よりもワイルドな男性ひと

「頑張って、京史さん……!」
 スマートフォンを抱きしめ、彼にエールを送る。
 閉じた瞼の裏に、希望の光が見えた。
 
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