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しおりを挟むロイは談話室を出て、一人で厨房へと向かっていた。すでに深夜で灯りの消えた厨房をランプで照らしてひっそりとかまどに火を入れて、秘蔵の紅茶をこっそりと淹れた。
侍女に淹れてもらう紅茶だっておいしいが、こんな時間にお願いするのも悪いし何より、自分で淹れてひと息ついた方が仕事人っぽいだろう。
そんな子供っぽい理由はリディアには言えないので、このことはロイとほんの一部の使用人たちだけでの秘密だった。
しかし、そんな使用人たちは最近ロイが、リディアと結婚したことによってどう接するべきか迷ているらしかった。
……幼いころから使用人同然で勤めに来ていたので、皆同僚みたいなものでしたけど、今はリディアお嬢様の配偶者ですから、急に格上の立場になってしまって接しづらいんでしょうね。
それはわかるが、何も彼女たちは決してロイを虐げていたわけでもないし、公の場以外は今までと同じで構わないと早めに言うつもりだった。
けれども、リディアの夫というのも忙しい。
普通にしていれば、直接領地経営の仕事をクラウディー伯爵に仕込まれたし、長年手伝っているので、特に苦も無く日常の雑務をこなすことが出来る。
しかし、リディアといるとなると話が別だ。
仕事だけに集中できる時間はそう長くない。それに加えて彼女の有り余る探求心に注意を払わなければならない。
特に今日のような突飛な計画は早めに阻止しなければ屋敷が大変なことになる。
……そういう点では、ご両親が出かけて、ここぞとばかりに活力があふれているリディアお嬢様の注意がエイミー様に向けられて、良かったとも言えますね。
考えながらロイは、紅茶の香りを深く吸い込んで、疲れが吹き飛ぶほどの華やかな香りにうっとりとほほ笑んだ。
……ですが、この別邸を建てるときに雇った新しい使用人たちはエイミー様が聖女だと聞いて畏怖の念を感じている様子でしたし、彼女がしばらく居るとなると仕事に支障が出ますかね。
それなら、今日聞いた二人の出会いのエピソードと彼女がどんな聖女で、どんな人となりをしているか話をすれば、少しは和らぐでしょう。
そうしてロイは明日やること、それから今日のうちに済ませなければならない事を頭の中でパズルのように組み立てて、リディアがすこしでも苦労しなくて済むように気を回した。
紅茶を飲み終わると、火の始末をして、カップを洗って拭き上げた。
それから厨房を出て一階廊下に出ると、慌てて侍女が使用人用の控室から飛び出してくるところだった。
「どうかしましたか?」
こんなに夜遅くに急いで向かう所といえばリディアのところしか思い浮かばない。しかし、リディアとエイミーは今、込み入った話し合いの最中だ。
それに侍女はとてもひどい顔をしていて、焦っている様子だった。
こんな様子でリディアの前に出たら、失態をやらかしてしまうだろう。落ち着いてもらうためにも呼び止めた。
「ロイ様っ。実は、攻め込まれているかもしれなくて、窓から見えるんです。松明を持っていて、騎士団の旗があったそうなんです!!!」
思った通りの支離滅裂な報告に、これではリディアが困るだろうという気持ちもあったが、それと同時にとても物騒な報告に背筋がひやりとした。
心当たりは一つしかない。聖女エイミーだ。
彼女がここにいることは、手紙でも送らない限りはバレようがないはずだが、今日の今日にやってくるのはおかしいし、騎士団が教会を通してこんなに素早く動くだろうかという疑問もあった。
「落ち着いてください。今急いでも、状況はそれほど早く変わりません。詳しく話を聞かせてください。報告は私からしますから」
「は、はいっ、えっと━━━━」
報告の仕事はロイが請け負うと言うと、彼女は、気持ちを持ち直した様子で、ロイに今差し迫っている状況について説明した。
どうやらクラウディー伯爵家が雇っている兵士が見張り台の上から、騎兵隊がまっすぐとこの屋敷の方へと向かっているのが見えたそうだ。
そしてその集団は騎士団の旗を掲げていて、先頭には、確証はないがこの国の第二王子である、オーガストらしき姿があったらしい。
第二王子の名前を聞いた瞬間にロイは目を見開いて、これは想像していたよりもずっと大事だと理解して、急いで、リディアの元へと向かった。
なんせ、オーガストは戦の女神の加護がついているのではないかと言われるぐらいに強く冷徹で非情な百戦錬磨の男だ。そんな男に攻められればこのクラウディー伯爵邸はひとたまりもない。
こちらには今、戦える貴族が一人もいない。リディアもロイも魔法は持っているけれど到底王族には敵わないし、魔法学園にも通っていないので、実戦向きじゃない。
せめて、クラウディー伯爵がいてくれたらまだ対等に交渉が出来るが、伯爵、伯爵夫人、二人とも旅行中で屋敷に不在だ。
「リディアお嬢様、大変です!!」
頭の中で必死に対策を考えつつもロイはもう一刻の猶予もないので、談話室の扉を開きながらリディアに声を掛けた。
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