4 / 41
三十路のお見合い
4
しおりを挟む
「逃げる時に、落としちゃったんだわ。お気に入りの傘だったのに」
私はため息をつき、ますますあの男、『ミイちゃん』を憎らしく思った。
「それにしても、どうしよう。こんな格好じゃ、お見合いの席に出られやしない」
大量に汗をかいたので、せっかくのお洒落が台無しだ。メイクは崩れ、ワンピースもよれてしまった。何より汗の匂いが気になる。
約束の時間まであと一時間三十分。私は頭を捻った。
市内にショッピングセンターがあるので、そこで洋服を買ってトイレで着替えようか。でも、汗を拭くことはできないし、どうにも不効率だ。
いっそのこと、どこか適当なホテルの部屋を取り、シャワーを浴びて身支度をやり直してはどうか。
「そうだわ。まずはショッピングセンターで服と化粧品を買って、ホテルで着替えればぎりぎり間に合う」
この方法がベストかどうか分からないが、とにかく善は急げだ。私は素早く、午前中にチェックインできるホテルを検索し、電話をかけようとした。
「わっ?」
スマートフォンが震えた。見ると、金田専務からの着信だ。今日、取り持ち役の専務とは、見合い会場となるリゾートホテルで待ち合わせている。今の今まで、彼の存在をすっかり忘れていた。
「はい、北見です」
逸る気持ちを抑えて応答すると、機嫌よさげな声が聞こえてくる。
『もしもし、私だ。君のことだから大丈夫だと思うが、一応電話したよ。今日は準備万端だろうね』
「は、はあ……それが」
私はばつの悪い思いで、現状を報告した。
『何だって。地元のチンピラに絡まれて逃げたあ? 無事だったのかね!』
「はい。今は駅のトイレにいます」
ホッとするやら呆れるやらの専務に、身支度をやり直すための対策を聞かせた。すると彼は、大きな声で遮ってくる。
『北見君、そんなまだるっこしいやり方じゃダメだ。いいかね? 今すぐ見合い会場のリゾートホテルに直行しなさい』
「えっ? で、でもこの格好では……」
『着替えと部屋を用意するよう、私が支配人に連絡しておく。あのリゾートホテルは嶺倉家が地主として経営援助してるんだ。御曹司の結婚相手が困っていると聞けば、悪いようにはせんだろう。いいね? すぐに行くんだぞ』
「ええっ? ちょっと待ってくださ……あっ」
唐突に電話が切れた。
「そんな、支配人に連絡なんかしたら、ナンパされたことがバレて、嶺倉さんに伝わってしまう……ていうか、結婚相手になるかどうか、まだ分からないのに」
気の早い専務の発言に頬を染めるが、照れている場合ではない。とにかく専務の指示どおり、リゾートホテルに直行するべくタクシー乗り場に向かった。
タクシーを降りた私を出迎え、恭しくお辞儀をしたその男性は、ホテルの支配人だと名乗る。上品な執事といった雰囲気だ。
「これはこれは北見様、ようこそコーラルホワイトホテルへ。嶺倉の坊ちゃんから、くれぐれも失礼のないようにと、仰せつかっております」
「お、お世話になります」
嶺倉の坊ちゃんというのは、嶺倉京史のことだ。ということは、既に私の現状について、全部彼に伝わってしまったということ。
(は、恥ずかしい……)
どうして専務は、あけすけにことを運んでしまったのか。私はメイクの剥げた顔に、冷汗を浮かべる。
「こちらへどうぞ。女性の従業員が、ご案内いたします」
「すみません、お願いいたします」
ロビーに入ると、制服を着た女性に私は預けられる。彼女はブライダル部門の主任だという。コーラルホワイトホテルでは、結婚業務も行っているようだ。
「澤田と申します。北見様のお支度をお手伝いするよう、嶺倉様から仰せつかっております」
「そ、そうなんですか。お手数をお掛けします」
メイクも着替えも一人でできるのに、お支度だなんて、ずいぶん大げさなことになってしまった。
私はだが、嶺倉京史の親切と優しさに感激する。下品なナンパ男に比べて、何と紳士な男性だろう。早く会いたいと、彼に向かう気持ちが高まってきた。
「お部屋は、こちらでございます」
「え……」
驚いたことに、最上階のスイートルームに案内された。
真っ白な内装とインテリアは、珊瑚礁の浜辺を思わせる。窓の外には、広々としたルーフバルコニー。青い空と海が見渡せるオーシャンビューの部屋は贅沢すぎて、私を萎縮させた。
「あの、すみません。この部屋は嶺倉さんが?」
「はい。嶺倉様がご用意されました」
ということは、費用もすべて嶺倉さんが持つのだ。一時借りるだけとはいえ、かなりの料金が発生するはずだが、そこまで甘えていいものだろうか。
しかし、そんな私の心配をよそに、彼女はてきぱきと段取りを進める。
「嶺倉様とのお約束は正午と伺っております。まずはバスルームで汗を流していただき、その後、私がヘアメイクをいたします。そして、ドレスはこちらになります」
「ドレスって……まさか、それも嶺倉さんが用意を?」
「当ホテルのブティックでセレクトする、ブランドドレスでございます。北見様の魅力を存分に引き出せるデザインをと、嶺倉様が電子カタログで吟味して、お選びになられました」
彼女は微笑むと、ベッドに置かれた箱からそのドレスを取り出し、さらりと広げる。
「え……えっ? これを、嶺倉さんが選……」
胸元が大きく開いた、真っ赤なドレス。ノースリーブで、しかも身体にぴたりとフィットするデザインだ。まるで、ボディラインを強調するかのようなセクシーなドレスに、私は抵抗を覚える。
嶺倉京史は一体、私に対してどんなイメージを持っているのか? 彼が会社ロビーで見かけたという私は、地味で冴えないアラサー女のはずだ。こんな、ハリウッドセレブが纏うようなドレスを選ぶはずがない。
「ま、待ってください。本当に、嶺倉さんがこれを私に選んだのですか?」
「はい。とても気に入っておいででした」
ドレスを一旦置くと、彼女は箱からビニールの包みを取り出し、私に差し出した。
「こちらは下着でございます。サイズは伺っておりますので、ご安心ください」
「は……はい?」
受け取って見ると、いかにも高級そうな下着である。
私はごくりと唾を呑み込む。
「も、もしかして、これも嶺倉さんが用意……って、まさか、そんなことは」
「当ホテルのブティックでは下着も扱っております。電子カタログで、嶺倉様が吟味してお選びになられました」
「でもっ、サイズは……」
うろたえる私に、澤田さんはもう一度にこりと微笑む。
「サイズも、嶺倉様が指定されました。もし間違っている場合は、お取替えいたしますが?」
私はただ、ふるふると首を横に振る。
手にした下着は、私にぴったりのサイズだった。
私はため息をつき、ますますあの男、『ミイちゃん』を憎らしく思った。
「それにしても、どうしよう。こんな格好じゃ、お見合いの席に出られやしない」
大量に汗をかいたので、せっかくのお洒落が台無しだ。メイクは崩れ、ワンピースもよれてしまった。何より汗の匂いが気になる。
約束の時間まであと一時間三十分。私は頭を捻った。
市内にショッピングセンターがあるので、そこで洋服を買ってトイレで着替えようか。でも、汗を拭くことはできないし、どうにも不効率だ。
いっそのこと、どこか適当なホテルの部屋を取り、シャワーを浴びて身支度をやり直してはどうか。
「そうだわ。まずはショッピングセンターで服と化粧品を買って、ホテルで着替えればぎりぎり間に合う」
この方法がベストかどうか分からないが、とにかく善は急げだ。私は素早く、午前中にチェックインできるホテルを検索し、電話をかけようとした。
「わっ?」
スマートフォンが震えた。見ると、金田専務からの着信だ。今日、取り持ち役の専務とは、見合い会場となるリゾートホテルで待ち合わせている。今の今まで、彼の存在をすっかり忘れていた。
「はい、北見です」
逸る気持ちを抑えて応答すると、機嫌よさげな声が聞こえてくる。
『もしもし、私だ。君のことだから大丈夫だと思うが、一応電話したよ。今日は準備万端だろうね』
「は、はあ……それが」
私はばつの悪い思いで、現状を報告した。
『何だって。地元のチンピラに絡まれて逃げたあ? 無事だったのかね!』
「はい。今は駅のトイレにいます」
ホッとするやら呆れるやらの専務に、身支度をやり直すための対策を聞かせた。すると彼は、大きな声で遮ってくる。
『北見君、そんなまだるっこしいやり方じゃダメだ。いいかね? 今すぐ見合い会場のリゾートホテルに直行しなさい』
「えっ? で、でもこの格好では……」
『着替えと部屋を用意するよう、私が支配人に連絡しておく。あのリゾートホテルは嶺倉家が地主として経営援助してるんだ。御曹司の結婚相手が困っていると聞けば、悪いようにはせんだろう。いいね? すぐに行くんだぞ』
「ええっ? ちょっと待ってくださ……あっ」
唐突に電話が切れた。
「そんな、支配人に連絡なんかしたら、ナンパされたことがバレて、嶺倉さんに伝わってしまう……ていうか、結婚相手になるかどうか、まだ分からないのに」
気の早い専務の発言に頬を染めるが、照れている場合ではない。とにかく専務の指示どおり、リゾートホテルに直行するべくタクシー乗り場に向かった。
タクシーを降りた私を出迎え、恭しくお辞儀をしたその男性は、ホテルの支配人だと名乗る。上品な執事といった雰囲気だ。
「これはこれは北見様、ようこそコーラルホワイトホテルへ。嶺倉の坊ちゃんから、くれぐれも失礼のないようにと、仰せつかっております」
「お、お世話になります」
嶺倉の坊ちゃんというのは、嶺倉京史のことだ。ということは、既に私の現状について、全部彼に伝わってしまったということ。
(は、恥ずかしい……)
どうして専務は、あけすけにことを運んでしまったのか。私はメイクの剥げた顔に、冷汗を浮かべる。
「こちらへどうぞ。女性の従業員が、ご案内いたします」
「すみません、お願いいたします」
ロビーに入ると、制服を着た女性に私は預けられる。彼女はブライダル部門の主任だという。コーラルホワイトホテルでは、結婚業務も行っているようだ。
「澤田と申します。北見様のお支度をお手伝いするよう、嶺倉様から仰せつかっております」
「そ、そうなんですか。お手数をお掛けします」
メイクも着替えも一人でできるのに、お支度だなんて、ずいぶん大げさなことになってしまった。
私はだが、嶺倉京史の親切と優しさに感激する。下品なナンパ男に比べて、何と紳士な男性だろう。早く会いたいと、彼に向かう気持ちが高まってきた。
「お部屋は、こちらでございます」
「え……」
驚いたことに、最上階のスイートルームに案内された。
真っ白な内装とインテリアは、珊瑚礁の浜辺を思わせる。窓の外には、広々としたルーフバルコニー。青い空と海が見渡せるオーシャンビューの部屋は贅沢すぎて、私を萎縮させた。
「あの、すみません。この部屋は嶺倉さんが?」
「はい。嶺倉様がご用意されました」
ということは、費用もすべて嶺倉さんが持つのだ。一時借りるだけとはいえ、かなりの料金が発生するはずだが、そこまで甘えていいものだろうか。
しかし、そんな私の心配をよそに、彼女はてきぱきと段取りを進める。
「嶺倉様とのお約束は正午と伺っております。まずはバスルームで汗を流していただき、その後、私がヘアメイクをいたします。そして、ドレスはこちらになります」
「ドレスって……まさか、それも嶺倉さんが用意を?」
「当ホテルのブティックでセレクトする、ブランドドレスでございます。北見様の魅力を存分に引き出せるデザインをと、嶺倉様が電子カタログで吟味して、お選びになられました」
彼女は微笑むと、ベッドに置かれた箱からそのドレスを取り出し、さらりと広げる。
「え……えっ? これを、嶺倉さんが選……」
胸元が大きく開いた、真っ赤なドレス。ノースリーブで、しかも身体にぴたりとフィットするデザインだ。まるで、ボディラインを強調するかのようなセクシーなドレスに、私は抵抗を覚える。
嶺倉京史は一体、私に対してどんなイメージを持っているのか? 彼が会社ロビーで見かけたという私は、地味で冴えないアラサー女のはずだ。こんな、ハリウッドセレブが纏うようなドレスを選ぶはずがない。
「ま、待ってください。本当に、嶺倉さんがこれを私に選んだのですか?」
「はい。とても気に入っておいででした」
ドレスを一旦置くと、彼女は箱からビニールの包みを取り出し、私に差し出した。
「こちらは下着でございます。サイズは伺っておりますので、ご安心ください」
「は……はい?」
受け取って見ると、いかにも高級そうな下着である。
私はごくりと唾を呑み込む。
「も、もしかして、これも嶺倉さんが用意……って、まさか、そんなことは」
「当ホテルのブティックでは下着も扱っております。電子カタログで、嶺倉様が吟味してお選びになられました」
「でもっ、サイズは……」
うろたえる私に、澤田さんはもう一度にこりと微笑む。
「サイズも、嶺倉様が指定されました。もし間違っている場合は、お取替えいたしますが?」
私はただ、ふるふると首を横に振る。
手にした下着は、私にぴったりのサイズだった。
0
あなたにおすすめの小説
幼馴染に10年片想いしてたら、冷酷御曹司にプロポーズされました
ほーみ
恋愛
春の匂いが、駅前の並木道をくすぐる。満開の桜の下、私はひとり歩いていた。駅までの道は、高校時代、彼とよく歩いた道だ。
制服姿の学生が笑いながらすれ違っていくのを横目に、私はスマホを見下ろした。
「今日、伝えるって決めたんじゃなかったの?」
送信したきり返信のないメッセージ。画面には「既読」の文字があるだけだった。
――渡瀬 湊。私が10年間片想いをしている、幼馴染。
愛してやまないこの想いを
さとう涼
恋愛
ある日、恋人でない男性から結婚を申し込まれてしまった。
「覚悟して。断られても何度でもプロポーズするよ」
その日から、わたしの毎日は甘くとろけていく。
ライティングデザイン会社勤務の平凡なOLと建設会社勤務のやり手の設計課長のあまあまなストーリーです。
今さらやり直しは出来ません
mock
恋愛
3年付き合った斉藤翔平からプロポーズを受けれるかもと心弾ませた小泉彩だったが、当日仕事でどうしても行けないと断りのメールが入り意気消沈してしまう。
落胆しつつ帰る道中、送り主である彼が見知らぬ女性と歩く姿を目撃し、いてもたってもいられず後を追うと二人はさっきまで自身が待っていたホテルへと入っていく。
そんなある日、夢に出てきた高木健人との再会を果たした彩の運命は少しずつ変わっていき……
フッてくれてありがとう
nanahi
恋愛
【25th Anniversary CUP】にて、最終ランキング3位に入りました。投票してくださった皆様、読んでくださった皆様、ありがとうございました!
「子どもができたんだ」
ある冬の25日、突然、彼が私に告げた。
「誰の」
私の短い問いにあなたは、しばらく無言だった。
でも私は知っている。
大学生時代の元カノだ。
「じゃあ。元気で」
彼からは謝罪の一言さえなかった。
下を向き、私はひたすら涙を流した。
それから二年後、私は偶然、元彼と再会する。
過去とは全く変わった私と出会って、元彼はふたたび──
月の後宮~孤高の皇帝の寵姫~
真木
恋愛
新皇帝セルヴィウスが即位の日に閨に引きずり込んだのは、まだ十三歳の皇妹セシルだった。大好きだった兄皇帝の突然の行為に混乱し、心を閉ざすセシル。それから十年後、セシルの心が見えないまま、セルヴィウスはある決断をすることになるのだが……。
自信家CEOは花嫁を略奪する
朝陽ゆりね
恋愛
「あなたとは、一夜限りの関係です」
そのはずだったのに、
そう言ったはずなのに――
私には婚約者がいて、あなたと交際することはできない。
それにあなたは特定の女とはつきあわないのでしょ?
だったら、なぜ?
お願いだからもうかまわないで――
松坂和眞は特定の相手とは交際しないと宣言し、言い寄る女と一時を愉しむ男だ。
だが、経営者としての手腕は世間に広く知られている。
璃桜はそんな和眞に憧れて入社したが、親からもらった自由な時間は3年だった。
そしてその期間が来てしまった。
半年後、親が決めた相手と結婚する。
退職する前日、和眞を誘惑する決意をし、成功するが――
おばさんは、ひっそり暮らしたい
蝋梅
恋愛
30歳村山直子は、いわゆる勝手に落ちてきた異世界人だった。
たまに物が落ちてくるが人は珍しいものの、牢屋行きにもならず基礎知識を教えてもらい居場所が分かるように、また定期的に国に報告する以外は自由と言われた。
さて、生きるには働かなければならない。
「仕方がない、ご飯屋にするか」
栄養士にはなったものの向いてないと思いながら働いていた私は、また生活のために今日もご飯を作る。
「地味にそこそこ人が入ればいいのに困るなぁ」
意欲が低い直子は、今日もまたテンション低く呟いた。
騎士サイド追加しました。2023/05/23
番外編を不定期ですが始めました。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる