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しおりを挟むオーウェンは自室のテーブルで自ら頭をガシガシとかきむしっていた。
ため息が止まらなくてはぁはぁ、とずっと言っているのでこの部屋にいるだけで使用人は気分が滅入って仕方がない。
そのうち用事があるとき以外は寄り付かなくなって、掃除の行き届いていない部屋はほこりっぽかった。
過去の事は忘れてどうにか前向きにならなければそんな状況も打破できないのだが、それでも、一時間に一回はオーウェンの頭の中にどうしてこうなったという言葉が思い浮かんで、堪らなく憂鬱になる。
リディアが頭の悪い話の通じない女だということは知っていたが、あんなことをするほど卑劣で下世話な人間だとは思っていなかった。
もう少し警戒していれば、リディアの手下のロイを亡き者にしていれば、どうだっただろう。
ありえない可能性が頭の中を駆け巡って、常に美しく整えていた髪をガシガシとかきむしってストレスを発散する。
しかしそれだけでは、満足できずにぐっと髪を引っ張った。思いだしているのはあの時のリディアの勝ち誇ったような顔だ。
あの顔には頭が沸騰するような感覚を覚えた。思いだすだけでストレスから目の前が白くチカチカしてきて酒が飲みたくなる。
しかし、あの日に酒での失敗を暴露されたオーウェンには、絶対に酒を与えるなと両親が屋敷中の人間に命令したので、あれから一滴も酒を飲んでいない。
「あ゛っ~~!!! 舐めやがって女のくせにっ、女のくせにっ!! お前はただ静かに俺に従っていればよかったんだ!!」
テーブルをどんどんと叩いて、叫び声をあげる。手ごろな使用人がいたら殴ってストレスを発散できるのに、今は誰もこの部屋に近づかない。
一度婚約を破棄されたオーウェンのような爵位継承権のない人間が貴族として生きられる道は限りなく少ない。
だからこそリディアとの婚約が最初で最後のチャンスだった。
それを自分の失態で潰して出戻った男の居場所などアディソン子爵家にはもうない。
「あの気取った顔面を殴り飛ばしてやるぅ~!!」
これから先、どういう風に生きていくにしても、リディアが優雅な貴族としての生活を送っていくのに、それに比べて自分が惨めな思いをすることは決定事項で、それが堪らなく悔しくてオーウェンはもだえ苦しみながら拳をテーブルに叩きつけた続けた。
するとしばらくして、ノックもなしにオーウェンの部屋の扉が開いた。
そこにいたのはイカした前髪をさらりとはらう仕草が特徴的な、デネット侯爵家のフレディーだった。
彼は美しい金髪をさらさらとなびかせながら、オーウェンの元へと歩いてきた。
久方ぶりに現れた友人に、オーウェンはハッとして自分の書いた手紙に応えて、助けに来てくれたのだとすぐに理解した。
「フレディー! き、来てくれたか! おいおい突然すぎるじゃないかっああ、でもいいんだ、手紙にも書いたがあのつまらん箱入り娘が俺のある事ない事ぶちまけて婚約破棄されたんだ」
突然の親友の来訪に驚きつつも、矢継ぎ早に事情を話す。
手紙を見て来てくれたということは、事情は知っているだろうが、それでも言わずにはいられなかった。
とにかく落ち着いて久しぶりの再会を喜ぶために、ここまでフレディーを案内して、すぐに去っていこうとする使用人を呼び止めた。
「おい、こそのやつ。こいつはデネット侯爵家の爵位継承権者だぞ。さっさともてなす準備をしろ」
指示を飛ばしてからすぐにオーウェンはフレディーへと視線を戻した。
しかし、彼の表情は久しぶりに会った友人に向ける様な親しみの籠った表情ではなく、冷たく凍り付いたような目線だった。
「……な、なんだよ。どうしたんだ? とにかく聞いてくれ、勝手に盗み聞きまでされて、そのうえ損害の賠償をしろなんて話があるか?」
返答も聞かずにオーウェンは語りだした。しかし、オーウェンの事を無視してフレディーは、驚いて準備を始めようとしていた使用人へと指示を飛ばした。
「飲み物の支度など必要ない。すぐに帰るからな」
「なんだ、時間がないのか? それならまた後日にでも改めて、宴会でも開いてくれ、フレディー。あの女のせいでここじゃあ肩身が狭くてやってられないんだ、まったくふざけんなって話だ」
「……」
そう言ってフレディーの肩に触れようとすると、フレディーはすっと一歩引いて、それから手に持っていた一本のウィスキーを適当に投げた。
カーペットの敷かれた床に激突してごとっと音を立てる。
「餞別だ。オーウェン、まさかあんな小娘に出し抜かれるほど、頭が悪いとは思っていなかった」
「なっ、なんの、冗談だ? は?」
「せっかく良い情報源を手に入れたと思ったのに一からやり直しだ。……はぁ」
オーウェンの反応などどうでもいいとばかりにフレディーは踵を返して歩き出す。
その背を追いかけようとオーウェンは一歩踏み出した。しかし、意識が放られた酒の方へと向いていて、今すぐにそれを喉に流し込みたくて仕方がない。
「親友がこんなに困ってんのになんなんだ、フレディー、お前そんな薄情な奴じゃないだろ?」
言いつつもウィスキーの方へと足を進めて、オーウェンはそのハンブリング産の上等な酒を拾い上げながら、意味が分からないフレディーの態度にそう文句をつける。
酒があると認識すると手がぶるぶると震えてきて、オーウェンはどうにも我慢が利かない。
すぐに飲みたくて仕方がない、あの酔いしれてフワフワする感覚を味わえれば今のこの状況も忘れることが出来る。
「……なにが親友だ気色悪い。身分差を考えろ。この俺に向かって不敬だぞ。もう二度と手紙を送ってくるな、それを言いに来ただけだ」
最後にそう口にして、フレディーは部屋を出ていく。オーウェンは早速ウィスキーのボトルを開けて直接口をつけてごくごくと飲み干した。
食道と胃がカーッと熱くなって久しぶりの酒が頭にクる。最高の気分だった。
しかし、これではまるでリディアが言っていた、フレディーがオーウェンを利用しているという言葉が事実だったみたいじゃないかと最悪の考えが思い浮かんだ。
だからこそ、それを否定するために彼を追いかけるのが正しい行為なのだろうけれど、オーウェンは千鳥足でふらふらとして、ゆっくり椅子に戻った。
酒が見つかったらまた取り上げられるかもしれない、そう考えるとフレディーがオーウェンを騙していたなんて言う事実はどうでもよくなって、ごくごくの腹に酒を流し込む。
あの友人たちとのクラウディー伯爵邸でのやり取りなど所詮は、酒の席での戯言だったという事だ。
伯爵家跡取りの配偶者に選ばれたオーウェンと同じ身分だった爵位継承権のない男たちは、こぞって自分こそが友人だと名乗りを上げて誰もがオーウェンをたたえた。
ついには爵位継承権を持つフレディーまで呼べば集まるようになって、夢見心地だった。
それはいつの間にか本当に夢のような遠い出来事になってオーウェンの元から消え去った。
それを夢にしてしまった手元にある猛毒に気がつかないまま、今日も喜んで飲みこんでいく。今この時だけの夢見心地に浸れるように未来を捨ててボトルを開ける。
きっと明日もこの日の酒が心地よかったことを忘れられずに街に繰り出して安酒をあおるのだろう。オーウェンの中にはそんな確信めいた気持ちがあったのだった。
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